五手 和田大火

 

5-1 やゑの簪

 

 

大垣藩領を立ち尾張藩領を抜け、

 

 

天領の木曽福島宿の関所で取調べを受けたが

 

大垣藩の通行手形もあり足止めをされることはなかった。

 

 

 

 大垣を出立して7日は過ぎたであろうか。

 

 

 

一日7里(1里=3キロ)程度の進み具合であるが、

 

信濃まで先行する役を追った利之助たちは10里ほどを1日に歩いていた。

 

 

雫が口火を切った。

 

 

「利之助様、いつまでそのような顔をしておられるのですか」

 

 

 

「いつまで?俺の言うことを聞き入れるまでだ」

 

 

 

「兄上もお認めになったことです。」

 

 

 

「先生が認めようとこの隊は俺が預かっている」

 

 

 

「まあまあお二人とも。

 

 おなごの身でありながら危険な探索につくことを案ずる隊長のお気持ちもわかりますが、

 

 雫様は私たちよりお強い。」

 

 

 

 

「口を挟むな喜平太!」

 

 

 

 

「雫が己の身を守れることは承知。

 

 

 だが幸は大垣にひとりでいるのだぞ。

 

 

 すゑさんに幸の世話を頼んでまで」

 

 

 

 

雫は木曽路の探索に加わっていた。

 

 

 

利之助は出立する直前まで反対したが、覆ることはなかった。

 

雫が探索に加わった理由をこのときの利之助は知らされていなかった。

 

 

 

憤慨しながらも出立した三番隊には

 

隊長に利之助、隊士よりは喜平太、小十郎ら二人、そこに雫が加わっていた。

 

 

 

 

小十郎の剣士としての力量は十分に高く心配することはない。

 

 

喜平太は剣士としての力量はないに等しい。

 

だが喜平太は商売人としての才にも長け機転も利き旅をするには心強い存在であった。

 

 

 

「隊長、この奈良井宿を越えれば木曽路から信濃路になります」

 

 

冷静な小十郎は声をかけた。

 

 

木曽路は深い山間に刻まれた一本の路である。

 

 

襲撃を企てるには寄せ手に利がある。

 

 

 

警護にあたる武家が多くとも隊列は伸び、

 

一点を突かれれば襲撃は十分成功する可能性が高い。

 

 

 

木曽路は天領であるため幕府の眼も厳しいが、幕府の威信失墜を図るには格好の場ともいえる。

 

木曽路の最大の険「鳥居峠」一帯が根城と読んだが暗雲の気配はなく奈良井宿を過ぎようとしていた。

 

 

 

このままでは大垣へ折り返す下諏訪宿までなんの成果もなく、幾太郎との約束も果たせない。

 

 

 探索への焦りと大垣にのこる幸への想いから

 

 利之助は苛立っていた。

 

 

「喜平太。お前にかかっている頼む」

 

 

「隊長。

 

 商売人の耳がはやいのは間違いないのですが

 

        黒鬼の噂は美濃路のこととまるで他人事」

 

 

噂話から情報を得る。

 

 

喜平太の存在は、士分にはまったく見えないことで寄る宿場での噂を集めるには重宝していた。

 

 

「利之助様。ここは下諏訪まで出て次なる手を考えましょう」

 

 

雫が声をかけた。

 

 

「そうだな」

 

 

雫が幸をのこして同行したことへの怒りはあったが、利之助の心を察する雫の声は心強かった。

 

 

探索が失敗に終わることは今回が初めてではない。

 

利之助たちが木曽路を歩いている間にも美濃路で事は起きているかもしれない。

 

 

不安を噛みしめ、話を終え奈良井宿をあとにした一行は贄川関所を越え下諏訪へむかった。

 

 

下諏訪宿の賑わいは中山道随一と謡われていた。

 

 

 

難所であった和田峠の西の入口として、諏訪大社下社の門前町として栄えた。

 

また、甲州街道の終点でもあり、45軒の旅籠があった。

 

古く鎌倉時代から温泉も湧き、中山道唯一の温泉のある宿場であり、

 

諏訪信仰の地であり、人も物も行き交う活気があった。

 

 

 

喜平太は宿の手配を終えてすぐに町に消えていった。

 

 

遊びに行くようにみえて噂話に集めにいったのだ。

 

 

湯宿であるので身体を休めるには良いのだが

 

焦燥感から落ち着くことのない利之助を見かねた小十郎は声をかけた。

 

 

 

「隊長。

 

 諏訪大明神のお力を借りるため、詣でてみてはいかがでしょう」

 

 

 

「そうだな。神仏に祈ることも必要か」

 

 

「小十郎、お前はいかないのか」

 

 

「喜平太が戻った際のつなぎをつげる役もございましょう。

 

 雫様とおでかけください。」

 

 

 

 

「利之助様。参りましょう」

 

 

「小十郎、頼む。」

 

 

小十郎はうなづいた。

 

 

賑わう宿場町を甲州方面に向かう。

 

 

二人が詣でる諏訪大社は諏訪湖を中央に上社と下社とがあり、宿場町は下社を中心にして栄えていた。

 

行き交うひとの流れを利之助は睨むようにみている。

 

 

 

怪しい者を見つけようと気を張っている。

 

 

硬い表情をみた雫は、わずかに息を吐いた。

 

 

 

 

「利之助様。ふたりで歩くのはいつぶりでしょうか」

 

 

「何を悠長な。今は・・。」

 

 

声を荒げとなりの雫を叱ろうとしたが声の主がいない。

 

次の瞬間に口の中に強引に押し込まれた。

 

 

 

「お味はどうですか」

 

 

「ちと甘い。すゑさんの味が良い」

 

 

「まあ贅沢な。任務中に」

 

 

「一息つかねば見えるものも見えなくなるな。

                              すまん雫」

 

 

 

 

「饅頭同心らしくゆったりかまえてください。 流れの変わり目を見逃さぬように」

 

 

 

「これは手厳しい」

 

 

 

二人は声にだして笑った。

 

 

 

養老の滝での鍛錬を重ねたときも雫の笑顔に救われてきた。

 

 

 

追い詰められても流れの変わり目さえ見極めれば良いと雫が授けてくれた理だ。

 

 

「小十郎様も粋な計らいをなさいますね」

 

 

 

 

雫の言葉の意を理解できない利之助の顔を見てわらった。

 

 

 

「利之助様、わからぬのですか。

 

 わざわざ二人のときをつくってくださったのですよ」

 

 

 

「私にはもったいないほど良い配下だよ」

 

 

 

照れた顔は、昔と変わらない爽やかなままであり、

 

束の間の休息を堪能するため上社と本宮に詣でた。

 

 

 

 

諏訪大社の荘厳なつくりは、美濃の朱塗りで鮮やかな大社とはまた異なった雰囲気に包まれていた。

 

 

礼拝をとる利之助の横顔は穏やかで出会った頃のままだ。

 

 

 

この横顔が常にともにあることを願って

 

水神を祀る社殿で雫は願いを込めて護符を買い求めた。

 

 

 

二人の束の間の平穏であった。

 

 

 

護符を握りしめ雫は声を発した。

 

 

「利之助様!」

 

 

「どうした」

 

 

「利之助様にお伝えしなければならぬことがございます。」

 

 

「伝える?此度のことにかかわることかな」

 

 

 

雫の眼を見て察した。

 

 

「はい。やゑ様より伺いました。お話です」

 

 

「やゑ殿から?」

 

 

 

以外な名があがったことに困惑をした。

 

 

 

「こちらを」

 

 

雫は懐にしまっておいた包みをとき利之助に差し出した。

 

 

「かんざし」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 

「私は物の価値がわからぬが、特段、高価なモノにも見えぬが。

 

                                         これがどうしたのだ」

 

 

 

漆や彫などの細工もない。

 

 

 

「やゑ様の想い人が別れ際に渡されたかんざしです」

 

 

「やゑ殿は井伊家に想い人がおったのか」

 

 

「いいえ。井伊家にご奉公にあがる前のことと」

 

 

「その想い人と雫がともに来たことに何のつながりがあるのだ」

 

 

 

「どのようにお話をすべきか悩んだまま時が流れてしまい」

 

 

雫の顔が重く苦しくかわっていく。

 

 

「話せる時でよい。無理はしないでくれ」

 

「それでも・・・」

 

 

 

言いかけたところ

 

 

「隊長~、隊長~」

 

 

喜平太の底抜けに明るい声が響いた。

 

 

「馬鹿者!旅中は・・・」

 

 

隣にいた小十郎が小さくしかった。

 

 

身分を偽るつもりはないが目立たぬよう人前にでは

 

藩の名と身分はいわぬようにしていたのだ。

 

 

「何かわかったようだな」

 

 

小走りに近づいてくる喜平太の姿からみてとれた。

 

 

「雫、話は喜平太の知らせをきいてからだ」

 

 

「はい」