六手 和宮下嫁

 

6-1 義士伝承-1

 

 

和田大火が起こってから10日。

 

 

 

 

利之助の姿は大垣美濃路饅頭屋にあった。

 

 

 

大火から二日あまりで山本や善次郎が駆けつけた。

 

 

近隣諸藩上田、松本、高島藩からも応援にひとが集まっていた。

 

 

 

利之助と共闘した雪村の正体は幕府密偵で既知の上田藩士芦田清次郎の手を借りていた。

 

 

幕臣の雪村の計らいもあり、山本らは詮議もなく大垣に戻ることが叶った。

 

 

 

 

 

佇む茶庵のなかに小原と山本の姿があった。

 

 

茶庵は小原邸にあり、佐久間象山をはじめ客のもてなしや藩士との語らいに用いていた。

 

 

 

 

「山本。利之助の様子は」

 

 

 

 

「芳しくはありません」

 

 

 

 

「父の最期、兄が首謀者であることを知ってしまったか」

 

 

 

 

「はい。それよりも・・」

 

 

 

 

「雫の行方か」

 

 

 

 

「はい」

 

 

 

 

「大垣に来ると思うか」

 

 

 

「恐らく」

 

 

 

「狙いはやはり」

 

 

 

「間違いなく、宮様の行列」

 

 

 

和田大火はあったが、

 

失火として世には広まり、暗殺企てはすべて潰えたと奏上され、

 

改めて嫁下が諸藩に下知された。

 

 

 

 

大垣は垂井で警備を彦根藩からかわり中山道赤坂宿から美江寺、

 

河渡までの現在の距離にして20キロの沿道を警備する。

 

 

 

 

 

「雫のことお主も心配であろう」

 

 

 

 

 

「妹は気丈なおなご。

 

無事どころか、敵の所在を報せてくるぐらいしましょう」

 

 

 

 

 

「利之助の謹慎は解く」

 

 

 

「はい」

 

 

 

大垣藩の独断で天領や他藩を探索していたことを問われた際に

 

備え和田大火にかかわった利之助は謹慎となっていたが、

 

公儀が和田大火は失火と言い切ったことで利之助の罪もなくなった。

 

 

 

 

 

美濃路は普段とかわらず賑わいをみせている。

 

利之助は幸と二人で饅頭屋の隅に腰を下ろしている。

 

 

 

「父上。母上はいつお帰りになるの」

 

 

 

「幸ちゃん・・」

 

喜平太より和田大火を聞いたやゑが声をかけた。

 

 

 

「幸。母上はやゑさんの頼まれごとでもう少しかかるそうだ」

 

 

 

 

「どのくらい」

 

 

 

「お月様が丸くなるころかな」

 

 

 

 

「小宮山様」

 

 

 

 

「やゑさん。いつから気付いていたんです」

 

 

 

袖の中からかんざしを差し出した。

 

 

 

 

 

「これは・・・」

 

雫にあずけたかんざしであった。

 

 

 

 

 

「拾いました」

 

 

 

 

「まことに、まことに申し訳ありません」

 

 

 

両手と頭を地につけた。

 

 

 

黒鬼の首謀者を知っていて隠し立てていれば、やゑの罪は重い。

 

 

利之助にやゑを捕縛するつもりはない。

 

 

 

 

「黒鬼が兄者であること知っていたのですか」

 

 

 

 

「・・・」

 

 

 

 

「うまい饅頭をつくるひとは嘘が下手ですね。」

 

 

 

 

「幼い利之助様をこのかんざしともに私にあずけました。

 

                   大儀をなしたら弟と私を迎えに来ると申して」

 

 

 

「かんざしをやゑさんに渡した兄者を私は斬ります」

 

 

 

 

「・・・」

 

 

 

「やゑさん。幸を頼めますか。」

 

 

想い人から託されたひとが想い人を斬る。その男の子を預かる。

 

心中は複雑であった。

 

 

 

「幸ちゃん。父上様はお母上様を迎えにいってくるようです。

 

               お留守の間、お店の手伝いおねがいできるかな」

 

 

 

幸は手よりも大きな饅頭を頬張りながら利之助の横顔をみた。

 

 

 

 

「お利口にしてるから、お月さんが丸くなるまでには帰ってくる?」

 

 

 

手にした饅頭を利之助の口に押し込んだ。

 

 

 

「ああ。約束だ」

 

 

押し込まれた手を握り返した。

 

 

 

 

 

「利之助。謹慎中に何をしておる」

 

 

 

善次郎が現れ声をかけた。

 

 

 

 

 

「饅頭を食べている」

 

 

 

「饅頭同心め。

 

        謹慎は解けた。黒鬼を追うぞ」

 

 

 

 

 

「否。迎え討つ」

 

善次郎に秘事を託し、美濃路から利之助の姿は消えた。

 

 

 

和宮一行の京出立を伝える早馬が大垣藩にも到着した。

 

 

 

洛外へ三条大橋をわたる和宮を見送る都の民は、

 

公武合体の悲恋に遭った和宮を泪でみおくり行幸がはじまり大津から中山道をすすんだ。

 

 

 

大津で和宮が詠んだ句からもその悲哀は伝わってくる。

 

 

 

和宮の暗雲たる心中とは異なり、

 

宮中の侍従や武官、公儀、沿道諸藩をふくめるとその列は参勤交代の数倍に膨れ上がり

 

華やかな行列はほかを圧倒した幕府の威信を誇示する大行列であった。

 

 

 

 

 

 

垂井宿から沿道警備にあたる大垣では藩主の厳命のもと、

 

街道のみならず近隣の村々も見廻り改めさせた。幕府の使者、

 

大垣藩士と早馬がせわしなく出入りし一行の様子を伝えてくる。

 

 

さながら本陣を構える赤坂宿は戦さながらであった。

 

 

 

 

士分ではない半農の者が多数を占める有士隊の姿は大垣藩の警備陣容にはなかった。

 

 

 

 

沿道警備に藩士のほとんどが割かれ大垣城下から士分がきえたかのようである。

 

 

 

 

明星の光がわずかにこぼれる霧にまかれた船町湊に三艘の荷舟が近づいていた。

 

赤坂湊も船町湊も行幸の間は荷もひとも止めている。はずであった。

 

 

 

「こんな策は成功しません」

 

舟の荷に手を縛られた雫であった。

 

 

 

「城下に火の手をあげるには十分。大垣の命脈は立たれる」

 

 

 

「私怨を晴らせばよいのですか」

 

 

 

「世直しだ、尊王だ、世迷言の大儀はワシにはない。あるのは怒りだけだ」

 

 

 

「哀しいお方」

 

 

 

「口には気を付けろ。お前の命は山本の前で断つ」

 

 

 

雫は黒鬼に囚われてから慰み者にされるような手荒な扱いはうけず過ごした。

 

高利の厳命があったからだ。

 

雫は小原や山本への復讐に費やしてきた男ならそのようなことを命じるとは思えない。

 

自身が敵の妹であると同時に、実弟の妻であることを知り葛藤が生じていることを感じていた。

 

 

 

「利之助様が必ずあなたの凶行をとめます。」

 

 

 

「そう願う」

 

小さく黒鬼がつぶやいたのを雫の耳には届いていなかった。

 

 

 

「頭!そろそろ」

 

船町湊の灯台を目印に接岸する。

 

 

 

舟を覆った布の中には武装した黒鬼が一艘に10ずつ潜んでいた。

 

 

30足らずで10万石城下に奇襲など予想していない。

 

 

黒鬼の狙いは城下に火の手をあげること。

 

 

 

和宮一行が領内に入る日に火の手があがれば、江戸へ向かう行列も京へ引き返す。

 

 

 

襲撃計画を防げなかったことで幕府の権威は失墜し大垣は藩主や一族その重臣に至るまで打ち首は必須。

 

和田大火を起こした狙いは陽動、綿密に練られた襲撃計画であった。

 

 

 

「よし。かかれ」

 

三艘の小舟から一斉に飛び出し、火を放つ役に応じ散開した。

 

 

 

静けさに佇む船町湊に一斉に声があがる、湊近くにある寺社に潜んでいた有士隊だ。

 

 

 

利之助が善次郎に託した秘事であった。

 

これを認めた小原の命によって有士隊は三つにわかれ配置についていた。

 

藩主や重臣屋敷を警護するため、山本率いる一番隊は小原鉄心の屋敷

 

城下町の入口を抑える美濃路には善次郎率いる二番隊

 

船町湊の寺社には利之助率いる三番隊

 

襲撃があっても救援に駆けつけず各々死守する。

 

襲撃の一手目が陽動である可能性、さらには遊撃兵として城下に潜伏している可能性らを理由にあげた。

 

 

 

「ほう。此方の手を読んでいたか。」

 

高利は、一隊を率いて現われた弟の姿を見てもさほど驚いていなかった。

 

 

 

「利之助様」

 

雫の声に安堵する利之助であるが、表情は険しくなった。

 

 

 

「黒鬼一党、大人しく縛につけ。さもなくば・・・斬り伏せる」

 

抵抗すれば斬ることを示し抜刀した。

 

 

 

「縛につくものなどおらんよ。かかれ!農兵など一気に蹴散らせ」

 

高利は命じた。

 

 

 

「敵を城下にいれるな、ここが正念場、生きるために剣を取れ!」

 

利之助は命じた。

 

 

 

「応!!」

 

 

 

双方の兵士たちが応じ船町湊で一閃が開かれた。

 

 

 

「喜平太。伝令にはしれ。陽動も遊撃もない。敵は一手のみ」

 

 

 

喜平太に命じた利之助は先陣をきって雫のいる舟目指し押し進む。

 

黒鬼の兵と刃を交えることもなく高利との間合いを一気に詰めた。

 

 

 

「農兵を捨て駒にか。悪くない」

 

 

 

利之助の動きが自身にだけむかってきていることを賞した。

 

 

 

「捨て駒などいない。」

 

 

 

 

 

有士隊は小原の私兵扱いのため三隊で30名足らず。

 

 

三手に分けてしまった分、不利であるが、地の利は有士隊にあり、和田宿と異なり他二隊の救援もある。

 

城下にのこっている藩士もいる。

 

 

 

利之助たち三番隊は船町湊で死守すればよい。

 

 

 

 

「利之助。ワシの策を読んだことは褒めてやる。

 

                 だが、すべて尽くを喰らってくれるわ」

 

 

 

「兄者!何故ここを私が選んだかお分かりか!」

 

 

 

 

高利の眼前に利之助が出たが黒鬼の10名ほどに囲まれる形になった。

 

灯台付近では有士隊と黒鬼一党との激戦がはじまっている。

 

 

 

 

 

利之助の後方より斬りかかろうとした一党を制した。

 

 

 

 

「こいつは俺が片づける。お前らは火の手をあげろ」

 

 

兄弟の因縁の対決に拘った指示ではなく、警護にあたる兵は三分の一程度。

 

 

余力を残さず殲滅し当初の目的を完遂させる。冷静な判断だ。

 

 

 

「おう」

 

 

 

小宮山兄弟と雫を残して黒鬼一党は灯台付近で繰り広げられる激戦に身を投じた。

 

 

 

 

 

「兄者、あなたがこの船町で幼い私にさずけてくれた。

 

 

    それが剣術」

 

 

 

 

 

「利之助・・・

 

 

        記憶を・・」

 

 

 

 

 

「剣術が大垣を守る手になった。

 

 だが、それを教えた兄者は奪う手になった」

 

 

 

 

 

「剣は生きる術。

 

          守も何もない、抜けば斬り合うだけぞ」

 

 

 

「ならば守るため斬る!」

 

 

 

 

 

 

先手を仕掛けたのは利之助

 

高利の間合いは広い。

 

 

剛槍をまるで小枝でも振るうかのように扱う技がそうさせていた。

 

 

 

 

 

 

 

達人の域にある者たちにとって間合いは生死の明暗をわける。

 

 

相手の間合いが広ければ自身の間合いに引き込むため仕掛けるのを待つのが上策とされる。

 

 

しかし剛槍を相手に打ち刀で防戦に回れば凌ぎきることも至難の業である。

 

利之助は死中に活を見出す為、飛び込んだ。

 

 

 

 

飛び込んでくることを予見していたかのように穂先が突き出された。

 

 

穂先を払いあげようと試みたが力負けし利之助の身体は小舟まで吹き飛ばされた。

 

 

常人であれば意識を失うほどの強さの衝撃が体を襲う。

 

 

 

衝撃を耐え気合を発した利之助は倒れこんだ姿勢から小船を足場にして再び間合いに飛び込む。

 

 

 

利之助は横凪を放つ姿勢のまま間合いに飛び込み打ち出される穂先を横凪で捌き懐に入る算段だ。

 

狙いはあたり穂先は弾かれ懐が開いた。

 

 

 

鮮血が飛び散った。

 

血と共に崩れ落ちたのは利之助だった。

 

 

横凪で捌いた穂先は槍の遠心力を増し利之助が懐に飛び込むところを柄で殴りつけていた。

 

 

 

「利之助。お前は殺さぬ。」

 

圧倒的な力を見せつけられていた。

 

 

 

「兄者・・・・」

 

利之助は倒れたままであるが刀を手放していない。

 

 

 

「ワシと共に父上の無念を晴らすのだ」

 

 

 

「父上の無念を晴らす」

 

利之助は片膝をついてたちあがろうとする。

 

 

 

「そうだ。我ら兄弟で父に汚名を着せた者を成敗するのだ」

 

 

 

「兄者。 父に汚名を着せているのは貴方だ!」

 

 

 

 

 

「利之助!!」

 

 

 

「父の名を借り、

 

     民百姓から糧を奪い、

 

              国を守る若者から命を奪い、

 

 

 いま泰平の為、江戸に向かわんとする宮様の心根を潰そうとする。

 

 

  私怨に囚われた国賊を討ち義に殉じた父の無念を晴らす!」

 

 

 

 

 

「父を斬った山本を憎いとは思わぬか。

 

     命を下した小原を恨むことはないのか」

 

 

 

 

 

 

「小原様は父が逆賊となる前に苦渋の決断をされた。

 

 

 山本先生は他の者の手に落とさせぬため恩人を自ら手にかけた。

 

 

  お二人とも悔いても悔い切れぬ思いを抱えて今の国難と戦っている」

 

 

 

 

 

利之助は兄高利との戦いを前に小原、山本から父利益の話を聞いた。

 

 

父利益は、大坂蔵米の不正売買にかかわっていた大垣に縁のある者もつきとめ山本を通じ報せてきた。

 

 

 

公儀にまで伸びた不正を糺すと放棄した大塩平八郎に加担したのは飢えに苦しむ大垣領民を思ってのこと。

 

不正売買に手を染めた大垣に縁のあった重臣や商家を小原は処罰した。

 

 

だが、利益が大塩の使者として老中宛の訴状を持って東海道を江戸に向かうまでは予見できなかった。

 

 

 

大坂での武装蜂起は三千の幕府兵が動員され3百足らずの大塩たちは半日も経たず壊滅し、

 

大塩も捕縛された。

 

 

 

大坂奉行は大塩平八郎に加担した士分、町民、農民、身分にかかわりなく詮議し、

 

加担したその一族には重罪が与えられた。

 

 

 

小原は小宮山利益からの報せで東海道を進んでいることを知っていた。

 

 

 

苦渋の決断を迫られていた。

 

 

 

大垣藩士が加担していたことが公儀の耳に入れば藩の取りつぶしも真逃れない。

 

 

 

小宮山利益が乱に加担したことも葬らねばならなかった。

 

 

 

小宮山家の子を赤坂湊に住む小原の重臣に事情も明かしたうえで預けた、

 

山本に利益を討つように命じた。

 

 

 

 

 

「話を聞いたのであればなぜその場で二人を斬らなかった」

 

 

 

 

 

「兄者、目を覚まして下さい」

 

 

 

「覚ますのはお前だ!」

 

利之助を殴りつけた。

 

 

 

 

 

「小宮山の姓を何故、私が継いだか兄者おわかりか」

 

 

 

「小原に利用されておるだけだ」

 

怒りに満ちた表情のまま槍の柄で利之助の身体を殴打をくりかえした。

 

 

 

「違う。

 

    義に厚く、

 

 仁を持った小宮山の名で大垣を国難から救うため。

 

 

   父が望んだ領民の幸せのためだ」

 

 

 

「もうよい。ならば   」

 

 

 

 

 

殴り続けた柄を返し穂先を喉元にむけた。

 

 

槍が喉元に突き立てられるそのとき喚声があがった。

 

 

 

 

 

 

船町で繰り広げられていた有士隊と黒鬼一党の闘いが激変した。

 

 

 

 

数に勝っていた黒鬼一党であったが、有士隊一番隊、二番隊が駆けつけ、

 

 

数においても、また山本、善次郎といった剣客を先頭に切り込まれ形勢は逆転した。

 

 

 

 

 

喚声に高利は一瞬の隙を生んだ。

 

この瞬間を逃すことなく利之助は穂先を交わし立ち上がった。

 

 

 

脇差を抜き二刀で禁忌とされる無形の構えをとる。

 

 

 

「刺し違えてでも止める」

 

 

利之助の眼は細く炎のように燃えた。

 

 

 

 

 

 

 

「覚悟だけは褒めてやる。

 

 

     だがお前の力量はワシには到底及ばぬ!」

 

剛槍を正面に構えた。