六手 和宮下嫁

 

6-2 零の波紋

 

 

 

 

 

 

雫と利之助は小原の屋敷に運ばれた。

 

 

 

 

 

 

黄金色に染まる中、

 

 

 雫は息を引き取った。

 

 

 

 

 

両手を縛られたままであったので急所をさけることもできず致命傷となった。

 

 

美濃路を照らした月明りは消えてしまった。

 

 

 

 

 

幸は母の最期の衝撃を受け止めることが出来ず、

 

 

目を覚ますたびに衝撃が心を襲い卒倒することを繰り返した。

 

 

 

 

重傷の利之助の姿は小原の屋敷にはなく、中山道を行く和宮嫁下行列をみつめていた。

 

 

 

この日を迎えるために払った犠牲の大きさを握りしめみつめていた。

 

 

 

 

 

 

中山道を埋めつくすほど長い行列は、

 

 

これからはじまる時代を変えるため江戸に向かう軍勢のようにもみえた。

 

 

 

 

 

「雫、お前を守れなかった。

 

  和宮・・様の御輿入れ、公武合体さえなかったら・・・・」

 

 

 

 

黒い渦が心の中にうまれはじめていたとき

 

 朱色の鞘を結んでいた紐がほどけた。

 

 

 

 

 

「鞘の理に生きろというのか雫」

 

 

膝をつき鞘を抱えながら大粒の涙をながした。

 

 

 

 

  雫と利之助が結ばれた際に誓った鞘の理

 

 

 

  禁忌応伝を扱う二刀使いが修得するには相反する理

 

 

 

  抜かれた刃を納める力を持つこと。

 

 

 

  雫が養老の滝で奥伝の伝授の際に伝えた言葉

 

 

 

 

 

「最後の最期。

 

 

 その一瞬が訪れるまで生きることをあきらめない。

 

 

                       生きる力は何よりも強い」

 

 

 

 

 

雫の想いに包まれた朱鞘には、友が鍛え兄や幾つもの命を殺めた刃が納められている。

 

 

 

 

「私にはお前という鞘が必要だ。

 

 

                    雫、しずく」

 

 

 

 

 

弟子であり義弟を見守る山本があった。

 

 

厳しい修行でも、友を亡くした時も、涙を流すことがなかった弟子が泣いている。

 

 

かける言葉さえも失った。

 

 

 

利之助にとってさらに厳しい現実がまっている。

 

 

幸の記憶が曖昧となり混乱をしている。

 

 

 

 

 

「利之助、妹を守れずにすまなかった」

 

 

 

 

 

「先生・・」

 

 

 

 

 

「幸の記憶が・・・」

 

 

 

 

 

「雫の死とともに父である私も死んだのです。

 

  あの子はそうやって自身の心を納めようとしている」

 

 

 

「利之助」

 

 

 

 

 

「ごめん!」

 

声とともに脇差を抜き首筋にあてた。

 

 

 

 

 

「愚か者」

 

 

山本の抜刀の一閃で脇差は弾き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

「お前が死んで何になる」

 

 

 

 

 

「幸は、私を見れば、雫の最期を思い出します。

 

 

 

 妻を守れなかった責、兄を殺めた罪、自害してお詫びするほかございませぬ」

 

 

 

 

 

切腹は主命あっての栄誉、自害は不名誉なことである。

 

 

 

「逃げるな」

 

 

 

 

山本は自身に言い聞かせるように語りかけた。

 

 

 

 

仕官を世話してくれた恩人を殺め、

 

  恩人の子を殺め、

 

   自身の業によって、愛弟子から妻を奪い、

 

 

                         自身の妹を失った。

 

 

  山本は自身への憎悪の闇が覆い始めていた。

 

 

 

 

 

「抜け!」

 

脇差を弾いたまま刀を向けた。

 

 

 

 

 

「先生・・・」

 

 

 

 

 

「どんな言葉をかけても慰めにもならぬ。

 

 

  兄として、師として、お前にしてやれることはこれしかない」

 

 

山本は正眼から手を横に大きく広げた。

 

 

 

 

 

互いの憎悪の闇を振り払うため剣を交えることを望んだ。

 

 

 

 

 

 

利之助は無言で立ち上がり鞘から刀を抜き、兄小宮山の剣技を右肩に担ぐように構えた。

 

脇腹の傷はひらいたままだ。

 

 

 

 

 

互いに奥義とも云える必勝の構え、勝負は一瞬

 

 

 

 

 

仕掛けたのは山本であった。

 

 

 

突きの連撃を鞘で捌き流した利之助は袈裟から横凪、突きを繰り出したところでふたりはとまった。

 

双方急所を貫ける姿勢のままだ。

 

 

 

 

 

「利之助、お前はまだ生きねばならん。」

 

 

 

 

「ぐう」

 

急所に向けていた切っ先は崩れるように落ちた。

 

 

 

 

「お前の剣腕には数多の命の未来が託されている。

 

 

    俺もお前も刃を抜いた限り闘いつづける。

 

                生き残った我らが背負う定めから逃げるな。」

 

 

 

「先生・・・」

 

 

 

 

 

崩れかかる利之助を山本は抱きかかえた。

 

 

 

「雫や、兄者のことは・・」

 

 

 

 

「公にはできぬ」

 

 

 

公儀は和田大火を失火として記し暗殺の企てはないと京に報せ、和宮下嫁の日取りは決まった。

 

阻止されたとは云え、血が流れていることが公となれば、和宮一行が都へひきかえすことになる。

 

大塩平八郎の蜂起、和田大火、大垣船町湊、命を賭した戦いは歴史の記録から削除される。

 

 

 

 

 

「国の礎のため・・・ですか」

 

 

 

生きたことさえも記されない闇を受け入れるに、剣士である利之助も山本も純粋すぎた。

 

 

 

 

 

師弟はともに苦しみを抱え身体の傷を癒した。

 

 

 

 

 

 

 

幸の記憶は戻らないまま日々が過ぎ、

 

 

山本を慕う姿から利之助は父と名乗るのをやめ、養育を山本に願い出た。

 

 

 

 

山本は頑なに断り続けたが、

 

利之助は幸のために闘いつづけることを血判で誓約したため引き受けた。

 

 

 

 

幾太郎は一件の度胸を買われ幼くして小原の小姓として召し抱えられその才を発揮していく。

 

 

 

雫の亡骸は兄とともに、修練を重ねた養老の滝に葬った。

 

墓碑も刻むことができない。

 

 

 

 

 

利之助は木曽路を雫と歩んだときに見た、

 

 

赤い実の木を植えた。

 

 

 

 

「ときしぐれ」

 

 

 

 

季節をかさねるとき赤く実ことから、ときを知らせる。

 

 

 

 

 

「雫、お前は兄者とともに私が重ねる業を見守ってくれ。」

 

木漏れ日に佇むふたつの墓石に別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

生きることは業を背負いつづけ、生きる限り業とともに歩まねばならない。

 

死すことよりも生きることの苦しさを握りしめ、闘う大垣藩士の闘いは人生の終焉を迎えるまでつづく。

 

一滴の雫は水面に波紋となり流れていくが、誰しも一滴の雫の辿る路は知らないのだ。

 

 

 

 

 

 

ときしぐれの実は季節の流れを数えたが、

 

 

 

船町湊から大垣城下を抜ける美濃路にある饅頭屋には、

 

 

 

饅頭同心と呼ばれる侍が

 

 

 

今日も饅頭を食べながらひとびとの往来を見守っている。