五手 一死必殺 四の弐



蝉の声はいつしか止んでおり、



大粒の雨が古道の石畳みに落ち始めた。







大粒雨は目の前を遮るように激しさを増し、微動だりにしない三者の間合いを埋めていった。





動いたのは有馬であった。





病床であり傷を負っている利之助の動きは緩慢になりはじめていた。






利之助の剣先が一瞬であるが僅かに下がったのを見逃さなかった。


 



     傷の痛みか、病のためか、疲労か、理由はなんでもよかった。



  一瞬の僅かな隙を見せれば必殺の間合いの中にいれば均衡を崩すのだ。



瞬時に有馬は抜刀し利之助の頸動脈を狙った一閃を放った。



確実に仕留める間合いからの一閃であり急 所を捉える筈であった。






有馬の刃は利之助の首元の皮膚を削っただけであった。





有馬が仕留め損ねたことに気づく間もなく有馬の脇腹に激痛が奔った。





有馬が斬ったのではなく斬られたのだ。


何が起きたのか理解ができなかった。




確かに仕留める間合いにいた。

        間隙をついた一閃であった。





利之助は敢えて剣先を一瞬下げてみせた。




抜刀での一撃を狙っている有馬を誘い出すためであった。



達人になればなるほど僅かなことを見逃さない。



身体が勝手に動くといってもよい。



有馬の間合いは僅か狂わされていた。



有馬の間合いを崩したのは他ならぬ有馬がはじめて感じた恐怖であった。




仲間を目の前で斬り殺された怒りではなく、


有馬を支配していたのは躊躇うことなく刃を振るう男の氷の眼であった。




有馬の深層の 中に生まれた恐怖が必殺の間合いさえも狂わせていた。




有馬は抜刀で半次郎と利之助の間に割って入っていた。




守りではなく、抜刀の一閃で攻め斬る際には全身の加重を前傾させるため二の手を持たぬ。



技の特性を逆手にとり、均衡を崩すため有馬に利之助が仕 掛けさせた罠であった。

 

 

罠に嵌った有馬を襲ったのは利之助の奥伝の左ではなく、

 

右による横凪であった。

 

 

 

 

有馬は死を覚悟した。

 

 

 

  二刀使いが隙を見逃すはずがないと。

 

 

有馬は半次郎に救われた。

 

 

 

 

有馬は紫陽花の中に埋もれるように倒れ込んだ。

 

利之助は抜刀した有馬の動きとほぼ同時にトンボの構えから

 

飛び込みをかけた半次郎が映っていた。

 

 

有馬を奥伝の左で突き刺せば有馬は絶命したであろう。

 

 

 

 

だがその次の瞬間に絶命するのは半次郎の真っ向が

 

              脳天に打ち下ろされる利之助である。

 

 

飛び込んでくる半次郎を左で迎え撃つため

 

右の横凪で有馬の脇腹を斬り払い有馬の動きを封じた。

 

倒れかかる有馬を無視し半次郎は勢いのまま飛び込んだ。

 

 

振り下ろされた真っ向は利之助の右脇の空を斬った。

 

 

 

利之助の右は有馬を斬った残身で受けれず、

 

 

左は 死角となった。

 

 

 

飛び込んできた半次郎に利之助は

 

左肩から全身の体重を乗せて激しく身体をぶつけ 半次郎を突き飛ばした。

 

 

 

姿勢の崩れた半次郎に利之助の連撃が襲い掛かった。

 


       長刀による袈裟斬り横凪、


                             脇差による突き。

 



疾風の連撃であった。







夢枕の中、一対一で二刀使いと闘ったが疾風の連撃で半次郎は切り刻まれていた。




 今起きていることは正夢である。





襲い掛かる一撃一撃は病に冒され二年も剣を握っていない男の者ではない。







修羅を越えた悪鬼であった。






悪鬼の心を乗り越え倒さなければ半次郎が振るう刃は


                私利私欲に満ちた野心に捉われた邪剣に陥っていく。



生涯悪名を背負う悪鬼と化すために、



脳裏に焼き付いて離れることのなかった禁門の変の雄



 「二刀使い」 の刃を


己自身で斬り払うことに拘った。




三条河原で利之助に再会したとき半次郎が叫んだ



「私闘」の言葉は



時代の流れに逆らう男と闘い、己の覚悟を定める為であった。





 三条河原で再会を果たしたとき


 腑抜けとなった利之助に憤り「なまくら」と呼びつけた。



 目の前にいる男はなまくらではない。



 半次郎が闘いを求めた二刀使いである。




半次郎が恐怖した二刀を携え、眼光の奥は凍りの切っ先の如く鋭く冷たい。



あの目に飲み込まれれば待っているのは死である。




  人を斬るために己の心を捨てた眼。



       哀しみと自責を秘めた深き眼。





       二刀使いの強さは剣技ではない。




半次郎はそう思っていた。


剣技であれば有馬が格段に上であろう。





 剛腕であれば半次郎が上。




 二刀使いの 強さは眼である。





眼光が相手の間合いを惑わせる。





剣技で勝る有馬が僅かな間合いに狂いを生じ敗れ去ったの。



有馬は二刀使いの眼に呑込まれていたからだ。






半次郎は目の前で同志が二刀使いの刃の渦に呑込まれ斬り倒されていく様を、



眼を閉じることなく見届けた。





問答は不要。


 二刀使いが半次郎に云った言葉



      「抜けば斬る。斬れば死ぬ。」





 そこに存在する真実はそれ だけである。








闘いに至った理由はもはや必要がなかった。




利之助の身体で跳ね飛ばされた半次郎であるが、



左足を軸に踏ん張り崩れた姿勢のまま左から右へ狙いもなく斬り上げた。





半次郎を狙った袈裟切りが襲い掛かる刃を弾き飛ばし



 半次郎の剣も跳ね上がった。






利之助の刃がはじめて重なった。




だが利之助は止まらなかった。



弾き飛ばされた剣の流れに身体を乗せ遠心力で回転し半次郎の右腹へ横凪を繰り出した。



半次郎は後方に飛び避けた。



交わされた刃はすぐに流れを変え半次郎の 頸動脈を襲った。



半次郎は膝を突きこれを交わした。


 半次郎は反撃のきっかけを待った。




   反撃のきっか けは奥伝の左を潰すこと。





利之助が二刀になりながら長刀を用いた凪を多用している。



奥伝の左を突き出す機会を狙ってのことであることを


半次郎は激しく動く身体とは別に冷静に読み解いていた。



膝をついた半次郎の脳天を狙った長刀が振り下ろされた。





雨でぬかるんだ石畳に片膝をついた半次郎は


 手で泥らしきものを握り利之助に投げつけた。



泥を被っても連撃は止むことがなかった。



片膝から立ち上がる肺を狙った奥伝の左が半次郎に襲い掛かった。




「左!!」





半次郎は心の中で叫んだ。




    待っていた左の奥伝。


        この左を斬り落とす。



             落とせなければここで死ぬ。






刹那の瞬間立ち上がりながら剣を振り下ろした。




奥伝の左が半次郎の肺を捉える前に可兒の脇差は古道に叩き落された。



奥伝を封じた。






半次郎はこの日、自身の脇差を帯びていなかった。




半次郎が知る奥伝は脇差を鞘から抜き去り、命を奪い還す非情な業。




防ぐためには二刀にさせぬこと。




名誉の帯刀よりも実を取った。




互いに 1 本ずつの刃による真正面からの激突となった。