五手 一死必殺 四の壱


4「禁忌奥伝」

 

 

 

半次郎から一番後方にいたのは洗馬であった。

 

 

 

洗馬は脚も速く剣腕もある男であった。

 

 

禁門の変でも半 次郎と共に行動を共にしてきた士であった。

 

 

 

 

洗馬の油断ではない。

 

洗馬が予測を遥かに凌ぐ突進であっ た。

 

洗馬の脇や後方に五名が控えている。

 

 

 

 

 

この五名を忘れたかのように洗馬に牙を向け飛び込んできた。

 

 

洗馬は抜刀をして迎え撃とうと手を柄にかけ身体をよじらせたその瞬間、

 

洗馬の首に冷たい刃が当てられた。

 

 

 

洗馬の眼はその刃の光を見つめそのまま絶命をした。

 

 

利之助は洗馬の間合いに飛び込みながら長 刀で首を押し斬った。

 

 

 

洗馬の脇に位置していた根古屋は、

 

洗馬が斬られると同時に抜刀し一の太刀を構えたが

 

洗馬を押し斬っ た刃の遠心力に身体を乗せた利之助の横凪が襲った。

 

 

 

根古屋は絶命にまではいたららなかったが利之助 の後方に横凪で弾かれた。

 

 

 

洗馬、根古屋の二歩後方にいた赤井は二人が斬られる姿を目の当たりにしな がらも

 

一の太刀を利之助の頭上目がけ振り下ろした。

 

 

 

だが振り下ろした一の太刀は利之助に届くことは なく、

 

根古屋を払った長刀の横凪か突き構えに変化し赤井を突き刺した。

 

 

 

突き刺さった赤井から長刀を 抜き放つと同時に左手で赤井の脇差を抜き取り、

 

 

 

傷を負いながらも後方を狙った根古屋は

 

 

               赤井の脇差を手にした利之助の左手が

 

 

突き出され根古屋の肺を貫いた。

 

 

 

利之助は貫いた脇差を引き抜き反動で弾き飛 ばされた根古屋は絶命した。

 

 

 

根古屋は最も若い剣士であった。

 

年齢では可兒と同じ二十を超えたばかりであった。

 

 

 

有馬の期待も大きく目をかけてきた男であった。

 

 

 

赤井はなまくら風情がと笑ってみせた男であるが、

 

 

半次郎、有馬と肩を並べるほど薩摩では影での功労 のあった男である。

 

 

影働きを続けてきた男たちの最期は斯様に刹那の瞬間なのである。

 

 




 

半次郎、有馬、尾引三名となった。

 

 

 

 

有馬はなまくらの剣客としての腕を認めるだけではなく用兵に優れた男であることも察した。

 

 

薩摩隼人が用いる示現流の特性を理解してこの場を選んでいたからだ。 

 

 

 

示現流は一の太刀から振り下ろされる剛腕の剣であり

 

 

避けようとも二手、三手と突進を繰り返すため避 けきることは不可能と云われていた。

 

 

 

 

突進力において横に交わすゆとりの狭い古道は示現流に利があるにもかかわらず

 

 

なまくらはここでの戦いを選んだ。

 

 

 

示現流の使い手が密集することで突進力は激減しさらに突進を仕掛けてきたのは念流のなまくら。

 

 

間合 いを封じ、さらに相手の特性をも封じ、利之助の間合いで闘いを運ばれてしまった。

 

 

 

有馬の抜刀術も、洗馬、根古屋、赤井などが壁になり利之助を斬ることが叶わなかった。





利之助は一瞬でそれぞれの癖を見抜いていたのか、斬り襲い掛かる順がそれを物語ったようだ。




   やられた。






有馬に焦燥感が生まれ、まだ人数では優勢であるにも関わらず利之助の波にのまれはじめていた。








利之助の波に心ごと飲み込まれていたのは三名となった一人横尾である。



尾引は体躯の恵まれた巨漢であり振り下ろす一の太刀で


切裂けぬものなどないとまで言われた剛腕である。


剛腕であり他の三名と同様に腕に自信もあった。




それでも一瞬で三名が惨殺される経験を尾引に はなかった。


心の中に押し寄せた波は渦巻く黒い影となり尾引を支配した。



恐怖である。


今まで恐れたことはある。



半次郎の怒りだけではなく、指導者たちの叱責に恐れをなしたこともあったが


心の中に黒い影を感じたことはなかった。



この影が死につながることを横尾は理解するまでには届かなかった。


尾引は心の影の恐怖を払うために大音響の奇声を張り上げた。



「尾引逸るな!」



有馬は抜刀の構えのまま制したが、有馬の声は恐怖に支配された尾引には届かず


奇声と共に一の太刀で 利之助に襲い掛かった。



長く伸びた利之助の髪の毛の奥に隠された眼が妖しい光を放ったように有馬には見えた。



二刀を無形で構えていた利之助が右か左で一の太刀を受け流し残った手でこれを制す。


そう見て取った。



だが尾引の剛腕の剣を捌けるものではないと


利之助は咄嗟に身を翻し刃で答えずに利之助の半身となった左肩の一寸脇を


刃が擦り抜けていった。



「尾引、剣と止めるな!」



尾引の斬撃を交わした利之助の右の長刀からの横凪を受け止めろと言いたかった。


尾引は有馬の声に反応し振り下ろした刃を返した。


有馬の読み通りに利之助の横凪が尾引を襲った。



無理な体制で横凪を受けることは出来たが尾引もここまでであった。



利之助の横凪は尾引の脚を止めることが狙いであり、


脚の止まった尾引の巨漢の体躯を赤井の脇差が心臓目がけ突き上げられた。




尾引が死を覚悟したその瞬間であった。




圧倒的な優勢の利之助の口から赤い鮮血が飛び散った。


吐血である。



「こ、こんなときに・・・」



尾引との間合いを取りきることが出来ず吐血した利之助に隙が生じた。



「お主・・・病んでおるのか?病んでおるその身体で・・・」



有馬にとって、激しく吐血をするまでに労咳の病状が進んだもの相手に


薩摩隼人が討ち取られるなどあり得なかった。



吐血に苦しむ利之助を目がけ尾引が間合いを取ることなく一撃を振るい利之助の背中を斬った。



間合いを取らなかったことが利之助の致命傷とならず尾引の命を奪う結果となった。



利之助は背中に走った痛みで吐血を繰り返しながらも


上半身だけで左手の脇差を突出し尾引の心臓を 一撃で貫いた。



貫いた赤井の脇差は尾引の心臓に突き刺さったまま尾引は紫陽花の中に倒れていった。 



零距離の間合いからの突きこそが禁忌奥伝の突きの間合い「一死必殺」の特性であった。




禁忌奥伝の一死必殺を放った利之助は己に遺された時間が短いことを悟り


可兒から預かった脇差も抜き、禁忌奥伝を放てる構えをとり、半次郎、有馬に対峙した。




圧倒的であり一方的な戦いである。


禁門の変の雄の噂は誇張でも偽りでもなかった。



病んでいる身体でこの速さである。


有馬は対峙している者が同じ帯刀を許された武士であることを忘れ、


物の怪の類を相 手にしているようであった。



蝉の鳴き声が大きさを増すなか三名にしばらくの沈黙が続く。


ここまで動くこともなかった半次郎は、


利之助の奥伝の構えが意味することを察したが、身構えること もなく叫ぶように語りかけた。



 「なまくら・・・いや大垣藩藩士小宮山利之助。


                                                    お主を考えぬ夜などなかった」



「禁門の変・あのとき・・



                   飛び交う銃砲よりも、


                                     お前の刃に俺は恐怖した」



有馬は利之助に語りかける半次郎の意図がわからなかったが


迂闊に動くことも声をかけることも出来 なかった。




半次郎の声を聴いている利之助の眼の奥には先ほどよりも深い光が見えていた。



  先に仕掛ければ死ぬ。



有馬はそれだけ理解した。




互いに既に死地にいる。




間合いは半次郎が動けば均衡は崩れ息絶えるまで刃がぶつかり合う。




有馬の背中には冷たい汗が滲んでいた。




     「俺は薩英戦争で薩摩が英国に敗れわかった。


        武士の時代、刀で戦う時代は終わったことを。




         武士の時 代から新しき国を造ることこそが日本国を守る術であると。」




                 「ならばその国を守るために赤松に学んだことこそが

                    武士の時代を終わらせるのであろう」



眼光は鋭く研ぎ澄まされたままの利之助が会話に答えた。



      「武士の時代を終わらせる術を探していた俺の前に、



                                           なまくらお前が二刀をもって現れた。


          如何に国造りの理想を抱こうとも、この国にはまだお主のように


          私利私欲や野心もなく使命を果たすため剣を振るう武士が残っていることを知った。


                                                          おまえのような烈士が新しき時代を築くことを阻む。


           禁門の変で見た二刀使いを倒すことが出来なければ


           俺の云う国造りの理想など軽い口約束にもならぬ」



 


 

                      「買い被ってくれるな。俺には斯様な力はない」





     「お主にないだと?


        戯けたことを申すな!禁門の変で日和見を


        決め込んでいた諸大名の軍勢を動かしたのは間違いなく、


        お主の二刀が放った刃。烈士の覚悟よ」






                       「烈士の覚悟など俺にはないただあの時は・・・」






       「二刀使い!



                   死にたかったなどと申すなよ。



           死にたければ己で命を絶つ方法など山ほどあった。



           それをお前はしなかった。


           それはお主が生き残るまでにお主が奪った命があるからだ。



           今、俺の路を阻むため にお主は来た。


           迷わず闘いを選んだお主を烈士と呼ばずして何と呼ぶ!」









                        「半次郎。


                              お主こそ烈士ではないか。



                            烈士の覚悟があれば学者一人を守ることも叶うであろう」









          「なまくら。



             俺は幼き頃より師と呼べる者は誰もいなかった。


             独り剣も学問も学んできた。



             粗暴な俺を 嫌がらず受け止め教えを授けてくれたのは


             赤松先生のみを置いてはおらん。





             生涯で唯一の師と崇める人 物だ。



                   他の者に斬らせるのであれば俺が自らの手で斬る。」




半次郎の定めた覚悟は、師を斬った利之助の心の有り様そのものであった。








                         「赤松を斬ったのちは如何に致す?


                               俺と同じくなまくらになるのか?」 






             「俺はなまくらなどになっている時はない!!




                俺は先生が目指した国造りの妨げとなる武士が


                                                                 刀を手 放すまで刃であり続ける。」







半次郎の覚悟は、利之助と共に有馬も共に聞き届けた。



半次郎は赤松が示した国造りに心服し尊敬していた。


だがその路には阻む者が多く赤松の命は無いに等しい。



薩摩に赤松が降れば、赤松は武士の世に降っただけで己の理想を貫けなかった男になり、


命は繋 がっても「赤松の目指す国造りは命も懸けれぬ学者の綺麗ごと」と笑われるだけである。




己の尊敬した 師が描いた世を築く礎になる。


その一歩が師の命を殺めることである。



その役目を半次郎は他の誰にも譲れなかった。



                               「目指す路が同じであるにも関わらず、


                                                  譲れぬものがあるのだな」



利之助も半次郎の想いを受け止めた。




互いに一切の私怨はなかった。



ただ同じ路で譲れぬものがぶつかり合った。





                   「武士が支配する時代に終焉を迎えさせるためならば悪名を背負う。





                               覚悟を括るため俺が恐怖した烈士 小宮山利之助を斬り進む」



半次郎は抜刀し、示現流の一の太刀の構えをとった。



利之助は半次郎の声に言葉でこたえる代わりに、


二刀の無形から奥伝の十の型に変化した。




ここからは一切の問答は不要。



あとは刃で決す、その証である。




    利之助、



        半次郎は石畳みの上を僅かずつ、




爪先を這わせながら互いに間合いを詰め動きが止まった。




三者の必殺の間合いであった。