四手 殺活応機 一の弐


     「可兒。くどい!!」


利之助は一喝した。

二人のもとへ小柄な男が近づき声をかけた。



「可兒君。何事の為と言え偽りはいかん」



可兒は聞き覚えのある声に驚いた。


「赤松先生・・・」

      「赤松・・・」




「小宮山殿・・・


                    でしたかな?


       盗み聴くなど悪趣味な真似をするつもりはなかったが、


       門下生の可兒君 の様子がおかしかったので、万が一があってはと追いかけてきたのだ」





万が一とは、可兒が半次郎に斬りかかることを案じたことであることを利之助は察した。




 

利之助は伸びた髪の中から細い目で赤松小三郎なる人物を観察した。



    特徴がある男ではない。


         小柄であり、服装も華美でもない




ひとつ目立つと言えば腰に下げている刀ぐらいである。


可兒が赤松先生と呼んでいた男が利之助と変わらぬ歳にうつり。



学者といえばもっと年老いた様子を描 いていたからだ。



「隣に失礼するよ。小宮山殿」





利之助と可兒と間に割って入り、赤松は悠然と腰を下ろした。




   「赤松先生申し訳ありません」



可兒は平伏した。





「可兒君。謝る相手を間違えている」





    「申し訳ありません。小宮山様かたじけない」





可兒は素直に応じた。



二人の穏やかなやりとりに懐かしさを覚えた利之助であるが、




           同時に自身の心の傷を大きく抉られた。





「今の日本をどう思いますか?」


赤松は小宮山を見ずに河原を眺めながら突然発した。



 


        「国のことなど俺にはわからん」



「そうですか。戦頼むは大垣とまで謳われた剣豪をはじめてみましたが、


   むやみに人を斬っていた男には思えません」



         「人は斬れば死ぬ、それ以上でも以下でもない」





「では、正義や志のためであれば人を殺めてよいと思っておいでですか」


軽蔑を表すように利之助は鼻で笑った。



          「正義?     くだらん。


 


            勤王、攘夷、開国。


                               口々に己の正義を口にして、毎夜京を血で染めていく。



             そんなものに正義などない。


 



                                                      欲深き殺し合いだ」






「小宮山殿は、鞘の理というものを修得しておるようですね。



                                                                      その理はなんなのですか」




赤松の言葉が確信へと近づくことを真理が嫌い利之助は話題を変えるように吐き捨てた。




        「頭がでかい学者ひとりが死んでも世の中は変わらん。


           お主のように己の手を血で汚すこともなく、そ の口下三寸で人を死に追いやる輩。


           雄藩に抱えられ、いい気になった報いだ」




赤松は静かに応えた。 


「抱えられてなどおらぬ。上田藩士十石三人扶持の身よ。」





利之助と同じ禄高であることに少なからず利之助はおどろいた。




「貴殿の言うとおりだ。確かに自らの手を血で汚すことをしたことはない。


   幼き頃から刀の扱いも出来ぬほど。



   私は世のために働きたいと父に頼み算術、砲術、蘭学などを学んだ。


   学ぶ中で見つけた西洋の 学問で得た国を守る答えがこの刀だ。


 

   国を守る誓いの為、特別に作らせたものだ」



赤松が腰に下げている刀を叩いて見せた。




           「西洋刀か?

                         西欧かぶれになることが学者様の国造か?」



利之助に応えるため鞘からゆっくり刀を抜いた。




「西洋カブレ・・みなそう思うだろう。


   それでいい。 私は、刀は飾りであって欲しいとさえ願う。



   こんなに鋭い刃で斬られれば痛かろう、私は人に痛みを与えたいのではない。



   この世に明るい未来が欲しいのだ。


   この刀を抜けば両刃である限り私自身を斬る。



   敵に刃を向けること

                                   すなわち自分自身に刃を向けることなのだ。」





切先を見せながら利之助に語りかけた。



「片側が幕府、もう片側が薩摩。



  刀を抜けば双方傷つく。どちらにも加担する気はない。


  私は生涯, 戦のために刀を鞘から抜かないよ」





                 「きれいごと・・・」




「きれいごとだ。



     きれいごとが自由にいえる世の中。



                                                      話し合いで決める世の中。



   国造を果たすために殺 活応機の誓いと共に打たせた刀」








             「殺活応機。


                             殺さずに活かす?


                それがうわべの綺麗ごとだと言っておるのだ。


                戦の続く世に斬らずして 如何に国を守る?」






可兒は大きく唾を呑み込んだ。





利之助は生きるために剣を取り闘い続けてきた男である。


利之助が修めたとされる鞘の理を無視するかのように、


時代は国を守るために人を斬らなければならなかったからだ。




「貴殿の眼。


               なまくらと言われている眼ではない。



哀しみに満ちた眼。哀しみに満ちた眼を閉じようと思えばいつでも閉じれた。



しかし貴殿は苦痛の生を選んでいる。


己の心の奥底の意志が生を選んだ?なんら覚悟は変わらんよ。」






          「話合いなど、侍同士がやるなら、幕府であろうと薩摩であろうと何も変わらない。


             世の権力者がかわるだけ。国を動かす戦の道理は変わらん」



利之助の心を見透かすような赤松に嫌悪感を覚え声を荒げた。





「私は・・・民、百姓、女子供も自由に話し合いに加われる国を目指したい。」



利之助の眼が冷たさを取り戻した。




「貴殿の目は嘘をつかぬな。


                                  わかっておる。わかっておる。

                                                                      10 年も 20 年もかかるであろう。


  理想を持 ちし者が、幕府や薩摩、はたまた町民や農民からも集まり語らえば、


  国を作り変えていくことはできると、私は信じている。


  人を信じなければ国は守れない。信じる故にこの両刃の刀は鞘からは抜かぬ。


 

  私が己に誓った殺活応機」






         「人を信じる故の殺活応機、



                   殺さずに活かす誓か・・・貴殿と同じ教えを授けてくれた方がいた」





「貴殿の師か」 



         「俺が知っているのは殺活応機ではなく、鞘の理」



「鞘の理とは?」




          「鞘から刀を抜けば、斬るしかない。



               人から大切なものを奪い去るものが刃。



                  刃は奪う、だが鞘の中に 納まり続ける限り人を守ることができる」




赤松は利之助の声に耳を傾けた。




             「だが師の教えに背き鞘の理を守ることもできなかった」





「小宮山殿。


  貴殿の哀しき眼は、鞘の理のため、大切な何か守るために刃を抜いたことへの苦痛からか・・」





赤松の問いを再び閉ざすように利之助は応えた。




             「七〇万石の大大名が、たかだか十石三人扶持の貴殿を恐れるか?」




「そうだ。七〇万石と十石では戦にさえならぬのに、可笑しな話であろう」



初対面のふたりであったが昔から互いを知っていたかのように笑いあった。





可兒は二人の奇縁を眺めていた。





               「赤松殿、俺ひとりのなまくら刀で貴殿を守れる約束はできぬ。


                  鞘から刃を抜いてしまった俺には眼が 永久に閉じるまで苦痛の生を選ぶ。


 

                血に染まる者たちの変わりに貴殿は殺活応機の誓


                    皆が話し合いで つくる国造りの話。


                                                  誓って守ってもらえるか?」



利之助は鞘に入った刀を赤松の前につき出して問う。




「必ず。何年かかろうと貫き通す。


  私は藩主さまを架け橋に幕府と薩摩の話合いを続けさせることからよ。」



赤松は爽やかな笑顔で答えた。






                 「可兒。密命は確かに引き受けた。


                    代わりに屋敷の中にある俺の包みの中にある書を藩老様に届けてくれ」



      「屋敷の荷物の中?」



                 「俺は藩邸には戻れぬ。」




                 「中身は藩老様宛て認めた文が入っておる」




        「文にございますな。中身は・・・」




                    「お主のあずかり知らぬこと。大垣藩有士隊隊長としての物。」



利之助の言葉は可兒が藩老の名を偽り書いた文に関しては一切触れぬということを意図していた。



                 「割腹して果てる覚悟あると申したな」





       「覚悟に変わりはありません」




                  「ならばお主の脇差預からせてもらう」




      「脇差を・・・?」




                  「そうだ。一刀では勝てぬであろう」




大垣藩士二人のやりとりを聞いた赤松は口を挟んだ。



「小宮山殿、中村君を斬ることなど必要はない。」




                  「赤松殿。貴殿は貴殿の戦を続けられよ。

                                   剣に生きた者には剣でしか出来ぬことがある」




                   「わが師の最期の言葉は『生きるために剣を取れ』であった。



 


                     その言葉の答えを探し、禁門へ変で剣を 取り戦った。


                                          赤松殿貴殿に逢い、師の言葉の答えは見つかった。」 

「それは?」




「人を活かすために剣を取れ。鞘の理に託された剣士の戦いだよ」





言い残し、可兒の脇差を手に闇夜の中に利之助は消えて行った。






後ろ姿は大垣の者が憧れた男の背中である。



           なまくらではない、大垣藩士小宮山利之助であった。





可兒は赤松と共に私塾へと歩み出した。




「可兒君。烈士とは斯様な男たちなのだな。算術などでは計れぬ」





可兒は赤松の率直さが好きであった。



兵学を極めたと周囲に賞賛されながらも、権威に頼り威張ることもなく、


わからぬことは率直にわからぬと門下生に教えを請うことも常にあり、]


非が己にあれば誰であろうとも頭を下げる、武士の世にありながら、


武士を押し付けない人柄に惚れていたのだ。



     「赤松先生。


        小宮山殿に託されたことを成すためにしばし大垣へ戻ります。数日で戻ります故」





      「おひとりでは動かれますな」



 

「可兒君。中村君は堂々と訪ねてきた。


    六日後の九月三日まで私の回答を待つ腹積もりだよ。



    あの男も 小宮山殿と変わらぬ烈士。


                                         決めたことは変えることはない」






自分を斬るといった半次郎に敵意どころか


烈士としての覚悟をもつ士である賞賛ともいえる言葉をだすことに可兒は驚きを隠せなかった。


可兒は赤松の私塾を後にし京の大垣藩邸に戻り小宮山の荷物を見た。




三条河原でなまくらと呼ばれる男 のだらしないものとは違い小奇麗にまとめられていた。


中に確かに一通の文があった。



「命の代えが一通の文。小宮山殿は何を思っておるのだ」



虚言を申した己の文。


何時書いたのかわからぬ中身もわからぬ文。




「急ぎ届けるしかあるまい」



藩邸に大垣へ急の知らせあり駆けると申して、


馬を駆り中山道を駆け抜けはじめながら有士隊の話を可 兒は思い出していた。



利之助が単身薩摩藩邸へ斬り込むことなどあり得ない。


小宮山利之助の戦いは真理を読んで急所をついてきたと聞き及ぶ。





中山道で繰り広げられた和宮様の輿を狙った者たちと戦では、


大垣藩総動員で警護 にあたった美濃路での敵襲が陽動で、


中山道の下諏訪宿と和田宿の間にある難所和田峠での強襲が真意であることを


見抜き藩主の命を待たずに自身の隊を率いて、


根城となっていた山間の砦を先手をうって 強襲したと云う。





禁門の変であっても敵陣中央の急所をついた。



利之助の狙いは半次郎たちが薩摩藩邸を出た急所を狙うはず。



数日は薩摩藩邸の動きを探り、急所となる戦う場を見定めるだろう。


とはいえ、半次郎は赤松先生が 9 3 日に薩摩藩邸へ挨拶に出向く際に斬ることは間違いない。





可兒にも限られた時間しかない。



馬を乗り継ぎ休むことなく大垣へ向かい中山道を駆けることを決した。






可兒が京を経ち中山道を駆け始めた頃、薩摩藩邸でも動きがあった。






瞑想にふける半次郎のいる部屋の戸を勢いよく開け放った。



「半次郎!半次郎!」



有馬藤太である。




「なんだ有馬」

赤松と会談してから半次郎は瞑想に更けている。

「なんだではない、可兒につけておいた洗馬と根古屋が戻った」




半次郎の眼がぎょろっと開いた。



    「可兒に?斯様なことを命じたことはない」




「甘いぞ半次郎。可兒は我らの狙いを知っておるのだ。


   手を打つのは当たり前だ」



    「洗馬と根古屋は何を報せてまいった」



「夜半に可兒は三条河原の浪人と会い、その場に赤松も同席したそうだ」





     「三条河原の浪人・・・」




半次郎の胸が大きく波打ち始めた。





「可兒は大垣藩邸から単身馬での中山道へ向かったとのことだ」



     「左様か」






「左様か     ではない。


   可兒が大垣藩に向かったという事は、大垣とことを構えるやもしれぬぞ」




     「有馬。期限の九月三日までは何があろうと動くな。


                              お前であってもこの期限を違えれば斬る」



「悠長な!!」



       「何者が薩摩の路を阻もうとも斬る。」



半次郎は説得できるような男ではない。


違えれば薩摩藩士同士であっても斬ることは確実である。



「ではあとひとつ。壬生浪士らしき者が薩摩の回りを嗅ぎまわっておる」



      「壬生?新撰組か。そちらは好きに致せ」



有馬は表情を変えずに退室していった。



半次郎は目を閉じ再び瞑想をはじめようとした。




瞑想の中、闘い続けた幻の男との死闘に決着をつける時が訪れたことを半次郎は悟った。





「来るか。二刀使い。」





静かに呟いた。






可兒が駆け抜ける中山道では東の空がうっすらと耀さをみせ琵琶湖が鏡のように光を放ち始め、



朝日に 包まれた三条河原から「なまくら」の姿は消えていた。