四手 殺活応機 三の参



 

「成程。左を封じるためか」

 

利之助がとった動きは右手の長刀による斬撃を交わすことが目的ではなく


一瞬で身体を貫く奥伝の左。


奥伝の左は脇差でありながらも一撃目の突進力を用いた特性を持ち、


討ちこまれた場合には相手の突進 力を利用する。



自身から撃ちこむ際には一撃目は相手の姿勢を崩し己の全体重を乗せた二撃目にある。


突進力を削れば奥伝の威力は半減する。山本は利之助の意図を三手で見抜いた。



「利之助。交し続けれるものではない。」



微笑を溢した山本は両腕から連撃の突きを放った。



突進力は奥伝と比べ圧倒的に劣るが、逃げ場所を封じるものである。


一介の剣士であればこの連撃の突きの中で切り刻まれる。



抜刀をしない利之助は下がり続けるしかない。




狭い場で追いつめるには十分である。




追いつめれば嫌でも飛び出す。


焦れて飛び出す利之助を突き刺す狙いである。




利之助は道場の敷地の中、徐々に追い込まれ残すところ二歩のみの間合いになった。



利之助は右足で地面を強く蹴った。




山本の狙い通りであった。



焦れた利之助が飛び出した。





「愚かだぞ利之助」


 山本の左が突き出された。



利之助の肺を抉り抜くはずであった。




脇差は利之助の肩に突き刺さっていた。




地面を蹴った利之助は長刀を抜刀することなく


山本の突進力と己の突進力で一瞬で間合いが零になったところを


狙い山本の肩を左手に握った脇差で突き刺していた。




僅差であったが利之助の一撃は山本の左腕の腱を切断した。



利之助の狙いが端から左肩の腱を狙ったに対し、肺を狙っていた山本。



利之助は跳躍の際に跳ね上がらずに、


地を這うように身体を投げ出したと言ってもいい姿勢であったため


肺を狙った山本の左肩は下がり狙った急所が二人の命運をわけたかのように見えた。



二人 は互いのいた場所に跳ね飛ばされ倒れ込んだ。



  「先生。左は封じました。


    事は決しました。利之助も殉じます故、腹を召してください」




息を切らしながら利之助は山本に嘆願した。




「ふっ。はははははは、小賢しいわ!!



   左が潰された程度でお主になど劣らぬ!藩兵の尽く討ち取るには右手のみで十分」




山本が如何に強気に言おうとも左肩の出血は増す止血を急がねば命は危ういことは確実であった。



利之助は己の役目を果たした。


そう思っていた利之助に隙が生じた。




山本は右手一本で利之助の首筋を狙って斬り込み利之助は遂に己の長刀を抜刀し刃で応えた。




兇刃と化した山本は斬り死にするまで、藩士を斬り続ける。



火縄が放たれても飛び込み斬る。



   ここで食い止めるしかない


だが利之助にできることは時間稼ぎだけである。




互いに奥伝の左を失っていることに変わりはない。


さらに傷は山本が深い。


だが一対一となり右手のみ で戦う際に利之助と山本の決定的な差は体躯であった。


日本刀を振るう際には安易に扱えるような代物 ではない自在に操るには鍛錬だけではなく、


もとより授かった身体能力の差は勝敗をわける要因であった。



山本の体躯は骨も太くがっしりとして剣豪に相応しいが、


利之助は饅頭同心と云われるほどの優男である。



利之助は身体の全身を使った疾さと巧さがあったが斬撃の強さは山本と比べるまでもない。


己よりも剣腕に優る者の剛腕から振るわれる剣を捌くには片手では到底間に受けられない。




剣を弾かれるか、剣ごと叩き割られる。



衝撃を逃すための左がない。



避けつづけることは不可能である、利之助の疾さは脚を失っていないので健在である。




だがそれは先手に仕掛け師を殺めること。 




「闘いの中悩むことなどない。


  斬れば死ぬ。それだけであろう」




重い一閃が振り下ろされた利之助は左腕を自身の剣の枕にし受け止めた。



受け止めただけでは終わらない。


山本は全身の体重を乗せそのまま押し斬る体勢である。


利之助は成す術を失った。



左肩に徐々に食い込んでいく山本の兇刃を押し返すことはできない、左膝を地に着いた。



「人の血に酔った剣は二度と鞘には戻らぬ」



山本が利之助の命を奪い去ろうとしたときに、


利之助の肩に食い込み始めた山本の剣が軽くなったように感じた。




「生きるために剣をとれ利之助!」




軽くなったと感じた瞬間に師山本の声が道場に響いた。



 刹那の一瞬、



山本の声に反応するかのように利之助は考えることもなく


枕にした左手に渾身の力をかけ 全身の筋肉を躍動させた。




一閃、薙ぎ払った右手に鈍い肉を捉える感覚が奔った。



山本の右は利之助を切裂く師との相打ちの一撃であったはず。





  鮮血があたりに飛び散った


      利之助の脇をゆっくり山本が倒れていった。



利之助の命を奪えたはずの山本の剣は止まっていた。




「利之助・・・すまん。理性の鞘には・・・」




と山本は息絶えた。





出血が増し意識が朦朧として利之助の眼に幸が映った。




幸は幻ではなかった。


山本の剣が軽くなった瞬間は幸が現れた時。



山本は幸の存在に気づき正気に戻った。


だが利之助は幸の気配を感じることもなく山本の命を奪ったことに気付いた。



     「幸・・・」





 「叔父様!!」




  「あんなに貴方を大切にしてくれていた。なぜ?」





動揺の中に哀しみと怒りが満ちてきていた。




弁明を山本に求めても既に絶命している。



山本が兇刃と化し、


大垣を襲った惨殺事件の下手人であったことを伝えようと思ったがとどまった。




幸と師山本の亡骸を背にし、利之助は傷を手当てすることなく


二の丸に布陣する鉄心のもとへ向かった。





城門では武装した大垣藩士が利之助の路を開けていく、





 身体に帯びた無数の傷、


 深手に左肩、



手当もすることなく


 右には血に染まった刃を剥き出しにしたままの剣を握っていた。





利之助の帰陣を伝える伝令の後ろから血に染まった利之助が現れた。




「介錯は如何に」




見兼ねた藩士が発した。


苦しみをとってやるために申し出たことだった。



「お気遣いは無用。痛みの中、死ぬことがせめてもの償い」



利之助は小原を見つめた。



小原の目の前にきて膝をつき右手の剣を地に突き刺した。


武装した鉄砲隊が利之助へ銃口を向けた。



「下がれ!」


小原は発した。



「皆の者ここより下がれ!小宮山と二人に致せ」



 「されど!」


「二度は云わぬ」 

武装した兵たちが三の丸へ退いて行った。




静まりかえった二の丸に二人。




   「全て決しました。」




「左様か。よくぞ戻った。お前だけでもよくぞ戻ってくれた」




小原は血に染まった利之助の手を握り締めた。





   「ご藩老様にお願いがございます」





「如何様にも申せ。主の働きは誰もが認めることぞ」



   「此度のこと有士隊が信濃にて強襲した浪士残党の所業としていただけますまいか?」






「何故じゃ?お主は正義を果たしたのだ。」




    「斬れば死ぬ。正義も悪もありません。ただ・・・」




「ただなんじゃ!申せ」




     「幸に山本先生を斬る瞬間を見られました」




「ならば幸にことの子細を申せば済むことじゃ。主が気に病むことではない」





頭を地に擦り付け利之助は鉄心に願った。


     「どうか。


      どうか幸には、師山本の所業であることは秘して頂きたい。


      師山本に奪われた御霊には某のこれからの生涯を捧げます故」





「しかし・・・幸は見てしまっているのであれば、


                   お主を、嘘をついた卑怯者と憎むぞ。」




     「それでよいのです。それで。


      幸が今生きる糧は憎しみの中にある怒り。


      生きる糧になるのであれば憎しみの的となっても後悔はございません」





「腹を召すよりも苦しいぞ」



     「腹を召したならば、真相を幸が調べます。


      故に某が憎悪の的であればよいのです」



「仇を討つと申した際には如何に致す」



     「幸はこれより私を斬るために剣術の鍛錬を積むでしょう。


      その日々が新しく生きる道を開くと信じております」




「全てを承知したうえでの願い・・・なのだな」



     「願わくば幸は山本先生の姪として名立たる武家へ嫁がせていただきたい」



「お主はどういたすつもりじゃ」



     「京へ。京へ私をやってください。


      京では政情不安が続き戦の機運も高まりつつあると、


      山本門弟の流派の名誉は戦で死することで果たしたいのです」




「流派の名誉を一死必殺の覚悟か・・・相分かった。傷の手当次第に京へ上れ」



     「かたじけない」




小原は小姓を呼び利之助の手当てをさせた。



翌日、城下には利之助の言葉通りに、


宮様下嫁の際に有士隊と戦った残党の所業であり、


その残党との死闘の後、山本はすべて討ち取り力尽きたと告げられた。




大垣藩士の鑑とまで謳われた剣士山本の死は、


上下の身分関係なく広く門下を開かれていた道場で交流 のあった町民から農民まで心を痛めた。



ただひとり叔父山本が血に酔った惨殺者であることの真相を知らぬ幸は、


山本の死が利之助による惨殺であること。


小原の予想通り、隠し立てた利之助への想いは憎悪へ変わっていた。



利之助は師の利之助の葬儀に参列することもなく


政情不安が増した京屋敷での警護役へ傷も癒えぬまま利之助は京へ向かったのだった。







  元治元年六月一日





京へ到着後池田屋事件が起こり翌月には利之助が感じていた戦


「禁門の変」が起こった。



癒えぬ傷のため意識をなくし日々を病床の中で過ごし、


利之助の心の中に血に酔い人を斬り続けた 師山本の最期の顔と、


その瞬間を目撃した幸の哀しみと怒りに満ちた眼だけが脳裏に残った。




小原は語り終えて幸を見つめた。



「斬った利之助は・・・叔父の凶荒を止めるため・・・」



幸の胸は締め付けられていた。



幸は叔父を殺害し真相を隠し生きながらえた利之助を 2 年の間憎しみ続けてきた。



自分自身が利之助への憎悪を糧に生き抜いてきた日々。


真相を語ることもなく孤独の中に生きていた利之助。


名誉や出世ではなく幸を守るためだけに闘い続けた利之助の心。


零れ落ちる涙は、とどまることはなく、幸の心の中の自分自身への怒りと、


父利之助の想像することさえも及ばぬ苦しみが溢れだしていた。


「幸。利之助と共に紅葉を見に養老の滝を見たとき、


 お主は父上、父上と、はしゃぎまわっていた。


                  あの日のお前を今も忘れておらぬ。



  言葉で詫びるなどあまりに稚拙だ、なれどすまなかった」




小原は幸に頭を下げた。



「可兒!!これが真実じゃ、急ぎ京へ戻り利之助を止めよ。


 薩摩とことを構えるとあっても構わぬ。儂 も追って京へ上る」



力強く可兒は頷いた。



可兒も烈士の覚悟が定まった。



  「小宮山殿のもとへ私は戻ります。幸さまはどうされますか?」



 「行きます。


  利之助・・・父上にお許しいただけなくとも。


  父上が私を守るために命を賭け闘ってくださった、


  父上の想いに気づことさえできなかった非礼をお詫びしなければ。


                               父上に、父上に・・・」






可兒は早馬に幸を乗せ中山道を京へ駆けだした。






可兒の背にしがみ付いた幸は一言も発することはなかった。








    慶応三年九月三日まで僅か。







~四手殺活応機 終幕~