cast


小宮山利之助

(こみやまりのすけ)(なまくら)

役:坂口 平

創作の人物

天保1年8月2日(1830年8月2日)    

大垣城下の町民から慕われた大垣藩下級武士。黒船来航以降揺れる領内警護を主目的に藩老小原鉄心により結成された有士隊三番隊隊長に剣腕を買われ抜擢される。藩老小原の期待に応え和宮様お輿入れの道中警護で活躍。禁門の変では三十足らずの有士隊を率いて大垣の先陣を務め、長州兵800を相手に奮戦。大垣藩士の果敢な突撃は幕府軍の勝因となり大垣藩の活躍は一遍の狂歌として流行した。 禁門の変後は京屋敷警護役として在京。過去に囚われたまま剣術の師の教え「鞘の理」の答えを見いだせず酒に溺れ「なまくら」と蔑まれるようになった。武力倒幕に傾く京の町で赤松小三郎との出会い「殺活応機」の誓いに、太平の世を願う鞘の理の答えを託し再び刀を握り立ち上がる。赤松暗殺を企む薩摩藩と大垣藩の直接の争い火種となることを避けるため脱藩。一介の浪人となり赤松暗殺阻止のため薩摩藩士中村半次郎たちにとの死闘に挑む。 通称なまくら、饅頭同心、二刀使いの複数の呼び名がある。本名小宮山利之助。剣術は師から授かった「二階堂平法」を用い一死必殺の禁忌奥伝まで操る。



中村半次郎

(なかむらはんじろう)

役:中村篤士


天保9年(1838年)12月 -

明治10年(1877年)9月24日) 

薩摩藩士であり可兒と同じ赤松の門下生の一人で可兒と同じく赤松小三郎を唯一の師として尊敬している。薩摩が目指す世の為には、自身が悪名を背負っても時代を築くことを願い己の迷いを断ち切るため禁門の変で悪鬼二刀使いと呼ばれた利之助との闘いを望んだが、数多の命を犠牲にして生きる利之助が生きることを諦めたことに失望し怒りを覚える。失念から迷いを断ち切る事が出来ない半次郎に兵学の師である赤松小三郎暗殺の非情な密命が降った。唯一の師と崇める赤松の目指す世の為に闘うか、薩摩の世の為に闘うか苦渋の決断を迫られた半次郎の前に二刀使いが現れた。

利之助との死闘で己の路への迷いを断ち切った半次郎は、師赤松を「幕府の密偵を斬る」と白昼宣言し斬った。白昼堂々の惨殺が、後に「人斬り半次郎」と悪名を帯びるきっかけとなったが赤松小三郎惨殺以降、西南戦争にて殉ずるまで野心や私心に惑わされることなく悪鬼として剣を手放すことはなかった。京在日記の著者。赤松暗殺に関わる記録が現存している。『丁丑擾乱記』には、「桐野は廉潔剛胆百折不撓の人というべし。最も慈悲心あり。文識はなはだ乏し。 自ら文盲を唱う。しかりといえども実務上すこぶる思慮深遠、有識者に勝れり」ともある。 近年、小説の題名から「人斬り半次郎」と言われることがあるが、実際に明らかとなっている暗殺はこの 1 件だけである。



有馬藤太 

(ありま とうた)

役:山口考二郎


天保 8 年(1837 年) - 大正 13 年(1924 年)    

薩摩藩砲術師範有馬藤太(同名)の長男に生まれる。小野郷右衛門に飛太刀流を学び十九歳で師範代になるほどの剣腕。薩摩の指導者の信任も厚く半次郎と共に密命をうけ数多くの任務に従事した。抜刀術を得意とし利之助との死闘においても抜刀術を駆使し闘った。利之助との死闘にて深手を負い、半次郎の赤松暗殺任務に立ち合うことはできなかった。西南戦争にて半次郎と共に殉ずることを願うが半次郎に明治維新の暗闘を記した「京在日記」を託され大正時代まで生き続けた。明治維新史編纂における赤松小三郎暗殺に関わる取材を受ける中、新時代のために命をかけた哀しくも強く生きた利之助や半次郎の生涯を臨終の間際に語り残した。

   



可兒(可児)春淋  

(かにしゅんりん)

役:阿部周平


弘化 3 年(1846 年)12 月 14 日 -

大正 9 年(1920 年)7 月 25 日)    

大垣藩士。幼名は幾太郎。後に惇藏、明治 5 年には春淋と改めた。幼き頃より学問に秀で、文久 3 年には藩老小原付となる。初陣となった元治3 年の禁門の変で利之助に命を救われた。京の衣棚にある赤松小三郎の英国兵学塾に入塾。可兒は塾に寄宿し赤松の影響を大きく受けた。赤松小三郎暗殺の報せをつかみ、利之助の剣腕を頼りに赤松暗殺阻止を依頼。暗殺阻止に立ち上がる利之助から藩老鉄心への書状を託された。鉄心より利之助の過去の真相を聞かされた可兒は幸を伴い京へ駆け戻った。利之助に託された刀に国を守る刃になることを誓う。

赤松小三郎が慶応3年9 月3 日に半次郎に暗殺されると可兒は「若し薩摩藩士襲来せば結束して応酬、一戦すべし」と京を脱し大垣に帰国し備えた。赤松、利之助を死に追いやった薩摩を許すことか出来ず徹底抗戦を主張し鳥羽伏見の戦いで藩士を率いて奮戦するが、藩老小原鉄心が大垣藩領民のために新政府軍への絶対恭順の意を示し可兒は謹慎処分を受ける。新政府において陸軍に国を守る軍人として生きることを誓う。



大垣藩剣術指南役

山本浩綱(創作の人物)    役:小林浩太郎

出自は美濃国の生れ、継承者消息不明の念流二階堂平法の使い手。諸国を歩き一流派「二階堂平法」禁忌奥伝まで用いる剣豪。幸を自分自身の姪として養育し、大垣藩老小原鉄心により推挙され直臣となった。後、藩剣術指南役のひとりとして利之助の師となり「生きるために剣をとれ」と利之助を鍛えた。藩政改革のため城下に道場を開き「鞘こそが、剣の路の真の理」と剣術と共に人の生き様を説いた。藩軍制改革で「有士隊」創設を担い一番隊組頭。浦賀警護、和宮嫁下警護、天狗党との戦いと転戦し剣を振るい続けた。戦いの中「鞘の理」に反し兇刃に落ちていく。

門下生に利之助と共に「大垣の両川」と呼ばれた有士隊二番隊組頭長田善次郎がいる。



山本 幸(みゆき)

本編のヒロイン(創作の人物)

役:高橋愛美

山本の姪として育てられた。 両親の記憶を失い山本に引き取られた。性格も明るく活発。身分の上下に関係なく分け隔てなく人に接するため城下の誰からも愛されており藩老小原との面識もある。城下では利之助との恋仲を囁かれていたが利之助が幸に向けていた暖かな眼の真相は違っていた。幸の失った記憶はある事件をきっかけに利之助に憎悪の念に変わっていく。

利之助との和解の後は明治維新において鞘の理を継承していった。

 



赤松 小三郎

(あかまつこざぶろう)

天保2年4月4日(1831年5月15日) -

慶応3年9月3日(1867年9月30日)

十石三人扶持の上田藩士

学問に秀で、江戸、長崎で蘭語から学び、再度江戸に赴いた際に英国人から英語の基礎を学んだ。幕府よりもその才腕は高く評価され開成所の教官就任の話も持ち上がっていた。

江戸在任中に英国式の兵学書を写し取り「英国式歩兵連法」を翻訳した。軍務だけではなく英国式議会政治の仕組みに感銘を受け大きな影響を受けた。

学び得た知識を広げることで国を異国から守り育てる力になると信じ慶応2年(1866年)京都に私塾を開き英国式兵学を教えた。門下生には、薩摩・肥後・会津・越前・大垣などの各藩士から新選組の隊士まで集っていた。

薩摩藩から強い要請を受け、慶応3年5月『重訂英国歩兵練法(薩摩藩版)』(七編九冊)を出版したが重訂版は薩摩藩軍局の厳重な管理下に置かれ薩摩藩の軍事教練を担うに至った。

武力倒幕へ傾く京の中で「幕薩一和」を求め、薩摩の指導者と幕府の架け橋となり内乱回避のため奔走していた。

佐幕派の上田藩主召還命令を当初拒み続けたが「幕薩一和」を幕府へ願い出る為、帰郷を決意。赤松帰郷の報せに薩摩の軍事機密漏えいを危惧した薩摩藩指導者より暗殺命がくだる。

「話合いで民が国の政治を決める世の中」(議会政治の提唱)と、特注の和洋折衷の両刃の刀に込められた「殺活応機」の誓が、なまくらに鞘の理を取り戻させた。

薩摩藩へ帰郷の挨拶に向かう慶応三年9月3日京都・東洞院通りで私塾の門下生であった中村半次郎ら薩摩藩士の刃の前にこの世を去った。



尾引作兵衛 松井直子

赤井源次郎 深井英敏

洗馬熊之助 柳澤亜澪

根古屋孫六 阿部真由美

薩摩藩刺客

赤松暗殺の任務の為に有馬藤太が募った薩摩隼人

 




大垣藩有士隊 殺陣サークル眞

大垣藩が農民たちを募り結成した斬り込み隊

禁門の変において利之助に率いられ800の長州兵を相手に臆することなく突撃を敢行した。

「生きるために剣を離すな」生き残るために闘うことが隊士共通の信条であった。

後、兼用隊として再編され大垣藩の新政府軍の一翼として戦陣に身を置き続けた



大垣藩士 

安居三十郎 山田紗子

藩老小原付の従者で京屋敷を預かっている。可兒の部下でもある    



大垣藩藩老 

小原鉄心 

(ナレーション) クマヒゲ

黒船来航から揺れる大垣の国政を藩主より委ねられた。公正明大な治世は藩士だけではなく領民からも愛されていた。激動の時代から大垣を守るために、大垣の刃「有士隊」を直臣の山本に結成させた。城下で饅頭同心と呼ばれた利之助と出会い身分の差を超えた友誼を結んでいた。利之助が抱える過去の真相を知る唯一の人物。明治維新にあたっては鳥羽伏見で闘う大垣藩士を背にし、単身禁裏に参内し大垣の絶対恭順を帝に奏上し、大垣を戦禍から救った。



大垣藩有士隊&饅頭屋喜平太 中澤計照


 

京の暗殺者 田邊高久

在京武士 小林健輝