初手 禁門之変 二


2「先手遊撃」



長州藩家老福原越後率いる長州兵 800
は士気高く伏見街道を洛内へ行軍してくる。



幕兵の体制は先陣に大垣、中陣に会津、後方に彦根を配し、


既に包囲網を敷き数でも上回っている。



洛内の禁裏付近には薩摩中心とした幕兵が展開している。




大垣藩本陣から離れ撃ってでる必要性などなかったのだ。




本陣から見えるところで先手として一手をつければよい戦を、


小宮山の浅はかな策で可児は窮地に陥ったと恨みに心は支配された




可兒の気持ちを読んだかのように小宮山は一言



 「怒りは目の前の敵にぶつけられよ」




伏見街道を上っていく長州兵は小宮山の読み通り、


前衛に鉄砲や弓などを身に着けた兵たちが通り抜け ていく。




今見つかればひとたまりもない。




可兒は小さな体をさらに縮め、野鼠と小馬鹿にしていた農兵よりも地 に伏せていた。 


小宮山はじめ有士隊は片膝を付き、命が下れば駆け出せる突撃態勢だ。





可兒は戦場の恐ろしさを身に染みはじめていた。




机上の学問や道場での鍛錬にはない息を殺し、



呑込む唾の音さえもが大きく周囲に響き渡るように思えた。






生きるためになど申して、皆死ぬ気でいたのだ





可兒は捨て鉢に声には出さずに心の中で叫んだ。



ただこの有士隊においてこの戦いで死を覚悟していた者は只一人のみ。


みな生き残ることを信じて疑っ ていなかった。




ひとつめの一文字三つ星が通り過ぎていくばかしが過ぎたのか、


時を刻む感覚さえ麻痺をしていた。



算術もわからぬ奴らと思っていた輩が冷静に時を刻み兵を数えていた。



「小宮山様」



静かに副隊長がおよそ
200 の兵が過ぎたことを、名を呼ぶことで伝えた。





小宮山の眼が何を見ているのかわからなかった。




もうすでにこの世のものではない暗い眼であった。






小宮山は己の脇差を腰布から鞘ごと抜き抜刀で鞘を投げ捨て二刀になった次の瞬間である。





 「押し出せぇぇぇ!!」





敵方にも知れ渡るように凛とした声が響き渡った。




「おおおお」



野鼠と化していた男たちは一斉に声を上げ、狼の群れに豹変し茂みから駆け出した。



先頭を駆ける狼は小宮山である。



臆して漁夫の利を得るような戦いではない。





可兒は駆けだしていく野鼠の巣に取り残された。





副隊長が最後の一人と共に駆けだす中、可兒を軽蔑するかのように一言発した。



「ご報告に走るのであればお好きに」



逃げたければ逃げろ。


そう言い残し駆けだしていったのだ。




可児は有士隊の中で唯一大垣藩の九曜紋を戦場で掲げることが許された身分。


小宮山以外の有士隊は大垣藩の正規の藩兵ではない。


現代でいう傭兵部隊なのだ。



戦陣でお互いにその所属がわかるように、


大垣藩の藩邸に飾られた甲冑の佩楯に刺繍されていた六文銭 を布に縫い付けていた。


六文銭は信州松代藩の家紋である。



家紋を掲げることよりも六文を身に着け命を落とした際にも


冥土へ 迷わずたどり着けることを願ってのこと。




巻きつけていた布には六文と裏には村とその者の名が記され ていた。



農兵故に苗字がなく命を落としても藩として見舞金が僅か渡されるぐらいであり、


宮様嫁下はじめ天狗 党の乱、大垣城下に暗雲をもたらした事件で


命を落とした有士隊の最期を看取ってきた隊の者が発案し たことであった。




大垣藩の上級武士は


「農兵如きが他家の家紋を身に着けるなどあってはならぬ」


と憤りを口々にした。



しかしながら有士隊を立ち上げさせた藩老小原は


「死ぬ覚悟を決めた男たちが身に着けるのだ」


と許した経緯がある。

  

長州兵は幕兵が布陣していることは斥候にて確認し、


隊の展開はせず縦列のまま進軍していた。



後に禁門の変と呼ばれるこの戦いで、散漫な用兵と揶揄されるが、


数に圧倒的に劣る長州ではあったが 敢えて兵を分けた。




献策は伏見街道の本隊を率いる福原越後である。



攻撃を一点集中させれば自然と守る側も防御の拠点を絞ることが叶う。


拠点を絞られれば消耗戦となり、 数に押されて時間がことを決するだけ。




兵は少なくとも小数用兵の利点である機動力を最大限に生かした攻撃、


急襲の勢いを借り禁裏に肉薄すれば幕府が大勢故に対応の鈍ることを予測していた。


長州の決 死隊は久坂率いる浪士隊であった。




福原はじめ長州の三家老は各々が囮を買って出ていたのだ。


小宮山が描いた戦いは用兵の視点において長州の作戦立案者福原越後と同じであった。



少数による奇襲により内部を壊乱させ、壊乱の動きが見て取れれば、


後方に控える小原指揮の大垣藩を


先頭に会津、彦根も大軍をもって畳み掛けると読んでいた。



「先手遊撃」



と小原に言い渡された小宮山の役はこの長州兵の混乱を引き起すことであった。



小原の命は混乱を巻き起こせばよく、


一撃を側面に当て遊撃として引き上げれば良いとの命でもあった。




藩主の名代として指揮を執る藩老の命を小宮山は無視した。




小原の読みはあたり、三十足らずの農兵である有士隊の突撃敢行に長州兵は慌て色めいた。





長州兵は三十程度の伏兵が四方八方より襲い掛かってくることを警戒し、


この時、有士隊に対したのは 僅か五十程度。




福原越後は方陣を敷くことを伝令に伝え奇襲に備えさせる。



方陣を整える短い時間、奇襲に耐え続けら れるか福原は焦りを見せたが、



第二派の襲撃がない。




軍略に秀でたものがどこかで指揮を執り少数で仕 掛け時間を稼いでいるのか。



長州の意図した急襲の勢いを削ぎ落し囲みの中に追い込み殲滅する。




幕軍にこのような実戦の軍略のあるものがいたか福原の脳裏は巡り続けていた。




自身の軍略に自信もあった福原だけに、幕府軍によるこの奇襲は予想を超えていた。



後方の方陣に控えながらも福原の眼は有士隊の動きを見逃さなかった。




少数の奇襲は一撃を入れれば任 は果たし離脱を図るが常道であるにも拘らず、


常軌を逸しっていた。




横槍を入れて反対方向へ抜けず、


長州兵の間に割って入ったまま方陣を組む福原本隊へ向け突き進んでくる。


「死に場所を探すか・・」


福原は小宮山の意図を見抜き、行動が命令系統でのものではなく


単独の攻撃 へと変化をしたことを見逃さなかった。



私兵の独断であろうと善戦を許し時間をかければ図らずとも福原の狙いは外れる。



勇猛な男は長州にこそ相応しいと心に思いながらも


福原は伝令に




「殲滅せよ」



と一斉攻撃を命じた。




三十対五十という戦いから、方陣を解いた長州兵は有士隊前方に六百、


割って入った後方に二百。




死地 である。



死地で温厚な小宮山には似合わぬ声が轟く。 




「刃を合わすは必ず一対一。目の前の一人を必ず射止よ」




的確な指示である。




個々の身体能力が特別高いわけでもないただの農村から金を稼ぐために参じた、


次男や三男で構成された隊である。



武具も旧来の足軽甲冑で手入れもない。


武器は弓などの飛び物どころか、槍さえなく、唯一戦うための武器が刀剣一本である。



刀が一本、二本は武士の礼装と上級武士が帯刀を許さず、一本のみが与えられた。


刀一本のみを頼りに戦う有士隊は数に怯えることなく「おお」と応えた。


恐怖で足を竦み潰走しても誰も笑うことなどできない戦力差である。



死地を超えた有士隊は狂の境地に足を踏み入れていたのかもしれない。



狂の境地ではない誰よりも刀を振るい続ける小宮山への篤き信だけが


有士隊を留まらせ奮戦させた。



ひとりまたひとり傷を負いながらも座り込むものも倒れる者もないない。





「生きるために」





倒れれば死が待っている。



立ち続け刀を振るい続ける限りは生きることが出来る。




「生きて帰る」



隊士が共有した唯一の信念であった。




侍の支配を受け続けてきた民が、武士の時代の変革を願う長州兵相手に牙を突き立てた。



牙を剥き出しにした狼たちの狩りと、


士分に甘え安穏としてきたものでは命への重みへの意識の差が明 暗を分けていた。




幕府に仕掛けるつもりの用兵が、長州には今こそ数で勝ったことも大きな向かい風になり


皆命を惜しみ突進力を留めるに至らなかった。




何よりも鉄砲も弓も味方が邪魔し放つこと叶わず福原は苦虫を噛み潰した。



「僅かな数相手に何をしておるか。貴様らは遊んでおるのか」




激しく配下に叱咤を加えても戦況は一向に変わらない。




優勢に立つどころか長州兵がひとりまたひとりと傷を負い、遂には長州兵に死者が出た。





「野倉様、中野様お討死」




名のある士分にある者の討死の報せが届くことは

士分以下の足軽に属する雑兵にどれほどの被害が出 ているのか。


  被害状況が気になる。


    今は一兵たりとも損じてはならぬ時だというに。



 より苛立つ。





伝令が僅かな兵を 相手に劣勢になっている戦況を報せに次々と駆け寄る。



「見ておればわかる。奴らはどこの藩の者じゃ」




伝令も担う斥候を担った使番に詰問した。


伏兵を見落としたことも重大なことである。



斬りこんで来た三十足らずの隊がどの藩の隊かもわからぬ とことに福原は苛立っていた。




時が充分にあれば少数が消耗するのを待ち叩けば済む。






福原率いる長州兵にはその時間がない。





軍略もなく散漫な攻撃を無造作に仕掛けた結果と、


禁門の変における長州兵の用兵が揶揄されたのは、 この竹田街道での大誤算があった。



誤算を生んだ敵がどこの者かせめて知らねばしかし報せは怒りを生んだ。




「幟も紋もなくどこのものかさえわかりませぬ。


             幕府へ士官を求める浪士野党の類やも知れませぬ」




血飛沫を浴びながら報せに走った伝令が叫ぶ。



「長州兵はどこの誰やもわからぬ輩に敗れるのか」



長州が欲した時間 「機」 を何処の誰かに分からぬ輩どもに奪われたのである。 




他の隊との合流は難しい、策が水泡と帰し、機を逃せば、兵数で劣る長州に勝ち目はない。


福原自身は僅か 30 に満たぬ輩に機を奪われたことを自ずと悟った。



「されど・・一文字三つ星の意地がある」



使い番の槍を奪い取り騎馬の腹を鐙で蹴り福原自身が駆けはじめようとした。


長州藩士が



「ご家老お留まりを。」



必死に諌める。



長州兵の中に混乱が起こる中、茂みの中には一匹の野鼠が震えていた。



可兒である。




甲州流軍学にも孫子にも五輪書にもこんな野蛮な戦法は描かれていない。


理に従い用兵を学問として納 めていた可兒は烈士の情は理解を超え


凶行としてしか映らなかった。




茂みに潜む野鼠に鷹の爪が降下した。


可兒は咄嗟に身体を捻り、爪を交わした。



だが身体が大の字で開き寝そべる格好となった。




鷹の餌食にされる。


鷹の眼を見据える勇気などなく力を入れ硬く目をつむった。




鷹の爪が心の臓を抉るとあきらめた瞬間、




野鼠の身体は強引な力で引き上げられた。


目を閉じていた野鼠の頬に痛みがはしった。




  「可兒!!生きるために剣を取れ」




可兒の頬は斬られたのではなく、殴られたのだ。



聞き覚えのある声に恐る恐る目を開く。



野鼠を狙った鷹は、野鼠の横で息絶えていた。





野鼠を持ち上げた者は咲き誇る躑躅の如く朱に染まり



井伊の赤備の援兵が駆け付けたのかと思った。




赤備ではなく血により朱に染まっていた小宮山である。



「こ、こ、こ・・・」



竦んでしまい声にならない野鼠を間髪入れずもう一撃が頬に打ちこまれた。




「生きるために剣をとれ!!」



言い放つと茂み一帯で繰り広げられる乱戦へ身を翻した。




可兒の中で崩れていく武士の世界の象徴である石垣があった。





武士という身分と名に甘え持ち続けた理想像は、


戦ではなんら意味のないの戯言であることを痛感した。




武士だから強いのではない。


戦うからこそ強く、強さは綺麗ごとではない。


生き残る意思そのものが戦場での強さなのだ。






武士などという名前や身分など戦場では無いに等しい。


武士の思い上がりこそが異国に付け入る隙を与えた。




僅かな農兵を相手に苦戦を強いられている長州藩士を観て冷静に感じていた。



己が武士であるために。




有士隊が大垣藩の武の誉れであったことを残すこと。


それが出来るのは九曜紋の旗を掲げることの許さ れた可兒だけである。




大垣の名を残すのではなく、大垣の為に命を懸けていたモノノフの姿を示すこと。



可兒の意地を懸けた最期になる。



九曜紋を掲げれば自ずと敵の手が集中することは間違いない。




野鼠のまま生涯を終えるよりも、日の明 かりの中、


九曜紋を天へ掲げる道を選び地に伏せていた幟を高らかに掲げた。 






一文字三つ星の幟がはためく中、一本の九曜紋が掲げられた。


九曜紋が目立ち、福原の眼にもとまった。



「九曜紋だと・・・この兵は大垣の手か」


布陣している諸大名の中、九曜紋を用いているのは大垣藩。



大垣藩は太平の世にあって尚、


神君家康公 の残した遺訓に従い武の高みを目指した藩であった。



武名高き大垣藩が何故一本の九曜紋のみを掲げる のか。



福原は理解に苦しんだ。



「大垣藩の指揮は誰が執っておる?」


 「はっ。藩の執政である小原鉄心殿に」



「小原・・・小原は斯様な奇策を用いる男とは。猪突猛進しか知らぬ戯けだと思っていたが」


 

 「なれど・・」



「許せぬな。死兵を送り込み自らは後方で高みとは」



福原は勘違いをしてしまった。




大垣藩の指揮を執っていた小原鉄心の命は先手を付ける一撃を入れることで乱戦ではない。


ましてや死兵を送り込むことなど毛頭ない。



当の小原鉄心は有士隊斬り込みの報せを受けた後に、


戦況を報せる声 に信じられぬ報せを耳にしていた。



「有士隊、留まり乱戦と相成り。」



 「戯けが!!!」




報せに駆け寄った使番を一喝した。




小原は小宮山と初めて出会った饅頭屋での出来事を忘れていた。




「饅頭同心風情が斬り死にかっ!」



優男でしかなかった同心である小宮山との出会いが、


混迷する時代のかじ取りを任された小原にとって 心が癒される愉快な時間であった。



小宮山の鞘の理への覚悟を見落とした己の失策を感じた。



「大垣の武を御所様と天下に示すべし、全軍討ってでよ」



迷うことない小原の決断が有士隊を救うことになる。



小原自身が先陣きって進軍を開始した。


大垣藩士 の士気は大いにあがった。




小原の想いと、大垣藩士の想いには差があることは確かだが勢いはあった。


大垣藩出陣は後衛に構えていた会津にも報せが届いていた。




「大垣藩討って出ました」



 「いかん!!大垣のみに手柄を与えてはいかんわしらも出撃じゃ」




「既に先方の新撰組が逸って討って出ました」




 「会津の武を示す時ぞ」




構えて守りに入っていた諸大名は、姿勢を変え攻めに転じた。




守勢故に動きの鈍さがありその隙を狙う 長州の狙いが大きく狂ったのである。



狂いを生じさせたのは僅か 30 本に届かぬ刀と一本の九曜紋 大垣藩士は大垣が武の証、


九曜紋を倒させてはならぬと怒涛の勢いで我先にと攻めかけた。



勢いに勝るとも劣らぬ突進を見せたのは新撰組である。


新撰組は動きの鈍い諸大名の藩兵に苛立ち突撃 を開始する機を見ていた。


長州も幕府諸藩も狂った時代の歯車は大きく廻り始めた。 



蛤御門で睨み合いとなっていた薩摩と長州。




禁裏に向け発砲することは朝敵となるため蛤御門の長州兵の役目は



薩摩を引きつけ時を稼ぐこと。




機を狙い、久坂率いる隊のよる禁裏への奇襲が狙いであったが


処々で幕府側の予想外の動きが知らされていた。



長州三家老の描いた必勝の策は崩れた。



負を悟った家老とは別に血気に盛る若き長州兵たちは禁裏に向け銃を放ってしまった。



発砲により静観していた薩摩も動かざるを得ず、長州と薩摩は激突した。




圧倒的数で勝る幕府諸藩に対し長州も予想以上の善戦を続けた。



各個撃破される中でありながらも禁裏へもう一歩まで近づいた隊があった。




長州の若き指導者のひとり久坂である。




戦に負けたとしても御所様を萩へお連れできれば挽回は叶うと突撃を敢行していたのだ。



しかし潜入し御所様をお連れするために手勢も僅かで戦う数ではない。



久坂も力尽 き決死隊と共に自刃し果てた。


久坂に付き従った藩士は禁裏近くに火をかけた。





朝日の如く天に突き上げられた九曜紋を取り囲み闘い続けた有士隊は


軍神の加護か一人として落命をしていなかった。




潰走し踏みつけられていく一文字三つ星のなか生き残ったことを感じ可兒は脱力した。





有士隊の顔が勝ち戦にも関わらず曇始めていた。





「如何にした援兵も来て、我らが勝ったのだぞ」



力無げにも農兵たちに声をかけた。



「隊長が・・・小宮山様の姿が・・・」



士分である副隊長のひとりが俯き呟いた。




九曜紋を杖のようにして立ち上がり可兒は周囲を見渡した。



倒れ込んでいるものが敵方か援兵の犠牲者なのかはわからない。




 「探せ!探すのだ」




可兒は声を振り絞り命じた。


命じられるまでもないと有士隊たちは既に周囲の倒れ込んだ屍の数々を見て回っていた。




 「まさか・・・」



あれだけの傷を負いながら敵陣へまだ突き進んでおるのか。




鬼神なのか。



 「追いかけるぞ。皆追いかけるぞ」



可兒は、小宮山は駆けつけた大垣藩兵と共に長州兵を追い込んでいると確信した。



あれほどの男が傍らに座り込んでいるはずがない。


小宮山の剣腕は噂ではなく真のことであったと今更 ながらに思い知った。



大垣にとってなくてはならぬ武士の魂を宿した男であると思い直した。




激戦で傷つき疲れ切った有士隊であるが


その身体を引き摺ってでも小宮山が戦う前線へ押し出す気迫に満ち


誰一人倒れ込むことはなかった。




前線へ走れぬ身体でありながら進み続けた。



既に前方から鬨の声があがっていた。




決着が着き、戦は長州兵の掃討戦が始まっていた。





前線にいた大垣藩士に有士隊の小宮山のことを尋ねるが


「戦に必死で些細なことなどにかまっておれぬわ」


と下級士分ひとりのことなど気にもかけておらぬと口々に放ってみせた。



脇を誠の旗が駆け抜けていった。


「組長!」

長身の男が旗に目がけ叫んでいた。





壬生の新撰組も大きな戦功をあげたようだが可兒にはどうでもよい こと。



今はこの戦の一番の功労者である小宮山の存命の確認が最優先。


落命していたとしてもその身体を篤く葬ることが目付としての役目であると付近を探索した。




 「生きるために剣をとれと云った、お主が生きておらぬでは戯言で終わるぞ」




魂の叫びである。


叫びは奇跡を呼び込んだ。



奇跡は誠に旗の下にあった。





「こやつの剣腕は組長とて叶わぬやも」


「ふん。在京の士にそのような輩がどれほどおるか」


二本の刀を右差しにした男が応えた。



「確かに。免許皆伝などと吹くが、金で買った免状ばかりに似非剣士ばかり」




この時代、武士たちは魂というべき剣腕の評価は重要であった。




実際に斬り合うことの少なかった彼らは剣の強さを実戦で試されることなど稀であった。



時代の流れと共に闇の中で流派免許皆伝の免状までが売買されていたことを


新撰組の組長と呼ばれた男は皮肉ったのだ。



在京の士で、剣術に長けた者は実際に斬り合いが常になった昨今。


各藩にとって貴重な存在となった。


貴重な存在でありながら、決して高い士分になく身分の低い士分の者が強かった。






 生きていくために剣を振るうしかない。


 金に困らぬ遊興の剣術ではない。


 人を殺めるために存在するものが求められた。




一つの集団が浪士組と呼ばれた新撰組である。





彼らは出自は問わず、士道という道と、殺める強さのみ が欲せられたのだ。



「なれど組長。この男。死して尚手から刀を離しておりませぬ。真の侍やも」



「久米部。主が討ち入るや何かと思えば・・・屍になればもはや侍でもなんでもない」




久米部と呼ばれた新撰組の一人が乱戦の中見た戦いに始終を語り終えた。




「一理」



他の隊士が応じる。



「組長。こやつまだ屍になっておりませぬ。」



久米部が不服とばかりに応じた。



急速に生気は失っていくが微弱ながら息をしている。




「惜しいな」




組長と呼ばれた男は実直であり、


この男が戦い続けたことを悟り消え逝く侍に敬意を込めた。



  その時である




「小宮山様!!」


「小宮山様がおったぞ!!」




有士隊のひとりが新撰組に取り囲まれた小宮山を見つけたのだ。



有士隊は勘違いをした。


新撰組が家紋 のない小宮山を長州兵と誤り斬ったのだと。




刃こぼればかりで殺傷能力を失った刃を新撰組に向け気力 の限りに叫んだ。





「大垣藩有士隊隊長小宮山様との知ってのことか。」




殺傷能力のない刃であるが十分な傷を負わせることは可能である。



 新撰組隊士も抜刀し身構えた。





  「待て!誤解するな」




久米部と呼ばれた男が割って入った。 




  「この男は大垣の侍であったか。」




感心したような顔つきで久米部が豪快に言い放った。




「そうじゃ!お味方まで討つとは・・・」



怒りを抑えきれない有士は今にも斬りかかろうとしていた。



  「待て!待て!何を誤解しておる」



狂乱していると見て取った久米部は分かりやすく端的に告げた。


  「わしが助けた」




「なに?」




   「長州兵が潰走する中、単身刀を振るっていたこの男をわしが助けた」




   「主こそ味方を疑う前に己の大将ひとりを戦わせておいてその口ぶり無礼ではないか」




「無礼でもなんでもいい。小宮山様を返せ。」




一触即発の中、可兒が駆け付けた。




九曜紋を身に着けた可兒である。


会津藩ではなくとも士分として新 撰組より上役にあたる。



新撰組とてわきまえる分別はある。





 「強い侍です」



失われていく剣腕を惜しみ右差の男がことの詳細を可兒へ告げ、小宮山を引き渡した。


有士隊は戦が終わってからはじめて歓喜に沸いた。




歓喜に包まれた集団を林の中から見据える梟がいた。


梟は身を潜め続け戦いの始まりからその終わりま でを見届けた。


梟は長州兵へ兵を引く使者として使わされた密使の役目を帯びていた。


密使としての役目を果たす前に三十程度の手勢が奇襲を仕掛けた、



その中にあった狼の牙に梟は身を震 わせていた。


生まれて初めて恐怖を感じていたのだ。





京の都を三日間にわたり炎に包みこんだ「どんどん焼け」と呼ばれた大火は、


ひとつの時代の終焉を告 げる業火へとつながっていった。





奇数な運命の点と点が重なり大火の中、


なまくらと呼ばれた武士と共に闘い刃を合わせた、



剣に生きた 最期の武士たちの闘いも斬って落とされたのである。





鞘の中で二六〇年眠り続けた刃がぶつかり合ったこの大乱を


後世に禁門之変と呼んだのである。





なまくら 初手「禁門之変」終幕


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