四手 大塩平八郎

 

4-1 可兒の涙

 

桜の花が散りゆく中、

 

大垣藩老小原と饅頭同心の姿は大垣城下の饅頭屋の前にあった。

 

 

 

 

 

ふたりの目のまえを童たちが遊びながら唄を口にした。

 

 

 

「大潮(大塩)か、黒鬼(黒船)か」

 

 

 

 

 

童は唄の意を知っていないことは承知、民が口ずさんでいるのを聞き覚えてしまった。

 

日本国内の治世は乱れ始めていることを示していた。

 

 

 

 

 

大潮は二百年の泰平に蔓延った役人の不正への怒りが爆発した武士による武力蜂起。

 

 

大坂を預かる奉行は、蜂起に参加した三百を鎮圧するため三千の幕兵を動員したが、

 

大坂の町の5分の一を焼失するに至った。

 

 

 

「大塩平八郎の乱」である。

 

 

 

 

事の発端は江戸三大飢饉とも云われた飢饉が襲い餓死者も出る中、

 

幕府直轄領商都大坂を預かる幕府役人と豪商の癒着により米の値は高天井に引き上げられた。

 

 

 

 

大塩平八郎は役人の不正を書き留めた訴状を幕府老中に届けるべく蜂起したが

 

訴状が幕政に届くことはなかった。

 

幕兵に囲まれた大塩平八郎ら首謀者は自ら爆死したが奉行所で遺骸の確認が出来ず生存説が

 

風に乗り流れ日本各地で「大塩党」を名乗る一揆や武力蜂起へと伝播した。

 

 

 

 

幕政を揺るがすに至り、

 

乱に加わった残党・一族郎党、町民、農民にまで厳しい探索が行われ、

 

名は残されていないが大垣藩から参じた者もあったと噂もあった為、大垣藩にも探索の厳命は及んだ。

 

 

「黒鬼」は日本各地に姿を見せる異国船。

 

大垣藩主戸田氏との縁戚を頼りに浦賀奉行が浦賀の警護に助勢を頼んだこと。

 

美濃路が東西の人の流れと共に情勢も流れこむこともあり幕政を倒そうとする力が世に

 

溢れていることが狂歌となり江戸でも唄われていた。

 

 

 

 

 

「大潮(大塩)か、黒鬼(黒船)か」

 

童が遠目になったころ利之助が口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「ご隠居、何故、私は此度の任から外されたのですか」

 

 

 

藩老小原と饅頭屋で逢うときには、小原鉄心ではなく、饅頭屋の隠居として。

 

 

 

 

 

山本、善次郎らが率いる有士隊は既に黒鬼探索のため大垣城下を発った。

 

利之助も三番隊から健脚な者を選りすぐり整えを終えていたが発つことは許されなかった。

 

小原は藩政を一手に背負っているわけではない。家老、重臣らと合議で藩政を動かしている。

 

 

 

「農兵に任せるのは大垣の武名に泥を塗る」と横槍をいれた者があり、

 

天領も多く御三家尾張藩の眼もある木曽路への探索には格式の高い者が任にあたることになった。

 

 

 

 

「お主には美濃路宿を守る役目があろう」

 

小原の当たり前の言葉に、利之助は苛立った。

 

 

 

「体裁や見栄の為に剣があるのではありません」

 

 

 

「わかっておる」

 

 

 

利之助の剣腕に加え兵法家としての才幹もあることを知る小原も涼しげな眼とは裏腹に

 

腹の中は煮えくりかえっていた。

 

 

 

二人の険悪な間を切り開くように叫ぶ声が響く。

 

 

 

「小原様!!小原様!!」

 

 

 

小原の屋敷に仕えている小者が慌てふためき「隠居」と呼ぶことさえ忘れている。

 

周囲を気にした利之助が機転を利かせた。

 

 

 

「小原様にお伝えすることがあるのだな。私が必ず伝える。さあ申せ」

 

利之助に眼で制された小者

 

 

 

「饅頭同心・・・」

 

小者は我に返った。

 

 

 

「すんません。

 

取り乱しまして、お城にあがっておられる小原様に急ぎお屋敷に戻るようお伝えいただけますか」

 

 

 

 

 

「相わかった。私の代わりにご隠居を家までお送りしてくれぬか」

 

 

利之助は滑稽な猿芝居を演じ城に向かうふりをした。

 

 

 

 

城に向かうふりだけした利之助は雫と幸が待つ家に戻った。

 

利之助の表情に不安を隠せない雫であったが父の帰りを幸は素直に喜び利之助に甘えた。

 

数刻の後「船町奉行所へ出向け」と小原からの使いが現れた。

 

 

 

「支度を。詰所へ報せも頼む」

 

雫に短く伝えた。

 

 

 

顔面蒼白となった使いの様子から急を報せるものであり万が一に備え有士隊を詰所に集めるように伝えた。

 

利之助は四半時もかからずに駆け付けた。

 

船町奉行所は怒号と叫び声が入り混じり物々しい騒ぎとなっていた。

 

 

「黒鬼の襲撃か・・」

 

 

 

利之助の勘は的を遠く外していない。

 

奉行所の庭に三名の骸が並べられ、骸にすがり泣く者の姿をみつけた。

 

 

 

「まさか・・・」

 

 

 

亡骸は利之助らに代わりは木曽路へ向かった大垣藩士たちで、

 

家格だけではなく三名とも文武に優れ、将来の藩政での活躍が期待された若侍だ。

 

躯となったひとりとは剣の稽古をつけたこともあり腕前も十分であった。

 

 

小原が利之助に寄り声をかけた。

 

 

 

「湊に三名の躯が流れ着いた」

 

三名の躯に手をあわせ、それぞれの死因を確認した。

 

 

 

「溺死ではない」

 

小原が短くいう。

 

 

 

三名は左肩口から背まで届くほど斬り傷がひとつ。

 

かまいたちにあったかのようにぱっくりとわれている。

 

 

正面からの一撃で不意打ちではない。

 

傷口が同じことから同一流派の者と推測できるが利之助の考えは異なっていた。

 

 

 

「ひとり相手に・・」

 

 

 

「ひとりじゃと?」

 

小原の顔が歪む。

 

 

 

「薩摩の示現流に近い」

 

 

 

「薩摩・・」

 

 

 

薩摩藩では幕政や公武合体に反対した一派が藩主によって粛清されていた。

 

一派の残党が幕府転覆を狙い黒鬼となったのか。

 

 

 

「大垣にとって薩摩は大恩人」

 

 

 

水害に苦しんだ西美濃の治水工事を幕命のもと借財を背負ってまで担った薩摩藩。

 

 

工事の完遂を見届けた薩摩藩士は借財を背負った責任を取り切腹し果てた。

 

西美濃一帯では「薩摩義士」として慰霊を讃え参勤で往来する薩摩に好意的な者も多い。

 

 

 

「わかっております。示現流に近い・・しかし、見たことのない太刀筋です」

 

 

 

「左様か」

 

 

 

小原と利之助のやりとりをみつめていた刀剣より身体の小さな少年が怒りに満ちた眼で泣きながら叫んだ。

 

 

 

「お前が饅頭を食べて遊び惚けていたからだ。」

 

 

 

少年は手に握りしめた紙で利之助の胸を何度もたたいた。

 

体が崩れ落ちそうになるのを受け止めた利之助の眼に一文がはいった。

 

 

 

「大垣は大潮の黒鬼が呑む」

 

大垣藩士は黒鬼によって惨殺された。惨殺はこの後も大垣に災いをもたらす予告だ。

 

 

 

「すまぬ」

 

少年に返す言葉はほかになかった。

 

 

 

「名は、名はなんと申す。」

 

少年は利之助を睨み名乗った。

 

 

 

「幾太郎。可兒幾太郎じゃ。」

 

 

 

「幾太郎。必ず仇はこの手で。」

 

幾太郎の手を握ろうとした利之助の手を払い退けた。

 

 

 

「饅頭同心に何ができる」

 

涙を拭ってひとりの躯を抱きしめていた。

 

 

 

「幾太郎は兄を失った」

 

利之助が稽古をつけた相手が幾太郎の兄であったことを知った。

 

 

 

「無念は晴らす」

 

軋む音が小原にわかるほど鞘を握る手に力がはいっていた。

 

 

 

「ご藩老様。有士隊三番隊に下知くださいませ。私が必ず・・・」

 

 

 

「一番隊隊長が戻ってからだ」

 

 

 

「悠長なことを」

 

 

 

「愚か者!

 

 大垣城下を守ることがお主らの役目。

 

 城下警備を手薄にさせる黒鬼の策であったら如何する」

 

 

 

城下への襲撃も可能性として高い。

 

少年への誓いを守り領民を守るためにも、小原の判断は正しかった。

 

 

 

「はっ」

 

短い返答であったが小原は眠っていた龍の血を怒りで燃え上がる利之助の眼の中にみつけていた。

 

 

 

利之助は有士隊を預かる身であるが、船町奉行所の見廻り同心である。

 

 

 

探索に出た隊が戻るまで、領内にある美濃路一帯の宿場の見廻りを増やし、

 

湊につく荷やひとにも警戒を強めた。

 

 

 

揖斐川周辺に黒鬼の根城があると読んだからだ。

 

だが利之助の読み通りにことは運ばず、

 

黒鬼の噂のみが広がりその影さえもみることが出来ず歳月は過ぎ探索に出ていた山本らも戻った。