一手 黒船来航

 

1-2 浦賀警護

 


 

首筋を刃がすり抜けていく首筋に冷たさが奔る。

 

 

利之助の首の皮一枚を刃を削り取った。

 

 

 

横凪ぎを交わされた男は、

 

利之助の右手の掌打が顎を捉え崩れかけた姿勢となった刀を握る右腕を、

 

利之助の左手が同時に掴み勢いを借り岩場へ打ち落とした。

 

打ち落とされた男の背中から鈍く軋む音が響く。

 

 

 

油断したとはいえ刀も抜かぬ男に二人の士分がねじ伏せられた。

 

 

 

「裁きは奉行所がつける。」

 

 

 

利之助は怒りに身を委ねているが奉行所へ連行するために抵抗力を奪おうとしていた。

 

 

 

「そんなことはさせるか」

 

 

 

立っている二人は目配せで利之助を挟むようにゆっくり脚を動かした。

 

 

 

「死ねえ!」

 

 

 

大きく振りかぶった二人が利之助の頭をめがけ同時に刀を振り下ろした。

 

 

振り下ろされる刀は左右に僅かずつずれており、

 

前後に利之助が避けたとしてもどちらかの刀が利之助を斬れる算段であった。

 

 

 

振り上げられた二刀を目にした利之助を小ばかにした男は叫んだ、

 

 

 

「馬鹿野郎!!抜け!」

 

 

 

間に合わない。己が小ばかにしなければあの坂下という男がここで命を落とすことはなかった。

 

 

 

「せいやあ!!」

 

気勢と共に二名は同時に振り下ろす。

 

利之助は心の中で静かに共に詫び、叫んだ。

 

 

 

「鞍すまん。斬るしか・・・ない」

 

 

 

 

 

利之助は己の腰から抜刀した刃の勢いで左側の刀を払い上げた。

 

払い上げ勢いが増す遠心力を借り振り下ろされる右側の刀よりも刹那に早く回転し刀で刀を斬り落とした。

 

二人同時の二手を瞬時に捌いて見せた。

 

駆け寄る男もこれには驚いた。

 

 

 

「初めて刃を振るう動きか」

 

 

 

 

 

斬りかかった男たちも唖然とした。

 

斬り伏せるどころか同時に剣を捌かれるなど実戦を経験しているとしか思えぬ剣技。

 

背筋を冷たい汗が流れた。

 

優勢であった筈が剣を抜かれた限り斬り合い。

 

二手を瞬時に捌かれる技量をもつ相手との斬り合いに勝つ見込みなどない。

 

先程まで快楽に身を委ねていた男たちは恐怖に身を縛られることになった。

 

 

 

「若造・・貴様どこぞの免許皆伝でも得た者か何か?」

 

 

 

「今日、はじめて振った。」

 

 

 

男たちも、利之助も、利之助が手にしている刀の切先には目がいっていなかった。

 

 

 

「殺されてたまるかぁ」「畜生」

 

 

 

上段に構えたまま二人が悲鳴をあげるように利之助に斬りかかった。

 

 

 

利之助の剣は舞うように半歩前に出ていた男の首筋を横凪で斬り、

 

駒のように回転しもう一人の男の脇腹を斬り払った。

 

 

 

二人の男は岩場に崩れ落ちた。

 

 

 

利之助も岩場に崩れ落ちた。

 

自分が何をしたのかを理解したからだ。

 

 

 

奉行所に連れて行くなどと言いながら二人を斬り殺した。

 

 

 

男たちの非道を思えば罰を受けることは当然だとしても、

 

利之助が二人を斬ったのは己の命を守る為であり非道を糺す為ではなかった。

 

 

 

 

「父上の訓えを守らなかった報いだ・・」

 

 

 

しゃがみ込んだ利之助を後ろから揺さぶるように声をかけた

 

 

 

「大丈夫か坂下!!」

 

 

 

「俺だけは」

 

 

 

「なにを言っておる」

 

 

 

「覚悟もないのに、己の命惜しさに二人を殺した」

 

 

 

「殺した?」

 

 

 

「ああ躯がそこに横たわっているだろう。俺を奉行所へ引き渡してくれ」

 

 

 

「殺してなどない」

 

 

 

「やめてくれ斬ったモノは斬った。慰めなど」

 

 

 

「落ち着け。落ち着け」

 

 

 

「お前はまだ誰も殺しちゃいない。早く手当をせんと死ぬだろうがな。」

 

 

 

利之助は理解できなかった。確実に首筋に刃はあたり力任せに腹に刃をあてた。

 

 

 

「気付かなかったのか。友の餞別がお主を救ったのだな

 

 

 

 

 

「餞別、刀が・・・」

 

 

 

利之助ははじめて己の刀に眼を向けた。

 

 

 

「なっ!!」

 

 

 

「刺すことは出来ても斬ることはできんな」

 

 

 

「これは・・・刃が砥がれていない。」

 

 

 

「なまくら刀だな」

 

 

 

 

 

「鞍・・・お前は俺がこうなることをわかっていたのか」

 

 

 

利之助の緊張は一気に解け、

 

走り続けた疲労と初めて経験した斬り合いの消耗からその場に気を失って倒れた。

 

 

 

 

 

「身のこなし」はじめて手にした奴の動きではない。

 

 

 

倒れた利之助の周りを見渡した四人の男が倒れている。

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 

 

微かな声でおなごが語りかけてきた。

 

 

 

「すまなかった。

 

同じ士分として詫びて済むことではないがこの者たちには報いをうけさせる」

 

 

 

「仇をとってくださったのですか?」

 

 

 

「俺ではない。

 

この男がひとりで闘った。

 

村に女子がいると村の者より聞きひとりでここへ駆けつけたのだ。

 

武士にも民を守るために一命を賭して闘うものがいることをどうか忘れないでくれ」

 

 

 

 

 

「こんな若いお侍様がおひとりで。」

 

 

 

倒れ込んだ利之助を見つめおなごは発した。

 

 

 

「さて、先生はこの話を信じてくださるか・・・」

 

 

 

利之助が眼を覚ましたのは翌朝であった。

 

眼を明け宙に浮くような感覚であった。白昼夢でもみているかのような気持ちの悪さが襲っていた。

 

 

 

「起きなさい」

 

 

 

「母上、もう暫く休ませて下され。なんだか頭が・・・」

 

うわ言のように放ち声に背を向けるように寝返りをうった。

 

 

 

「起きなさい」

 

 

 

「ですから!」と眼を開け声をかけると見たことのない顔が二つ、見覚えのある顔がひとつ。

 

 

 

「先生、こやつの母上に間違われましたな()

 

 

 

 

 

「善次郎、御前じゃ茶化すな」

 

 

 

「山本を母と呼ぶとは思わなんだ」

 

 

 

「小原様まで」

 

 

 

「お前はあの時の・・・いかん、おなごたちが・・・」

 

 

 

利之助の真剣な動きがより滑稽に思え笑った。

 

 

 

「笑い事ではない。おなごたちが」

 

 

 

「大丈夫じゃ。お主が捕らえた者たちは奉行所に引き渡した。

 

犠牲になった者たちは丁重に葬った」

 

 

 

「左様でしたか。」

 

 

 

利之助の安堵した顔を見て山本と呼ばれた男が声をかけた。

 

 

 

「お主に聴きたいことがある」

 

 

 

そういって山本は利之助の刀を朱色の鞘から抜き放ち利之助に突き付けた。

 

 

 

「この悪ふざけはなんだ」

 

 

 

「・・・。悪ふざけではありません」

 

 

 

「ほう。士分として二言なく言えるか」

 

 

 

小原と呼ばれた者が応えた。

 

 

 

「ええ。なまくら刀のおかげで人を殺めずにすみました。

 

人を殺めることの重みも覚悟もない私の心象を察した友が託してくれた身を守る為の刀」

 

 

 

「異国の者が陸に乗り上げて来ても身を守るだけだと申すか」

 

 

 

「そこにおる男に云われました。

 

   武士の体裁よりも。

 

   生き残ることこそが大事だと」

 

 

善次郎の顔は硬直した。

 

 

 

「善次郎そのようなことを申したのか」

 

 

 

「申し訳ございません。昨日、先生にお叱りを受け、

 

無錫しておるところにこやつが流木で素振りをしていたものですから私から

 

この男に喧嘩をけしかけました。

 

喧嘩は買うことはありませんでしたが、

 

民の助けには己の危険を顧みずひとりで闘いましてございます」

 

 

 

「と、善次郎は申して聞かぬ。どうなのじゃ」

 

 

 

「善次郎・・殿が申していることに相違ありませぬ」

 

 

 

「善次郎との喧嘩はせず、民のために命を張ったか」

 

 

 

「怖くはなかったのか?」

 

 

 

「怖いと思ったのは、男たちを斬り伏せ、いや叩き伏せた時、人を殺めたと思ったあとです」

 

 

 

「左様か。剣術をどこでも学んでいないと申したそうだな。確かか?」

 

 

 

「はい。剣術どころか刀の扱いさえも学んでおりません、道場で盗み見をした程度です」

 

 

 

「ふむ。それであの剣閃・・・」

 

 

 

「処で、皆さまはどちらのお家の皆様でございますか。

 

任を外れ一晩を過ぎたとあらば上役にお叱りを頂戴いたします故、

 

介抱頂いたことと一宿の御恩は後ほど改めて伺いますので帰陣をお許しいただけますか。」

 

 

 

利之助を囲んだ三名はまた大笑いをした。

 

 

 

「おい。坂下利之助。お前は、大垣藩士であろう」

 

「如何にも」

 

 

 

「上役にお叱りを受けるは、小原様の名を知らぬと言った時ぞ」

 

 

 

「小原様・・・。お、小原様とは御城下を取仕切るご家老衆の小原様にございますか?」

 

 

 

「まったくのバカではないようだ」

 

 

 

山本が応え、当の小原が続いて応えた。

 

 

 

「大垣藩家老小原鉄心だ」

 

 

 

「小原鉄心様内与力山本浩綱」

 

 

 

「同じく内同心山口善次郎、山本先生の一番弟子でもある」

 

 

 

内同心とは、大垣藩の家禄を得ているのではなく、小原の私兵とも言うべく存在だ。

 

利之助に絡んでいた善次郎は同じ大垣藩士であった。

 

 

 

「申し訳ございませぬ。ご家老様とは知らぬこととは言え無礼の数々。どうかどうか責は私一人目に」

 

 

 

利之助は父や兄に罪が飛び火せぬように布団から飛び出しひれ伏した。

 

 

 

「坂下利之助と申したな」

 

 

 

山本が口火をきった

 

 

 

「はっ」

 

 

 

 

 

家老直臣より裁きが言い渡される。

 

 

 

「お主には大垣へ戻るように命ずる」

 

 

 

「はっ」

 

 

 

頭を擦り付けたまま利之助は応えた。それを見た小原が命じた。

 

 

 

「大垣藩領に戻り・・・」

 

 

 

利之助の処分が言い渡される。

 

 

 

「藩に戻り次第、山本より剣術を学べ。良いな」

 

 

 

「へ?」

 

 

 

利之助は赦しもなく顔を唖然とした。

 

 

 

「加えて此度の働きを以て、坂下家から、

 

小宮山の名跡を与え士分として取り立てる。今日より小宮山利之助と名乗れ。

 

小宮山利之助は内同心見廻り役として十石三人扶持を与えることとする。良いな?」

 

 

 

「な、なにごとにございますか?何故、斯様な過分な。処罰ではなくお取立て頂くことは何も・・・」

 

 

 

「十石では不服か?」

 

 

 

「禄の問題ではございません。坂下の家より家禄が多いぐらいです

 

 

 

 

 

「確かに禄のことではございませんな」

 

 

 

利之助に変わり山本が応えた。

 

 

 

「小宮山の名跡を継ぐことは小原様の命でよろしいが、門弟にくわえるかどうかまできめられては困ります」

 

 

 

「ほう、お主が門弟を選ぶか」

 

 

 

「平法はそうそう操ることは出来ませぬ。

 

故に私を直臣されたのでしょ。ただ剣術をみにつけさせたいのであれば

 

大垣の師範が勤める道場を推挙頂きたい」

 

 

 

 

「山本、如何にすればこやつをお前の弟子にする」

 

 

 

「左様、善次郎から一本取れば弟子に加え、私自らが鍛えることをお約束致しましょう」

 

 

 

「では決まりじゃ。利之助、お主は今ここで善次郎と立合いを致せ」

 

 

 

「ご家老様と言え勝手すぎます。私には坂下の家があります」

 

 

 

「咎はおのれひとりで負うと申した。

 

故にお主がひとりで責を追えるよう名跡と士分、責を果たすための命を与えたのじゃ。

 

それが不服と申すのであれば・・・」

 

 

 

 

 

「わかりました。坂下の家の者として士分小宮山の名跡、ありがたく頂戴いたします。

 

坂下の家の者が算術だけではないことを示す為、善次郎殿を打ちのめします」

 

 

 

 

算術方である坂下家がバカにされたように思った利之助は意地になった。

 

 

 

 

「利之助、云った限りは為せよ」

 

 

 

山本は一振りの真剣を利之助の眼前に突き出した。

 

両の腕で山本から手渡された刀の鞘を握った。

 

 

 

「これは・・・」

 

 

 

握りしめた鞘を見つめながら利之助が呟いた。

 

 

 

「お前のなまくら刀では勝負にならん。私の刀だ」

 

 

 

 

 

「いや。そうではなく。立合いに何故真剣を用いるのかと聞いておるのです」

 

 

 

利之助の声は上擦った。

 

 

 

「誰が竹刀や木刀を用いるなどと申した?」

 

 

 

「真剣であれば善次郎殿を殺めることになります。覚悟もない私には・・・」

 

 

 

「たわけ!!!お主が勝つとでも?善次郎、構わん。斬れ。

 

 

 

 

 

利之助の言葉が傲慢に聞こえたのであろうか、殺し合いをしたくないと言葉を発したつもりが拒絶された。

 

人の生き死には表と裏のように遠いようでもっとも距離などない刹那のことであることを利之助は感じた。

 

手にした鞘を握り締め利之助は立ち上がり、陣中の中に設けられていた中庭に眼を向けた。

 

利之助の目線に応えるようにやり取りを聴いていた善次郎が声を発した。

 

 

 

「大垣藩見廻り同心にて二階堂平法免許皆伝山口善次郎。一手立合いを願いたい」

 

 

 

善次郎は利之助に一礼をした後、中庭へふわっと跳んだ。

 

善次郎の動きは綿花のように宙を舞っていた。

 

 

 

利之助はその動きの美しさに言葉を失った。

 

歳が近いのにもかかわらず剣術を極めた者は斯様に美しき所作に振る舞いなのだと。

 

 

 

利之助は小ばかにした男ではない。

 

二階堂平法を身につけた剣士善次郎がそこにはいた。

 

 

 

利之助は善次郎の操る流派を知らない。

 

いや正確に云うならば利之助は剣術の流派を全くと言ってしらない。

 

 

 

講談で出てくる流派の名を知るぐらいだがそれが具体的にどのような技なのかはわからない。

 

 

我流で振ってきた。

 

剣術を習えない苛立ちや周囲にバカにされることも

 

無心になるまで振り続けてきた。

 

 

 

感じたことはひとつだけあった。

 

 

 

水の流れが刀のように思えたときがあった。

 

無理やりに力任せに振っても木刀は空を斬ることがない。

 

 

 

赤坂湊の流を見つめながら振ったあの日だけは違った。

 

水の流れを泳いでいるようだった。

 

 

何故自分が木刀を振るうことが出来たのか、

 

毎日の鍛錬の成果かはわからなかったが利之助は

 

その日を境に赤坂湊で負けなしの男になった。

 

 

 

善次郎の待つ中庭に降りる前に一息を吐き目の前の小原と山本に一礼し荒々しく飛び立った。

 

背中を見つめ山本が利之助に届かぬ声で一言

 

 

 

「龍の子の血・・・見せてみよ」

 

 

 

利之助が中庭に立ち

 

 

 

「大垣藩算術方坂下家次男利之助。流派はない。己が知る流れを信じる」

 

 

 

善次郎はゆっくりと刀を抜き正眼で構えた。

 

利之助も刀を抜き、切先を下し眼光を突き上げた。突き上げられた眼光が善次郎に突き刺さっていた。

 

利之助の眼光を観た山本の眼は細くなった。

 

二本の刃に耀が灯り、善次郎は間合いを詰めようとするが砂利の音さえせず二人の動きはとまった。

 

長い時間が二人の間に流れていた。

 

 

 

「利之助は性根が座っておらぬ故動けんのは解せるが、何故善次郎は動かぬ。遊んでおるのか?

 

 

 

 

 

「小原様。善次郎は動けんのです」

 

 

 

「動けんだと」

 

 

 

「二人とも動けば一刀で死にます」

 

 

 

善次郎は恐怖を覚えていた。

 

 

人を斬ったことはある。

 

その際の手のしびれは今でも覚えている。

 

その日の血の香も忘れすることはない。

 

 

 

善次郎が感じている恐怖は死と直面していることだと気付くことはなかった。

 

 

善次郎の本能が正眼の構えから動きを変え、

 

左が柄から離れ、脇差の柄に手がかかりかけた瞬間だった。

 

 

 

 

 

「善次郎!!誰が奥伝を赦した。

 

        勝負は決した。利之助、お前の勝ちだ。」

 

 

 

利之助は何故勝利と云われたのかもわからなかったが全身から力が抜けまた卒倒した。

 

 

 

「善次郎、動けなかったか?」

 

 

 

「先生、初めてです。」

 

 

 

「死を感じたか」

 

 

 

「死・・・でしたか」

 

 

 

倒れ込んでいる利之助がみせた眼光は人を斬る覚悟を定めた者の目。

 

人を殺めることにためらいのない眼であった。

 

 

 

「鞘の理を身につけさせんといけません。」

 

 

 

「小宮山のこと。委細承知の上で良いな山本」

 

 

 

「輪廻の廻りあわせからは逃れられません。定めかと。」

 

 

 

「頼む」

 

 

 

「善次郎、お主は利之助と再び修行へ戻れ」

 

 

 

 

 

利之助と山本、小原は出会い、

 

剣士たちの行く末は黒船の吐く黒煙よりも大きな暗雲に包み込まれようとしていた。