三手 幕薩一和  二の壱


2 三条河原




大垣を発ちわずか三日足らずで京の薩摩藩邸へ戻った。



藩邸で物見遊山などと咎をうけることはなかった。




半次郎は西郷の密命をうけ単独行動をとっていたのであろうと


誰も何も聞きはしなかったのである。




藩邸で不在中の京の様子を聴きその中に三条河原に酔いつぶれた浪人が毎夜現れるらしいが、


浪人では なくどこぞの藩の士分であり、




                                             大垣の者との噂もあった。





半次郎は大垣の者が三条河原などで呑みつぶ れているはずがない。



   あのような苛烈な戦いをするものたちが酒に溺れるなどあり得ぬ。



半次郎はくだ らぬ噂を鼻で笑った。




半次郎の心は脳裏を恐怖で支配する二刀使いのみに向けられていた。





半次郎は日々の鍛錬を怠ることはない。


剣に盲目までに熱心と評されたのはこの頃の半次郎の鍛錬の時間であろうか。



半次郎は脳裏に浮かぶ二刀使いと闘い続けてきた。




だがいまだ勝ったことはない。




京屋敷に滞在しながら今日の諸藩の政情を探る。


                                                   探りながら二刀使いの姿を探していた。



「大垣の者・・・二刀使い。どこへ身を隠した」



半次郎は焦燥感と共に怒りを感じていた。





   二刀使いは密偵として影に入ったとしたら二度とめぐり会うことはないやもしれぬ。




半次郎の望む再会は予期せぬ形で訪れた。




禁裏の裏手にある薩摩藩邸から、


伏見の藩邸へ所要をすませ戻る途中三条河原の三条大橋付近へ近づいた。



同行していた薩摩藩士が



「飲んだくれの馬鹿者をからかって帰りましょう」


と悪ふざけをしようとしたが半次郎はとめなかった。




役目も果たさぬ者が酒を飲んでることなどバカにされて当然だと思っていたからである。





河原に座り込みひとり酒を煽っている浪人風情の男。





長刀一本のみを腰に差し、脇差もなく髷の結もない。



藩士ではないただの仕官にあぶれた浪人だ。


    半次郎は遠目に見てとった。





だが半次郎にとってこの浪人風情に衝撃を迎えることになる。






遠目に見ていたが毛が逆立つ。




不安が身体を煽る。



違和感に襲われた。




「役もなく飲んでいる奴を見て反吐がでる」




半次郎は自分を納得させるように吐き捨て近づいて行った。



     薩摩藩士に囲まれても微動だりにしない。


   

                 バカにされることに怒るわけでもない。


 

                                             怯えている様子もない。


                                                                好きに殴らせているようにしかみえない。



薩摩藩士が浪人風情ひとりを殴り倒していたという悪評 がつくことを嫌い半次郎はとめに入った。




殴られた額から血を流す男を抱え起こす瞬間、



半次郎の全身が凍りついた。





「二刀使い・・・」





半次郎は己の目を疑ったが、間違いない。



禁門の変の二刀使いだ。





風貌さえ浪人風情だが顔立ちはあの日から半次郎の脳裏を焼き続けた二刀使いであった。





半次郎は突然その男を突き飛ばし


「帰るぞ」



と藩士に命じ藩邸へ引き上げた。




半次郎の脚は普段の倍の速さでになっていた。



藩士たちは浪人風情をからかったことに苛立っているの かと思い黙々と従った。




藩邸に引き上げ半次郎は苛立ち落ち着かなかった。





       「何故二刀使いは斯様なところに・・・」


                                 「浪人になり三条で何を調べておる・・・」





「あやつはなんなのだ」






理解に苦しんだ半次郎は直接二刀使いに確かめるため届け出もせずに藩邸の外へ出た。






既に夕闇に京の町は包まれ始めていた。





先程の三条河原に戻った。


あの男は何をすることもなくその場で酒を煽り続けていた。



半次郎は駆けより、胸ぐらを掴みあげた。





「二刀使い・・


                      お主が大垣藩士であることはわかっておる。斯様なところで何をしておる!」




立場を見抜かれれば隠し立てすることなく、話すか、それとも刃を交わすか、



その一瞬の回答を待った。





二刀使いの眼の奥には生きてる人の生気がない。 





「応えよ!二刀使い!!」





苛立つ半次郎は身体を激しく揺する。



反応はない。






既に死人なのかと思うほど。




「俺の名は薩摩藩中村半次郎。名を名乗ったのだ、お主も名乗れ」





半次郎は男から何かしら声を発するために名を名乗ったにも関わらず何も答えない。






無視をし小馬鹿にされていると思った半次郎は勢いで抜刀し


 とんぼの構えをとり叫んだ。






「構えよ!大垣藩士小宮山利之助」






俯いたままの男が一瞬笑ったように見えた。




「斬りたければ・・・やれ」





         はじめて発した言葉が


   「やれ」


        俺には人を斬る覚悟もないと、戦う相手もならぬとでも申すのか



       俺 では役不足だと。






半次郎の怒りは頂点へと達していた。





     「小宮山利之助!お主の武勇は大垣や都でも名を馳せることは承知。



             なれど自惚れるな。さあ抜け」






「半次郎とやら・・・」






         「なんだ!!!」






「やるならやれ問答などいらん」







         「刀を抜かぬ男を斬るなど臆病者の卑怯者がすることだ!!」




「卑怯も臆病もない。斬れば死ぬ。それだけのこと。」





       「貴様!!馬鹿にするな」




半次郎の様子がおかしいことを感じ取っていた有馬は藩士数名と半次郎を探し、


三条河原で刀を抜いている半次郎を見つけ出した。





周囲には野次馬が集まり始めていた。






   「何をしている半次郎!」






有馬は駆け寄りながら声で制した。




薩摩藩と言えど理由なく人を斬っていいなど法はない。



斬れば咎めを受ける。



咎は藩に及ぶことさえある。


天誅という暗殺が繰り返されたがほとんどが名を残すようなことはなかったのはそのためだ。




   「半次郎落ち着け、浪人一人斬ってどうする」



事情が呑み込めぬ有馬は半次郎と浪人の間に割って入った。




有馬藤太は19歳で免許皆伝を習得するほどの腕前で剣だけであれば


半次郎よりも速さでは部があり強いことを自負している。



半次郎の目の前にいる有馬の先に脳裏を焼き続けた二刀使いの男がいるのだ。




半次郎は人を斬る重みと葛藤し闘っていた。




容易く人の命を奪い去って行った悪鬼二刀使いと闘うことで


己も悪鬼になる覚悟が定まると考えていた。




            「退け有馬!!


                         こやつを斬る。




                                  斬らねば。斬らねば俺は!!」




  「お主。半次郎に何を致した。無礼を働いたなら侘びよ」





有馬の叫びも好きにせよと言わんばかりに利之助は酒瓶から酒を浴び始めた。




利之助の横柄な態度に有馬も怒りを覚えたが、我を失った半次郎をとめることが先決であった。



               「有馬、これは私闘じゃ。退け!!」



 


                      「私闘だと。大概に致せ!!」



                      「斯様な酔っ払いでは闘いにさえならぬではないか。」



   




            「黙れ有馬!


                                  斬る!!きえええぇぇ」






薩摩示現流一の太刀独特の発声だ。







発声に殺気を感じた有馬は止めることはもはや叶わぬと身を翻し



之助に振り下ろされる一の太刀の軌道を空けた。






野次馬たちは血しぶきが舞うことを予想し目を塞いだ。





周囲に耳に響く甲高い男が響いた。



半次郎の剣は二刀使いを切裂くことなく横の石に叩きつけられ刀は折れていた。




            「二刀使い・・・



                                         お主ほんとに殺されたいのか」






半次郎は、叩きつけた刀を納め、鞘で殴りつけた。



二刀使いの口元から血が零れた。





               「生きることを諦めた男など斬る価値、刀をもつ価値さえない。


 


                        もはや名もない


 




                                 ただのなまくらだ」






踵を返し土手を登っていった。



有馬は侘びといって小銭を投げ捨て藩士を率いて半次郎のあとを追った。










「なまくらか。」




半次郎が去ったところ二刀使いは呟いた。





この夜の出来事をきっかけに三条河原の飲んだくれ浪人の名が



「なまくら」


と呼ばれることになった。





「戦頼むは大垣」



と呼ばれ武勇に優れると噂された藩士であることが京の町に知れ渡った。





大垣藩士が敬った剣腕を持った男は、


京で薩摩藩のみならず諸藩からも「なまくら」と呼ばれ、



大垣藩 士の中にも「大垣の大荷物」とまで呼ぶようになった。





可兒が私塾へ通い始める1年前に起こった出来事であった。




長州征伐が行われ後、可兒が藩命を受け講義に通うことになった塾は、


信州上田から上京してきた武士 が開いた塾であり、


主に西洋軍学、政治に関しての講義が行われていた。




講義は幕府や藩が公議として認めたものではなく、


現代の塾と同じく私人が開いている私塾である。




可兒の他にも軍制改革のため西洋の軍学を学ばせるため


藩命により諸藩より集まり塾は活気に満ちて いた。






禁門の変の後に開講された塾であり、


集った塾生が掲げる主義や主張は、この時代で言うところの、



尊王攘夷、開国、佐幕、討幕など



立場が複雑に異なりながらも商人や町民も塾生として参じており


まさに呉越同舟という形であった。




参じる者をその出自や主義主張において退かせるようなことはなく、


塾頭の掲げる未来の形そのものがこの塾の中で行われていた。




可兒は藩命に従い、塾頭の知識、西洋式の兵学を学ぶために参じていたが、


小原の小姓の役目があるにも関わらず藩の許可を得て、


塾に寄宿するほどに塾頭の影響を受けるに至っていた。



可兒が寄宿を熱望するに至ったにはもうひとつ理由がある。




禁門の変から 1 年余りは小姓として小原鉄心に仕えた。



鉄心の傍らを歩くだけで、可兒は初陣である禁門の変で武功を挙げたのは


大垣藩の祖であり神君家康公に仕え、天下分け目の関ヶ原でも本陣を固めた


初代戸田氏鉄公の如く知勇兼備の武士と、大垣藩士から謳われるようになった。



鉄心は何を言うことはなかったが可兒は心の中で否定を続けていた。



「武勲を挙げたのは己ではなく、農兵たちだ。」



賞賛は己を恥じる苦しみへと変わっていった。




酒を飲む際の自虐で


「大垣藩士の士分で、有士隊より剣 腕が強いものがどれほどいるのだろうか」


が口癖となっていった。






賞賛の陰で、農兵を率い、幕府諸藩を動かした二刀使いの男は




歌にまで謳われながらも見る影もなく、


「なまくら」


と侮蔑の言葉で呼ばれていた。






二刀使いの男の姿と「なまくら」呼び名を耳にするたび、 可兒のみが出世に至った


「初陣の戦功、大垣藩士の鑑」


と称えられることを卑下するように苦々しく感 じていたのだ。






「大垣の大荷物なまくら」


の名を押し付けてしまったことが己の責に思えてならなかった。




可兒は、戦傷が癒えた利之助に賛辞の声を贈った。



可兒だけではない。


大垣藩の重臣も下級藩士も皆口々に活躍を讃えた。


小原から介抱を命じられた者にあっては



「剣術指南役に推してやる」



とまで豪語して いた。