五手 一死必殺 六の壱


6「鞘の真理」




古道を這い黒塗りの山門にたどり着いた利之助は身体を預けた。




半次郎が去って一刻かどれほどか、





全身からすべての力が抜けていく。



気力も失せていく。



痛みが奔る ことはもうない。





二度にわたり斬られた背中、


肩口の傷からの出血は続いてが身体は痛みすら感じることはなかった。




床に臥せて眠りにつくことを望んでいなかった。 



妻も師山本も闘いの中果てた。




半次郎が赤松を討ち取ることは確実であろう、だが半次郎の哀しき覚悟はわかった。



刃を合わせて半次郎に私心はなく己の信じた路のため悪名を背負う覚悟を定めていた。




赤松小三郎も刃は抜かぬと覚悟を 定めた男である。



半次郎の待つ路へ迷わず進であろう。



覚悟を定めた武士同士が決したことである。






薩摩藩士を斬った限り責が生ずる。




責が遺恨となり大垣に及ばぬよう脱藩状の使い方は違ったが、


いまは浪士と化した男でしかない。





大垣に責を問うことが出来ても見舞金を求める程度であろう。






  この世で利之助に出来る成すべきことは果たせた。



  瞼が重くなってきた。



  重い瞼を閉じかけようとしたときに幻を見たと利之助は思った。




遠くから駆け寄る幸の姿である。





幸の前から去って既に二年、母に似てさぞ美しく育ったであろう。




神仏が最期に利之助に安息を与えるために見せてくれた幻であると利之助は感じた。




       「幸・・・名の如く幸せに・・・」




囁きのような小さき声を発した。



小さき声に応えるように山門に複数の声が響きわたった。



 「利之助さん!!」



眠りに着く前の幻聴がより明瞭な響きになり、雨で冷たくなった身体を揺さぶった。




        「もう眠らせてくれ」




囁いた。





 「利之助さん!!」



幻聴ではなかった。



利之助を呼ぶ声は久米部であった。



 冷え切った身体、


 生気を失っていく眼を見て久米部は、


 利之助が半次郎らと刃を交わしたことがわかった。




雨が利之助の身体から返り血は洗い流していたが血の香が利之助を包んでいた。



 「間に合わなかった」



久米部は腰の刀に手をやり立ち上がろうとしその時である。



利之助の手が久米部を掴んだ。



         「私怨に捉われるな久米部」




 「なれど」




          「ここから離れろ」






          「薩摩藩士を複数斬った。



        躯を葬るために薩摩の者がもうじきここへ来る」





  「利之助さんわかった」




久米部にしては聴き訳がいい。




利之助は再び眼を閉じようとした、


利之助の身体が浮きあがった。




  「ここは離れるが貴殿をおいて行くわけには行かぬ」






利之助は二年前の禁門の変を思い出した。




           「お前であったのか」





利之助は久米部が禁門の変で己の命を救った男であることを今知った。




長州兵と戦い昏睡した利之助を担ぎあげ戦場から救い上げた手と同じ感覚だった。



顔を思い出すことはなかったがその温かさを身体が覚えていた。



 「今は何も話すな。



   話す力を残しておいてほしい。



   貴殿の声を聴きたい女子がおるのだ」 




             「女子(おなご)?」




「左様。貴殿に一言詫びるために大垣から駆けて来た娘だ」






  大垣から。



  幸が京に来るはずもない。


        久米部の勘違いか。



利之助を持ち上げ山門を潜り抜け紫陽花小路 を山門から駆け抜けた。





久米部は共に走っていたが幸の足が追い付かなかった。




幸は京が初めてであり一人残すことは憚れたが、


古道へ入る手前の山道でこの路を駆け上がってこいと伝えた。




首尾よく運べば可兒が大垣藩士を率いて来る。



運に任せるしかなかった。



山門の方で声が挙がっている。



薩摩隼人たちであろう。




        「久米部捨て置け」



利之助は久米部に薩摩が探しているのは、


薩摩藩士を惨殺した下手人である自分であり、


自分をおいて 行けば久米部の身は助かるのだ。



  「黙れ。


   捨て置くならば端から手になどするものか!」



久米部は己が新撰組で戦う答えを見つけた。



時代が揺れているのを見て見ぬふり、捨て置くことができなかった。



だから隊士募集に応じ闘ってきた。



己の命がどれほどの価値があるかなどわからない、だが 治世を乱すことは許せない。


それが今も誠の旗の下にいる久米部の理由である。




  「貴方に出会って気づいたのだ。だからこのまま捨て置けぬ」



         「久米部・・・」




足音が複数追いかけてくる。



幸に利之助を逢わせるためには闘っている時はない。




久米部は走れる限り走った。



利之助の躯を残せば、薩摩藩士に無碍な扱いをうける。





浪士として首を晒される可能性さえあった。



久米部はそれを許すことは出来なかった。



何よりも一目逢わせてやらなければならない女子がいるのだ。



山道を抜けようとしたその先に複数の人影が見えた。




 「しまった先に回り込まれたか。」




いくつもの思考が頭を交錯した。


このまま突き進むしかない。


利之助を抱えているため抜刀することも できない。





久米部の欲した答えは利之助を見てわかったのだ。


 可兒や幸には悪いが答えを教えてくれた男と共に死ぬのだ。




   後悔はない。







「止まれ!!」



横に並び列を変えた。






明らかに制止させるためだ。



だがその一陣を率いる男を見て久米部は安堵した。



可兒率いる大垣有士隊であった。






 「大垣藩有士隊目付可兒幾太郎である。



  都での争いは望まぬが、其方が望むのであれば


  大国薩摩が相手であろうとも一戦を辞さぬ。如何?」




可兒は大垣の名を口に出し、久米部の追手が薩摩であることも察し口上を述べた。



 「大垣の者に用はない、その二名を詮議したいのよ。引いていただこう」



「二名の詮議は大垣が致す故にお主らこそ退いてもらう」



薩摩の追手は四名ほどであるのに対し、



可兒含め有士隊は十三名、久米部も加われば十四名。




薩摩の追手は退くことを決めた。



時間をかければ山門付近で躯を片付けた薩摩藩士も駆け付けるが事が 大きくなり大事に障る。


「大垣藩可兒幾太郎であるな。


 上役から厳しく言いつけてもらう覚悟致せ」




  「是非もない」




可兒の独断であった。



可兒に従った十二名もそのことを知っていた。



知っていて可兒に命を預けた。



可兒は士分である故切腹が命じられるが、士分以下の有士隊は打ち首であろう。


その罰を覚悟しての随行であった。

 


有士隊が用意した戸板の上に利之助はゆっくり下された。





幸の姿があった。



剣戟を聴きつけた幸は父利之助と久米部を信じ、


有士隊を呼びに駆け戻ったのだ。




二度と会えぬかもし れぬ父との再会を果たすために幸は二人の強さを信じた。


戸板の上の利之助は既に息絶えているように見えた。




有士隊の誰もがそう思っていた。


可兒は叫んだ。


  「有士隊隊長小宮山利之助。


   お主の息女幸殿が会いに京に上られた故連れて参った。



   お主の口から今日までのお主の武功を語られよ」




「隊長!」




京に残った古参の者たちが声をあげた。




   「藩邸へ急げ」




「は!!」



利之助を戸板に乗せたまま男たちは駆け出していた。



利之助の脇には幸が、板を挟んだ向かいには久米 部が付き市中を駆け抜けた。


利之助の顔に生気は既にない透き通るほど白い。





だが誰一人諦めていなか った。



禁門の変でもこの男は死地から舞い戻った。



大垣藩邸でも動きがあった。



可兒が云った通り藩老小原鉄心が従者を二人従えただけで大垣から駆けて来た。



立場のある者がこのような軽挙ともいえる動きをすることは前代未聞であった。




だが小原鉄心は この数か月後には従者を一人も伴わず戦火の中、


京へ駆け上ることになるのだ。



大垣藩士に可兒と利之助の行方を小原は手短に訪ね「探索中」である報告を受けた後は、


庭に出て槍を単身振るっていた。


鉄心が槍を振るう背中からは怒気を感じ従者含め藩士たちは遠巻きに控えるだけであった。


藩邸の入口で騒ぎ声があがった。




その声に鉄心は槍を投げ出し門に向けて駆け出した。




鉄心の動きに藩 士たちが続いた。


入口には戸板に乗せられたままの利之助がおり、


戸板は利之助の血で朱に染まってい た。



門番は藩老様が滞在中であるため血で藩邸内を血で汚すなと


下屋敷へ回るように声を上げていたようである。