三手 幕薩一和  二の弐




だが誰の言葉にも応えることなく。






「酒をくれ・・・」



と発するだけであった。



当初は傷の痛みを堪える為に酒を求めていると皆々は思っていたが



   酒浸りに変わっていった。




利之助を訪ね日々諸藩の訪問客が訪れては断ることが大垣藩士の負担に変わり、



「あやつはもはや使い 物にならん」



と落胆へと変わっていった。





小原も役を解き大垣へ戻すかと思ったが、


小原は利之助に引き続き有士隊隊長と京屋敷警護役の任を任せ、禄は支給され続けていた。




「あやつは戦で名をあげ藩老様の覚えを良いことにいい気になっているのだ」



大垣の英雄はもはや消えてしまっていた。




小原の前で生涯を賭した誓いを立てた可兒への目は冷ややかになり、


可兒の誓は出世のためのお題目とまで揶揄されていた。


可兒は毎日のように利之助を訪ねては、有士隊に声をかけてほしいと懇請した。




声がだめなら、せめて 顔を出すことだけでもして欲しいと。




有士隊を率いて戦うことを求められる。


有士隊の数は、禁門の変での活躍を聴きつけた大垣領民が


隊士 募集に殺到し数は二百に届く勢いだと知らされていた。




大垣城下に集まった者は新たに兼用隊と命名され、


士分の者が率いられる大垣藩軍制改革の部隊として の地位を確立していた。



大垣にとって有士隊の存在が消され、「兼用隊」としての歩みを始めていた。



有士隊は僅か三十であっても京大垣藩邸の警護役として任につきながら、


隊長の小宮山を除いて実戦部隊として動ける状態であった。




小宮山は療養中との触れで、副長士分が指揮をとっている。





「生きるために剣をとれと教えて下さった貴方は生きておられる。」





「皆の為に生きているために剣をとり、隊を率いてください。皆それを望んでおるのです」






可兒と利之助のやりとりは、利之助の傷が癒えてから何度繰り返されたか。





傷も癒えたのです。役目に就かぬのであれば士分を辞すればよろしい」



可兒は我慢の限界とばかりに叫んだ。




利之助は閉ざしていた口を開き





      「もう疲れた」





籠り続けた藩邸の一室から出て、有士隊の前に姿を見せた。




有士隊の稽古場となっていた下屋敷の長屋 前の庭は歓喜に沸いた。




「隊長!」

            「小宮山様!!」




思い思いの言葉が利之助に向けられ、中には声にすらならずに咽び泣いている。



利之助から有士隊のこれからの活躍の激励の声を皆々期待して待った。


死地を乗り越えた「大垣の二刀使い」と共に闘う誇りの歓喜の声の期待は


一瞬にして裏切られた。




       「暇を出す。好きにしろ」





「こ、小宮山殿!!」



可兒は思わず叫んだ。




暇を出すということは、解雇するということであり、帰郷せよとの命である。




そのような藩命はない。




「小宮山殿の一存で決めることではありませぬぞ」




         「ならば・・・好きにしろ」





右手に持った長刀、左手に握られた酒瓶。


左は酒瓶を煽るために使われ、その日から利之助は藩邸から姿を消した。




三条大橋を渡り切った洛外の三条河原に浪人が出没し始めたのもこの時期である。





 




可兒は誠の一文字を背負う男にだけ、苦々しく思う内心を語ったことがあった。




大垣藩邸に二刀使いの男を訪ねた新撰組隊士久米部正親である。





久米部正親は摂津の国の出自であり、剣術への鍛錬もさることながら、


新撰組の監察の腕も期待されるだけあり幼少の頃から頭も切れる男であった。




新撰組幹部は久米部が私塾へ通うことを願い出た際に、 久米部の向上心に目を付けたのではない。




軍制改革を目指す諸藩の動向を探るための間者、


隊内の監察から、京の諸藩の動向を探らせる役を引き受けることを条件に


入塾させることを許された経緯がある。




可兒と久米部は入塾して再会を果たした。




可兒の性格はなまくらの一件から一年余で陰に籠るようになり他者と言葉を交わすことが減った。



久米部は諸藩の動向を探るという役もあったが生来の陽気さも手伝い塾生との交友は、


周囲が新撰組という旗を忘れ、酒を呑かわすほどであった。





久米部には観察としての役を担うには最良の条件であったが


塾友となった者を騙し欺くことが


背中の「誠」の文字に込められた意味と真逆に思え葛藤を抱えてい た。




心の中の陰と陰が結ばれ、


可兒と久米部はいつの間にか塾生や立場を超え親友と呼べる心を許しあえる仲になっていた。




私塾に通う諸藩の者で異様な雰囲気を漂わせていたのは政治的影響力は絶大となった


薩摩藩からも五十名に及ぶ塾生が参じていた。




久米部が動向に眼を光らせている。




薩摩と長州が盟約を結び、討幕への動きを加速させているとの報せは届いているが、


繋いだものも分からなければ京のどこでつなぎをつけているのかその実態さえ掴めずにいた。



薩摩、長州が手を組み討幕へ動けば京は禁門の変を遥かに超える戦乱が日本国内に巻き起こる。





池田屋のように早く手を打っても京を焼いては意味がない。



より混迷とした戦乱を引き起こすだけである。




久米部は新撰組隊士募集に参じた時の己の志の火は消えていなかった。




異国の者が現れ京の政情が迷走 し戦乱に人々を巻き込むことは


武士の思い上がりだと怒りと憤りをもっていた。





己も武士でありながら武士への怒りと憤りが


隊内粛清や浪士取締りに刃を振るい続けてきた根底にあった。






憤りを解き放つ答えが久米部には利之助にあると思っていた。



「小宮山殿が再び剣を握るときこそが答えだ」



可兒から三条河原で酒を煽る自堕落な利之助の話を聴き、


利之助が必ず剣を手にする時がくると信じ、 利之助の世話をすることを決めた。







新撰組隊士として斯様なことにかまうことは許されるはずはない。


監察という立場を利用しているため久米部は任務に就いてると思われている。



上役たちは久米部が腕自慢を「なまくら」相手の酔狂程度に受け取っていた。






三条河原から洛内に落ちていく夕陽を背にし、なまくらは今日も酒を煽っていた。






傍らには隊士の羽織を纏った久米部が座していた。




三条河原で涼を求め歩くものたちも遠目にみえた。





「利之助さん。酒などもうやめてくれ」 





久米部は憤りながらも哀しき眼で利之助の手から酒を奪い取る。



なまくらはめんどくさそうに言い返す。



  「しつこい」





「俺は貴方にこんなことで終わっていい侍であってほしくないんだ」




久米部は未だになまくらと呼ばれている男が再び剣を取り、


己の心の曇りを切り払ってくれると信じている。




信じていないと気が狂いそうなのだ。





久米部の気を察することもなくなまくらは久米部の急所を刺す。



  「久米部。

        おまえはなぜ人を斬っても笑っている?


   

                 誠の旗ならば許されるか?」






「利之助さん。



  新撰組は・・・池田屋から人を斬り続けている。



 隊内でさえ『士道不覚悟』と斬りあい がある。



 京の治安を守ることが目的であることさえ見失っていると感じることもある。



   しかし・・・    俺は違う。」








   「何が違う。

 

        おまえは新撰組の中でも


           一番に刀を血に染めているではないか」






ここ一年の間に久米部が斬った者を久米部は数えている。



腕自慢の為ではない。



斬ったひとりひとりの 生涯を背負はねばならないと感じていたからだ。





「俺が斬るのは・・・


           人ではない。


  野心に捉われ人を人とも思わない輩。


 だから同じ新撰組隊士であろ うとも野心に捉われれば斬る」






   「ふっ。じゃあ局長や副長も斬るのかね?」





利之助は嫌味もこめ冷ややかな目で久米部を見つめた。









「誰であろうと己の野心に染まる時には誠の旗のもと斬る」




久米部は利之助の眼を見据えて言い切った。








    「おまえが斬った先に何が待っている?」





哀しげな眼で久米部に問う。




利之助自身への問いでもあることを久米部は理解した。




なまくらと呼ばれながらも


苦痛の生を選んでいる利之助が抱える強い想いが何かはわからない。




利之助の中に残る想いは、


 死しても決して表に出ることはないことは、利之助が握りしめて離さない鞘が物語っている。





 利之助の鞘は傷だらけであった。


 乱暴に扱ってきた傷ではない。




 命を凌ぎ合う戦いに身を置いてきたことを示す傷跡ばかりだ。





鞘の傷跡のように利之助の心の傷が深いことを久米部は察していた。





お互いに剣客としての生き方を選んだ。



その道を否定してほしくない。





どんなに傷を負っても最期に果てるまで剣をとることが、


私怨ではなくとも命を奪ったものの責である。





その強さを利之助に示してほしかった。






禁門の変で一切の迷いを見せず斬り進んでいった男の背中が時代に流されぬ武士の意地に映った。



二刀使いは斬ることを愉しんでいた者ではない、


               ただ己の信じる者を守るために振るい続けた二刀。



「いまはわからない。


     だが政情不安が日にし増す京で俺にできることは、


         野心に満ち、時代をわがもの にしようとする者を剣にて斬ることだけだ」



   



   「・・・・」




なまくらのさみしく哀しい目が久米部に向けられた。





   「刃だけではこの世は変えられん」





なまくらは呟いた。


呟いた声にこたえようと久米部が声をかけようとした瞬間、



なまくらは咽こみ、横に倒れこんだ。



 酔ったときの咽ではない、



 咽こみは続いた、





背中を叩く久米部は利之助の手の中に




どす黒い赤色の液体をみた。




「利之助さん


       ・・・労咳・・いつから?」









    「買い被るな久米部・・



            飲みすぎだ。




     なまくらひとりが死んだところで京の治安に関わりないだろう。



     俺に関わるのはもうやめてくれ」







乱暴に口のまわりを拭って歩き出したなまくらの背中を久米部は見つめた。






 三条河原を流れる鴨川に向け有馬は抜刀した。




久米部の周りを闇夜の中に飛び上がった蛍の光が満ちた。




蛍が放つ光が人の一生に放つ眩い灯に映り、


あの灯のさきに利之助と久米部が求める安寧の地があるように思えた。




二人の安寧の地は、



永遠の眠りでしかないことを夏の短い命の蛍が淋しげに物語っていた。