五手 和田大火

 

5-4 兄弟激突

 

 

 

やゑは彦根に奉公に出る前、将来の約束を交わした相手がいた。

 

 

 

小原が友として交誼を交わした者だった。

 

 

 

大坂で幕臣大塩平八郎が挙兵をし鎮圧される乱がおこった。

 

 

この乱にその者の父も加担し、藩は幕府の追及を避けるため隠密裏に父に追手を差し向け討ち取った。

 

その者家族も連座するように藩を追われた。

 

 

 

 

加担し討ち取られた者の名は小宮山利益。

 

慕っていた者の名は高利。

 

 

 

高利は、混乱し記憶を喪失した弟を託しすゑの前を去った。

 

すゑも奉公が決まり赤坂湊にある親戚へ預けた。

 

 

 

 

桜田門の変で大垣に戻りすゑが小原の力添えで饅頭屋をだすことになり

 

訪れた若侍をみて運命というものがあることを感じた。

 

 

 

高利の面影を写していたからだ。

 

 

 

大垣藩士が惨殺された日、大垣の饅頭屋に幼い日の面影がわずかに残る高利が現れた。

 

 

「国が父を罪人に貶めた。父の無念を晴らす為、俺は国を潰す。」

 

 

 

やゑはことの子細を小原に伝えた。

 

 

 

 

 

「黒鬼が大垣の者であったのか。」

 

 

 

「やゑ様が幼子を預けたのは坂下の御家」

 

 

 

「馬鹿なことを申すな」

 

 

 

「では、私が、その高利、黒鬼の弟と申すか!」

 

 

 

「兄上は、兄弟が剣を交えることを危惧し、

 

 利之助様を大垣より遠い下諏訪まで出向かせたのです」

 

 

 

「・・・」

 

 

 

「それが、ここで天狗、黒鬼とぶつかれば・・」

 

 

 

「私は、赤坂湊の算用方坂下の次男坊だ。兄も坂下。

 

 小宮山の名は藩老様より預かっただけのこと。

 

 黒鬼の血縁などあり得ん」

 

 

 

 

利之助は動揺していた。

 

 

 

「ねえさん。黒鬼ってやつと天狗が同じ者とは限らん。

 

一致しているのは、天下万民の路に仇をなす敵だってことだ」

 

 

 

雪村がふたりの間にはいった。

 

 

黄昏時を迎えようとしていたが喜平太は下諏訪へむかった。

 

 

 

 

雪村が裏手より侵入しおなごたちを救出する。

 

利之助と雫は表より討ち入る。

 

囮になることを利之助が譲らなかった。

 

 

 

清次郎は救出を成功させるため、

 

雪村が囮にならず砦内部でことに対処することを優先させることで両者は納得した。

 

 

 

「激情にかられ、お命を無駄になさいますな。

 

 貴殿の死は、背を守る者の死ですぞ」

 

 

 

 

出立前に清次郎にかけられた声が頭の中に反芻していた。

 

 

 

雫が語ったことの動揺、雫と山本に偽りをもって歩まされたことにへの憤り、

 

 

幾太郎との約定を果たせない焦り、

 

 

経験したことない心の揺らぎを感じていた。

 

 

 

 

苛立ちを隠せない利之助の右の拳を温かく柔らかな感覚が包んだ。

 

 

 

 

 

「利之助様。お叱りは大垣にもどりお受けいたします。

 

 

いまは幸のため、生きて帰るため、娘を質にとられた親のため、戦うことを約束してください」

 

 

 

 

 

「ダメだ」

 

雫の顔を見ない。

 

 

 

「すみません」

 

雫は手を放そうとした。

 

 

 

「ひとつ足りん。雫を守るためがないぞ」

 

利之助は雫の手に己の手を重ねた。

 

 

 

「利之助様」

 

眼から涙が零れ落ちそうになる。

 

 

 

「雫が私の鞘なのであろう。憎しみや怒り情に囚われぬように」

 

 

 

「はい」

 

泪は振るい笑ってみせた。

 

 

 

「必ず、私の背に。いいな」

 

 

 

「必ず」

 

 

 

「今は剣士山本雫として力を借りるぞ」

 

 

 

「はい。剣士小宮山雫としてならば。」

 

 

 

 

 

「よし!」

 

雫がうなずく。

 

ふたりは茂みから駆け出す。

 

 

 

茂みを駆け抜けるはやさは傾斜も気にかけないほどだ。

 

雫もはやい。

 

 

夜陰ではあるが月明りが強く門に近寄る間に見つけられる。

 

 

門のまわり、見張り台の櫓にいる人数は目でおえた。

 

 

櫓の者は雪村と卓三の石礫が制する手筈。

 

 

砦といっても守るためにつくったものではない襲撃の根城。

 

防御の備えは戦国期さながらということなはい。

 

 

 

 

 

 

 

空を斬る音が夜陰に響き櫓で倒れる音がふたつ。

 

 

櫓の上から弓で狙われることなく門まで駆けられる。

 

 

 

二人は駆け上がる脚をさらにはやめた。

 

襲撃など予想もしていない門の見張りであろう二名は門の脇に座り込み話し込んでいる。

 

 

頭目が滞在しているとは思えない気の緩み。

 

 

 

 

試合ではない敵に名乗る必要はない。

 

利之助は太めの枝を手にしていた。

 

 

門で座り込むふたりの目に利之助がうつった次の瞬間、

 

鈍い音がふたつ、

 

砕けた枝が地に落ちると同時に門のふたりは倒れこんだ。

 

 

 

 

 

枝とはいえ利之助の剣腕だ。

 

 

命は奪われていないが気絶ですむはずもない。

 

しばらくは立つこともできないだろう。

 

 

 

無用な殺生を好まない利之助の性分であるが、

 

山本はこの性分が命取りだと度々指摘していた。

 

 

 

 

 

「利之助様。よろしいのですか」

 

 

 

「裁きは別だ。いまは成すことを致すぞ」

 

 

 

 

 

倒れこんだ二人の棒を手に取った二人は砦に乗り込んだ。

 

先ほどまでの動揺は潜み冷静な利之助は制圧する手段を講じていた。

 

所々でたき火がたかれ酒宴がひらかれている。

 

郭がふたつ、奥の郭に小屋がふたつ、手前の郭に櫓と大きな小屋が三つ。

 

利之助たちの役は手前の郭にいる者を引き付けること。

 

さらに退路となる一の門の死守だ。

 

 

 

酒宴に舞踊る踊り子のように二人はひとつのたき火を囲む者の中に割って入った。

 

 

 

雫はわずか微笑んだか、棒を扱い急所をついた。

 

 

利之助、雫の動きが一糸乱れぬ舞にみえた。

 

 

たき火の火の粉が飛び散りドッと湧く、

 

酔っていたか突然のことに遊興かとほかのたき火を囲む者から囃し声があがる。

 

 

 

「五人」

 

門へ入ってわずかで五人を動けない体にしてしまった。

 

 

 

囃し声も倒れこんだ仲間を見て豹変する。

 

 

 

「お前ら!!」

 

 

 

ざわめいたが次のたき火に舞が飛び移り三名が倒れた。

 

ここでことの異常さに気付いた。

 

 

 

「敵襲!敵襲!」「見張りは何してんだ!」

 

 

 

動きを緩めることなく、舞はつづいた。

 

 

 

「ほう。あの二人、囮を買って出るだけのことはある。」

 

 

平助は虎口とよばれる砦の裏手の茂みより他人事のようにいう。

 

 

 

 

「あにぃ。感心してないで」

 

 

 

 

「そうですよ。こっちはこっちでやらねばなりませんよ」

 

清次郎も急く。

 

 

 

 

「俺が討ってでる。

 

 お前らはおなごたちを助けたら小宮山殿が開けた一の門から走って宿場まで逃げろ。」

 

 

 

「あにぃは?」

 

 

 

「戦の一番槍は譲ったんだ。

 

大将戦と殿(しんがり)は俺の手柄にしたいね」

 

 

 

 

「相変わらずですね」

 

 

 

「性分は変わらないさ」

 

 

 

「こっちもいくぞ」

 

幼子からの付き合いの平助と清次郎互いの性分を熟知していた。

 

 

 

場面は再び舞をつづけるふたりへ

 

 

 

「利之助様!」

 

 

 

「お前も感じるか」

 

 

 

ふたりで倒した敵は10を数える。ふたりを囲む敵も10を数える。

 

 

 

「弓を持つ者がいない」

 

 

 

「まるで、はじめから相手をする気がないように

 

 

 

 

 

二人の洞察力は間違いなかった。

 

 

 

「へへへ。御頭はお前らなんぞ相手にしねえ」

 

囲みを広くとりはじめた。

 

 

 

 

「親玉を逃がす時を稼ぐことが狙いか」

 

利之助が間合いを図り叫ぶ。

 

 

 

闇の中、紅い光が奔り囲みの一角が崩れた。

 

 

 

「小宮山!!」

 

雪村の一閃だ。

 

 

 

「頭目がいない。警備があまりにも薄い。」

 

 

 

 

 

「平助!小宮山殿!!狙いは宿場だ。」

 

和田宿の方角から火の手があがっているのをさした。

 

 

 

 

「ハハハハ」「今頃、宿場は生き地獄よ。」

 

 

 

「お前たちは何がしたいのだ!!」

 

吠えたのは利之助だ。

 

 

 

 

「幕政や藩政に不満があるならば何故弱きものを虐げる。」

 

 

 

「強きになびき弱きものを見捨てる。それが幕府や藩ってものだ」

 

 

 

「俺たちを責めるならともに幕府を倒せばいい」

 

 

 

「ふざけるな!おまえらがやっていることは幕府とはかかわらん人を苦しめてるだけだ

 

 

 

 

 

「小宮山殿。問答してるときはない。」

 

 

 

「たぶん。ここにおるのは主義も主張ももたない快楽に溺れた天狗の捨て駒」

 

清次郎

 

 

 

「そうだろうな。尊王も倒幕もないただの野党を囮にした感じだな」

 

雪村がつづく。

 

 

 

「黙れ!」

 

一斉に襲い掛かるが、三名の剣客の前に抵抗力はまたたくまに奪われた。

 

 

 

「芦田殿はおなごを連れて安全なところへ。」

 

 

 

「清次郎。和田も長久保もダメだ。武石の信定寺に救いを求めろ」

 

 

 

「敵の畜生働き食い止めたい。お二方、修羅場だが付き合ってもらうぞ」

 

 

 

「問答のときはないのであろう。道案内を頼む」

 

 

 

「卓三、先頭を走れ。遠慮しなくていい」

 

 

 

「あいよ」

 

 

 

救出したおなごには芦田清次郎と二人の者をつけた。

 

 

 

和田宿に走るのは、先頭の卓三、続く雪村、利之助、雫、あわせて4名

 

砦で打倒した数は20。和田宿で火を放っているのは30ほど。

 

清次郎が救援を求めても近隣の上田藩からの来援はすぐにはのぞめない。

 

駆けながらでも利之助は圧倒的な数的不利と和田宿の地の利も薄いことに勝算がないことを感じていた。

 

「雪村殿、策はあるのか」

 

 

 

「ない。だが。

 

 俺一人で戦うよりも圧倒的に有利だ」

 

 

 

「雪村殿は、ひとりで戦うつもりだったのか」

 

 

 

「勝負は数じゃない。」

 

 

 

「確かに」

 

 

 

「あにぃ」

 

 

 

獣道の先頭を駆ける卓三は夜道でもまっすぐに進む。

 

半鐘の音に交じり悲鳴が聞こえる。

 

黒煙は浦賀でみた異国船が噴き出した煙を感じ、利之助にはじめて人と斬り結んだときを思い出した。

 

あのときも相手の人数など考えていなかった。

 

眼の前のことに夢中であった。

 

いまともに駆けている者も同じ考えである。それが心強い。

 

 

 

「抜けるよ」

 

先頭の卓三が小さく伝えた。

 

 

 

「小宮山殿。抜刀しろ」

 

 

 

獣道を駆けた四名は脇本陣がほど近い社に飛び出し宿場の中央に駆け込む。

 

 

 

「小宮山殿は下諏訪に向かって、俺は長久保にむかって」

 

地の利のない利之助にもわかりやすい指示だ。

 

 

 

「心得た」

 

 

 

「卓三、お前は俺から離れるな」

 

 

 

「あいよ」

 

 

 

「いくぞ」

 

 

 

四名が飛び出した宿場町の往来は、飛び交う悲鳴も炎と煙に包まれていた。

 

倒れこむ者が宿場の者か旅の者かもわからない。

 

歴史ではこの年の出来事を「和田大火」と記されている。

 

倒れこむ者には絶命しているものもいる息のある者も、修羅場だ。

 

 

 

駆ける足を止めて息のある者に駆け寄る雫

 

 

 

「雫、いまは心を鬼にせよ」

 

 

 

 

 

息が途絶えながらその者は炎の奥を指さした。

 

 

 

「無念は晴らす」

 

 

 

長久保(東)に向かった方向からは剣戟の音が響きだした。

 

 

 

「我らも」

 

  「はい」

 

 

 

和田宿は現在の距離にして東西八〇〇メートルほど。

 

中央に本陣と脇本陣があり、脇本陣から一〇〇メートルほどで大黒屋だ。

 

互いに四〇〇メートルを受け持つ。

 

 

 

「利之助様!」

 

 

 

利之助の目前で子供脇に抱え助けを求める者が無残に斬られた。

 

 

 

「おっと~!!!」

 

倒れこんだ者の下で子供が泣き叫ぶ。

 

 

 

「天狗か!!」

 

両腕の毛が逆立ち怒髪天をつき、眼は細身を増した。

 

「おうよ!て・・ん・・」

 

男は最後まで声を発する前に倒れた。

 

 

 

「おっとう、おっとう、起きてよ」

 

 

 

「おっとうは生きておる。助けが来るまでここを抑えていて」

 

 

 

雫が子供に急所を押えさせた。

 

 

 

炎のなかから数名の武装した者が現れる。

 

 

 

「口上の前に斬るとは士道を知らんのだね」

 

 

「詰まらん大儀とやらをかざす士分か。斬っちまえ

 

 

 

 

 

「お前らは天狗か。」

 

眼を細め利之助は一歩一歩すすんでいく。

 

 

 

「天狗様だ!美濃あたりじゃ、黒・・お・・」

 

 

 

半歩手前に立っていた男の喉は一閃で裂かれ倒れ、隣のものに血しぶきは飛散した。

 

 

 

一瞬の出来事に戸惑う間もなく隣の者の喉元に切先が突きささり、

 

抜ききる勢いを借り後ろにいた男二人の肩口と脇を斬り裂いた。

 

 

 

人を斬ることへの躊躇いを捨てている利之助の速さには雫もついていけなかった。

 

 

 

「兄が恐れる利之助様の力・・・」

 

瞬時にして4名、大垣両川と謡われる剣士の強さは速さだけではない。非情さにある。

 

 

 

「畜生働きに名はいらん。天狗と名乗るのも賤しき心故だ」

 

倒れこんだ二名に投げ捨てるように放つ。

 

 

 

「天狗は、幕府の賤しさを糺すために立ち上がった者よ」

 

炎の中から通る声がした。

 

 

 

「幕府の犬だ。斬れ」

 

煙のなかから新手が襲い掛かってくる。

 

 

 

「雫、私より後ろに逃れたものを斬れ」

 

飛び出してくる者を冷静にとらえた利之助の眼

 

雫に斬れと命じるのは非情にも思えるが、先ほど命をひろった子供がいることを利之助は考えている。

 

雫は守るために非情になる利之助の覚悟を感じ、うなづいた。

 

 

 

 

 

 

気勢をあげた2名がほぼ同時の間で利之助を狙った。

 

先ほどまでとは異なり、剣の鍛錬を積みひとを殺めてきた技があった。

 

 

 

刹那の差であるが利之助の左を狙った者が速かった。

 

 

 

刹那を見極めたかのように左から振り下ろされる刀を払いあげ、

 

つづき右から振り下ろされる刀を払い落とした。

 

 

 

同時とみえた攻撃を捌いた利之助は動きを止めず、右側の者の腹を突き刺した。

 

 

 

 

突き刺すことで生じる隙を狙い一手目を仕掛けた者が再び刀を振り下ろした、

 

 

利之助は腹に刀の突き刺さった男の肩口を左手で引き寄せ刃の盾にした。

 

 

 

 

 

深く腹を突き刺す感覚が手にのしかかる。

 

肩口から仲間の手にも斬られた。

 

 

 

 

苦悶の表情に満ちる男の顔をみることなく刀は引き抜かれ地に沈んだ。

 

 

 

 

雫に斬らせまいとする利之助だ。

 

 

 

 

 

「幕府の犬め!」

 

 

劣勢にたじろきながらも向かってくる。

 

 

 

同じ太刀筋を見切った利之助の敵ではなかった。

 

 

 

 

「私利私欲の為に振るう刃ではない・・」

 

 

最期の一手に込められた男から感じたことを利之助は口にした。

 

 

 

 

 

 

炎の勢いは増していく。

 

 

この炎であれば近隣の村々から口伝に近隣諸藩へ報せも届く。

 

 

 

 

救援は望めなくとも、闘いの処理には応援がくる。

 

 

 

いまは天狗と呼ばれる者たちを退け、ひとりでも多くの者を逃すことが第一義。

 

 

 

 

 

利之助の剣技を一番にしる雫、雫の剣技を知る利之助。

 

 

 

 

二階堂平法を修めたふたりは阿吽の呼吸で剣を振るった。

 

 

多勢に無勢であるが炎上によって動ける場が狭いことを逆手にとり場を制していた。

 

 

「犬にしておくのは勿体ない。

 

 だが、犬は飼い主を選べぬ。才があっても、犬でしかない」

 

 

 

 

 

猛狂う炎のなか声が響く。

 

 

 

「鬼畜生に比べれば、犬であるほうが万倍もましだ」

 

 

 

「ほう。我らが鬼畜生・・・」

 

 

 

「ああ。罪なき者を殺め、害なき民を巻き込む。」

 

 

 

「罪人を殺めることは正しいと申すか」

 

 

 

「禅問答などよい。お主が頭目であろう姿を見せよ」

 

利之助は苛立った。

 

 

 

「お前は何人を殺めた。お前がいま斬った男は幕府の非道を糺すために立った男だ」

 

 

 

「幕府の非道。宮様と将軍家とのつながりを結ぶことか。」

 

 

 

「左様なことは手段にすぎん」

 

 

 

「権威に囚われた体制に虐げられた者の恨みを晴らす為

 

 不正を糺すために立ち上がり命を懸けた者たちの無念を晴らす為

 

 

 闇に葬られた者の無念。

 

 

 不条理を大儀の一言で泰平と呼ぶ輩すべてが敵」

 

 

炎のなかから畳みかけるように語り掛ける。

 

 

 

 

 

「黙れ!幕政に怒りを持ったとしても民は国を耕す宝。それを虐げることが許せん」

 

 

 

 

利之助は誘いにのって前に出る。

 

 

 

「利之助様!!」

 

雫の叫び声で直感的に左に体をひねり飛んだ。

 

 

 

「ほう。避けたか」

 

突如炎の中から突き出された黒い槍

 

 

槍を手にした男が悠然と姿を見せた。

 

 

 

 

身の丈は利之助より3寸(約10センチ)高く、腕は利之助の倍ほどに太い。

 

 

 

 

「強い」利之助、雫は直感した。

 

 

 

 

「お前が天狗の頭目か」

 

体制を立て直した利之助は問う。

 

 

 

 

 

「天狗、黒鬼。勝手に名をつけてくれるものよ。」

 

槍を肩で担いでみせたが隙がない。

 

 

 

 

「黒鬼・・・だと」

 

 

 

 

利之助の刀を握る手が強くなった。

 

 

 

 

「美濃ではそう呼ばれておる」

 

 

 

 

「では・・・貴方が・・・」

 

雫が唖然とする。

 

 

 

 

 

「雫、このような者が兄な訳がない!!」

 

 

 

 

「おんな。兄・・なんのことを申して居る。

 

                    そんな暇はなかろう」

 

 

 

 

 

雫の肩口を狙い槍が振り下ろされた。

 

 

 

不意をつかれても剣士として一流の雫だ。

 

抜刀し槍を捌こうとしたが刀ごと吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

「雫!!!」

 

 

 

 

駆け寄ろうとした利之助の腹に槍の束がつきささる。

 

 

 

形勢は逆転していた。

 

 

 

鳩尾(みぞおち)を狙った一撃で、利之助は息をすることも苦しみ地に伏せた。

 

 

 

 

 

 

「和田の大火はこれよりはじまる国を燃やす狼煙。お前は人柱となれ!」

 

 

 

倒れこんだ利之助に穂先はむけられた。

 

 

 

 

 

 

「利之助様」

 

倒れこみながら雫が叫んだ。

 

 

 

 

 

「利之助・・・だと」

 

穂先が利之助の喉元寸前でとまった。

 

 

 

 

 

「幕臣ではなく、大垣藩士小宮山利之助様です。小宮山利益(とします)様の子」

 

雫は声を絞り出した。

 

 

 

 

 

「大垣・・小宮山利益の子・・・」

 

 

 

 

 

 

「貴方はご存知ないでしょう。

 

 

   赤坂湊に預けらましたが藩の執政小原様に奉公し小宮山の名に戻られたのです」

 

 

 

「おんな。お前は何者だ」

 

 

 

 

 

 

「私はその方の妻。子細を知るのは、小原様にお仕えする兄山本、そしてこれを・・」

 

懐からすゑに預かった簪をだした。

 

 

 

 

 

「かんざし。山本・・・。」

 

黒鬼の手はとまった。

 

 

 

 

 

「小宮山利高様でございましょう」

 

 

 

 

 

「・・・」

 

 

 

「すゑ様が貴方の帰りをお待ちになっております」

 

 

 

「おんな。この者の妻だと云ったな」

 

 

 

踏みつけられたままの利之助はまだ息も整わず苦しんでいる。

 

 

 

「はい」

 

冷たい汗が流れる。

 

 

 

 

「では・・お前の兄山本が我が父小宮山利益を斬ったことも知っておるのか」

 

 

 

 

「兄が利之助様のお父上様を・・・そんなことは・・・」

 

 

 

 

「云うはずもないか・・・。小原も山本も、父を謀反人として斬り葬った」

 

 

 

 

「山本は父の推挙で小原に出仕できた。その恩を仇で返した畜生よ」

 

 

 

 

「兄がそのような・・・」

 

 

 

 

 

「雫、耳を貸すな・・逃げろ、

 

                       逃げて先生に助けを・・」

 

 

呻きながらも利之助が声をだした。

 

 

 

 

 

 

「利之助・・。

 

 幼かったお前が覚えていないのは責めぬ。

 

 

                         だが、父の敵に手を貸すことは許せん。

 

  父の無念を晴らす為、ともに来い。さすればおながは逃がしてやる」

 

 

 

踏みつけていた利之助の肩を持ち上げた。

 

 

 

 

 

「お父上様のご無念とは如何様なことか教えてください」

 

すがるように雫は声をかけた。

 

 

 

 

 

 

「まことに知らぬか。

 

 利之助も父の無念を知ればわしに手を貸すことが正しいと悟るだろう」

 

 

持ち上げた利之助を乱暴に地にたたきつけた。

 

 

 

 

 

「大塩平八郎殿は知っているか」

 

 

 

 

 

「大坂で民を扇動し謀反を起こした者」

 

 

 

「否!!」

 

こたえた雫を一括した。

 

 

 

「大塩平八郎殿は腐りきった幕政を糺そうと立った義士。

 

 

飢饉で民は飢えに苦しむ姿など見捨て大坂の幕府役人や豪商は

 

手を組み米を買い占め私腹を肥やした。

 

 

 

父利益は出向いた大坂で横行する役人の不正の横行を知り、

 

義憤に縁って立った大塩殿に与力した。

 

 

 

悪政を糺し苦しむ民を救おうと大垣の小原に配下であった山本を送った。

 

 

 

大坂の役人どもは己らの不正を大塩殿に押し付け

 

                          捕縛しようとしたため止む無く武装蜂起した。

 

武力による解決を望んだわけではない。

 

大塩殿は老中への直訴状を数名に託し大坂の不正を糺そうとした。」

 

黒鬼はつづける。

 

 

 

「だが!

 

     老中どころか幕府は不正を糺すどころか、

 

                 大塩殿を反乱者として鎮圧し、加担した者の一族も見せしめとした。」

 

 

 

「ご老中様も届けられた訴状は・・・」

 

雫は怒りに震える黒鬼に聞いた。

 

 

 

「訴状は握りつぶされた。

 

 大塩殿の訴状を託された父は箱根の関で無念の最期を遂げた。

 

    父を斬ったの追手は、   父を裏切った山本だ」

 

雫は声を失った。

 

 

 

 

 

 

「父の最期を報せてくれたのが、

 

                      利之助が切り殺したこの男だ。

 

 彼が大塩殿の訴状をワシに預けてくれた。

 

 父が謀反人ではなく大儀の為に散ったことを知り真相を隠そうとした小原や幕府が許せなくなった

 

 

 

 利之助のとなりに横たわる男をさした。」

 

 

 

「ワシは鬼となった。

 

 善人の面を被り私利私欲を肥やす悪党どもを喰らう、黒鬼にな」

 

 

 

 

「やゑ様は貴方のことを待っておられます。」

 

 

 

「小原の妾になって店をだしたおなごだ」

 

 

 

「小原様はすゑ様を妾になどしておらん!」

 

乱れた息を整えた利之助が黒鬼の手から逃れ、刀を正眼に構えなおした。

 

 

 

 

 

「ほう。整息の法を身につけるまでに至ったか」

 

一流の武芸者が身につける呼吸法のひとつである。

 

 

 

「義士の名を借り私利私欲に流され復讐鬼となるとは。」

 

 

 

「父の無念を果たせるなら復讐鬼と云われても構わぬ。」

 

 

 

「小宮山利益殿が・・・誠に義士として、義憤のもと戦ったのであれば、

 

                      その義を守ることこそがお前がもつ義であろう!」

 

 

 

「ほざくな!!」

 

 

槍の横凪が利之助の体を襲った。

 

 

 

利之助は片腕を刀の峯の枕にして一撃を受け止めた。

 

衝撃の強さは踏みしめた足元に舞あがった砂埃がしめしていた。

 

 

 

 

「お前は小宮山の子であろう。」

 

 

 

 

「お前が私の兄だったとすれば、兄の刃をとめるために私はいる」

 

 

 

 

「おやめください。お二人が刃を交えることはございません」

 

 

 

 

「ある。惨殺された幾太郎の兄の無念を晴らすと約束した」

 

 

 

 

「大垣藩士どもか・・」

 

 

 

 

「黒鬼・・・。否、兄者!!

 

 

 

    父は義の為に命を賭けた戦いに、飢えに苦しむ領民を巻き込みましたか。

 

 

    己ひとつの命をもってしてことを為そうとしたはず。

 

                           兄者は義や真と申しながら何をされてきた。」

 

 

 

「兄とワシを呼ぶか利之助。

 

                 ならばともに来い。

  

 

  世に巣食う悪党どもを一掃する為には犠牲もやむ得ないのだ」

 

 

 

 

 

「ふざけるな。

 

 民が生活の糧にしている宿場を占拠し暮らしを踏み潰し、

 

       天子様の御血縁を狙うなど、父上が目指した義がどこにある。」

 

 

 

「お前にはこの世の醜さが見えておらん。」

 

 

「醜さ。眼前の炎を巻き起こした者の醜さならわかる。」

 

 

 

「目を覚ませ。小原は父譲りの剣才をもったお前を捨て駒にする腹積もりぞ」

 

 

 

「私にはご藩老様が如何に私を思っておるかなどはわからん。

 

            だが幸や、やゑさんに見せる顔は優しさに満ちている。」

 

 

 

「お前らを騙す顔だ」

 

 

 

 

「私たちと背負っているものが違う。」

 

 

 

「背負うものだと

 

 

 

 

 

「小原様が背負うは大垣で暮らす士分だけではなく民百姓の糧。

 

 非情な決断もせねばならない。

 

 死ねと家臣である者に云うことも。

 

 日々の重責に耐えながら、子らには優しさをみせてくださる」

 

 

 

 

 

「利之助様・・」

 

 

 

利之助が再び刀を正眼に構えた。

 

 

 

「父の義士としての誇りと小宮山の剣をこれ以上汚さぬために

 

 路を踏み外した兄者を裁きにて処すことが弟の役目。

 

 凶行は終いといたしましょう。」

 

 

 

利之助の構えをみて高笑いをした。

 

 

 

「笑いがとまらん。構えることが精いっぱいのお前ひとりでワシが止められるかな」

 

 

 

槍を構えた。

 

 

 

「せめてもの情け。兄の手でふたりとも死ね」

 

 

 

火の勢いはさらに強まり留まることも危険なほどとなった。

 

 

 

利之助と兄利高の再会によって天狗一党の動きは統制を欠いていたが

 

天領のひとつ和田宿を炎上させ幕府失墜を狙う計画は完遂されたように思えた。

 

 

 

「小宮山!!」

 

 

 

黒鬼高利の顔に石があたり怯んだ一瞬をついて一閃を振り下ろした。

 

 

 

「くっ!!」

 

 

 

利之助の一閃は槍の柄を折った。

 

 

 

「親玉相手に苦戦しているようだな」

 

 

 

石を投げあてたのは卓三。

 

駆け付けた雪村、その後方からは火消しに交じり、捕り方が続いていた。

 

 

 

「清次郎が整えた備えの備えが役に立った。」

 

芦田清次郎が万が一に備え雪村をつかって侠客仲間を集めておいたのだ。

 

 

 

「幕府の犬が生きていたか」

 

槍が折られても悠然としている。

 

 

 

「天狗の親分さんよ。さすがにこの数相手じゃ分も悪いだろう。退いたらどうだ」

 

 

 

「雪村様。利之助様を助けて」

 

 

 

「おなごを泣かすのは趣味じゃない」

 

 

 

「雪村殿。手出し無用。これは私がつけねばならん決着だ」

 

達人の域を超えた剣客のみが発する気迫が雪村にも伝わる。

 

 

 

「燃え尽きる前にケリをつけろよ」

 

見守ることをきめた。無論、利之助が敗れれば、その場で天狗を斬る。

 

 

 

「雪村様」「あにぃ」

 

 

 

「いざ勝負!!」小宮山兄弟がともに声を発した。

 

 

 

だが、利之助の描いた決着とはまったく異なった。

 

折れた槍を手にしたまま利之助に向かって突進する高利

 

柄で殴るだけでも凌力があれば命を奪い取る。枝で殴り倒した利之助と同じだ。

 

 

 

「舐めるな!」

 

小さく発した利之助。

 

 

 

「ふっ」

 

鼻で笑った。

 

 

 

柄を利之助に投げつけ、これを利之助は刀で弾いた。

 

抜刀が続いてくると読んだからだ。

 

 

 

だが、抜刀された刃は利之助の脇を抜き、座り込んだままであった雫にあてた。

 

 

 

「うっ」

 

刃を返した峰でうたれ雫は気を失った。

 

 

 

「生きて為さねばならぬことがあるんでな」

 

 

 

「貴様!」

 

 

 

「利之助。大垣で待っておれ。」

 

黒煙のなかに雫を背負った高利は消えた。

 

 

 

「待て!!」

 

 

 

「ダメだ。いま追えばお前が死ぬ」

 

 

 

利之助が整息をつかっていたことに気付いた雪村がとめた。

 

溜めた息があがれば動くことも困難になる。

 

いま行けば炎に包まれ焼かれる危険もあった。

 

 

 

和田大火は、宿場町を焼き尽くした。

 

異例であるが、幕府が費用を投じて和田宿は短期間で再建されるのである。