三手 幕薩一和  三の壱


3「武力討幕」

 

 

なまくらの名が京で流行ってから一年が過ぎた頃、

 

西洋軍学と政治に秀でた信州上田藩士が上京し私塾 を開いた噂は広まり、

 

可兒は大垣藩の軍制改革を進める藩老小原に申し出で塾への入門を許された。

 

し出てというのは体裁であり、

 

「一年で西洋の兵学を修得せよ」藩老よりの厳命であった。

 

 

塾を開いた男の名は「赤松小三郎」。

 

小柄な男である。

 

 

年の頃は利之助と同じ程。

 

帯びている刀は舶来品とも思えるような珍しい装飾が施されていた。

 

 

 

赤松は江戸で学んだ後に、上田、長崎、江戸などを往来した。

 

幕府の海軍操練所の一期生の中で、測量、 砲術など算術、蘭語を学び、

 

江戸に滞在していた英国の軍人より英語と西洋軍学に関して教えを請い後 は独学で学んだ。

 

 

文久二年(1862 年)に西洋の軍学書「Field exercise and Evolution of Infantry」を

浅津富之助と協力し「英国式歩兵練法」を翻訳した。

 

薩英戦争の結果を重く受け止めた諸藩は英才たちをこの塾に送り込み、

 

時代の流れに乗り遅れぬため英国の軍学を学ばせた。

 

 

私塾のみにとどまらず、薩摩藩邸や会津藩邸へ出向き講義や教練を行っていた。

 



慶応二年初秋頃、赤松の英才に目をつけた薩摩藩は

 

英国式軍隊の翻訳書を改めて翻訳するよう赤松に求 め見返りに、

 

薩摩藩邸での塾開講や塾運営の多額の出資を行う約束をした。

 

 

 

赤松門弟には後の帝国海軍大将東郷平八郎ほか五〇名を薩摩藩士が占めるほどであった。

 


 

その中に中村半次郎の姿もあった。

 



半次郎を評するに文盲の者であり人斬りとして評することが多いが、

 

半次郎は鳥羽伏見から戊辰戦争を 官軍指揮官として前線で戦い、

 

明治維新後には桐野利明の名に変え西南戦争でも政府軍を相手に指揮を執った傑物であり

 

剣の腕前だけではなく一軍を用いる才腕と知識を有していたとこの物語の筆者は読み解いている。

 

 

半次郎は薩摩の目指す世のために一命を賭して働くために、

 

剣のみではなく知識の研鑽を盲目なまでに続けていた。

 




赤松は「英国式歩兵練法」に補足したい箇所が多数残っていたこともあり、


薩摩藩の求めに応じ寝食を 惜しみ「薩摩藩蔵版 重訂英国式歩兵練法」の翻訳に没頭した。




この年の冬には開成所教官兼海陸軍兵書取調役として赤松を幕臣として取り立てたいと。



上田藩主に幕 府より通達があったが藩主は幕府との確執から赤松に報せることなく

拒絶をした経緯があった。 



開成所は当時の幕府の最高学府である。



慶応三年(1867年)五月。



「薩摩藩蔵版 重訂英国式歩兵練法」は七編九冊が板行され薩摩藩前藩主島津久光公から


新鋭十六響ヘンリー騎兵銃が褒美として渡され、約定通りに塾の運営の支援の費用が与えられた。



都で一世を風靡した赤松小三郎であるが幕臣への登用の道は閉ざされ


十石三人扶持のままの士分であった。


この年の初夏の京には薩摩前藩主が軍勢を連れたまま在京しており、


薩摩による武力討幕計画の風聞は広まり、京守護職会津公も一軍を率いたまま在京し


一触即発の駆け引きが続いていた。



七月には上田藩主より赤松に帰郷の厳命が降った。


赤松はこれを藩士として受諾せざるをなく七月下旬 に塾生に帰郷を打ち明け塾生に想いを語った。


「日本国が開ければ、自然に故郷は開ける。故郷にて事を開いても日本国を開くことは出来ぬ」


と、赤 松の願いは上田藩とは思惑とは異なり、公武合体による日本国の創生であった。



赤松帰郷は塾生の中で話題となり、

「赤松先生は幕臣として開成所にて教練をする」など身勝手な噂話 は飛び火していた。


塾生の多くは、赤松は再び京に戻り、


西洋式の議会政治を取り入れた公武合体に向け塾を再開することを約束された安堵していたが、


薩摩のみが事情が異なっていた。



赤松が帰郷を塾で伝えてから数日。



半次郎は薩摩藩邸の薄日の指す一室に呼び出されある密命を受けた。




赤松小三郎の暗殺である。




赤松が幕府の開成所へ出仕すれば、

薩摩の軍事教練を担った赤松から軍備の内情が漏らされることを危惧し非情な命が降った。



半次郎は命に応じなかった。



  「薩摩藩の師を討てとは納得できませぬ」



と言い放ち続けた。




「薩摩が目指す世に、赤松先生は必要不可欠な傑物であると思います」



「傑物であるからこそ、討幕の妨げにもなるのだ」



うす暗い部屋の中で一人の男が半次郎にこたえた。



   「先生は薩摩の描く公武合体を望まれており、幕臣として働くことはないと存じます」



「半次郎!赤松が幕臣にならぬのであれば薩摩に降らせよ。


   さすれば斬らずに時代を創る傑物として迎える」



   「薩摩に降れと!斯様な仰せは承知しかねます」



半次郎は食い下がった。



「半次郎お主の気持ちはわかった。だがこれ以上の問答は致さぬ。


   期限は赤松が帰郷すると公言した九 月三日までだ。」




半次郎を見据え言いつけた男は半次郎と同じく体躯もよく異様なまでの威圧感に満ちていた。



半次郎を残し退室する間際に男は一言を言い残した。



「半次郎。

  お主と行動を共にするように有馬にも同じ命を下した。急げよ」




    「有馬藤太・・・」



有馬は冷徹な男ではない。




寡黙で沈着冷静で忠実であり半次郎と肩を並べるあの男の懐刀であった。




半次郎は有馬が藩邸に戻るのを待ち二人のみで話を切り出した。 




    「藤太。赤松先生の件聞き及んでおるか」



「今朝方ご命令を頂いた」



     「良いのか?」



「半次郎。


   何を迷う?我らは薩摩のために刃となり命を賭すことを誓ったのだ」



有馬は感情の抑揚感を見せずに淡々と答えた。





      「留まることはなしか?」



「ないな」



     「ひとつ。時を貰いたい。」




「時?  赤松を討つまでのか?」




有馬は眼を細めた。


有馬が警戒した時に見せる癖である。有馬は僅かに身を刀に寄せていた。


有馬は居合の達人である座したままでも相手を斬ることができる。


半次郎の回答次第では抜刀し斬ることを瞬時で決していた。



    「藤太。斬らねばならぬと思えば斬ってくれ。なれど、時をくれ」



半次郎は両手を床につき頭を下げた。


有馬は半次郎が頭をさげるのは心服する極一部の者だけで、ほかでみたこともない。



「半次郎。なんのための時だ?」



    「赤松殿を薩摩へお連れするために赤松先生と話がしたい」




「情に絆されたのか?」



    「違う!

           情けなどではない。

 

       赤松先生は薩摩が目指す世に必要な男だと思ってのこと」



「その時はお許しを頂いているのか?」



    「九月三日までに決せよ、と」



有馬は許しを得ていることを確認しひとつ条件をつけた。



「半次郎。俺も赤松との会席に立ち会う。それが時を待つ条件だ」




    「是非もない」





半次郎は有馬に答えた。






時代を開く死闘の幕開けとなる慶応三年九月三日まで残り僅か十日。





帰郷を決めた赤松には来訪者が多く半次郎の面会の申し入れが叶ったのは、


密命をうけてから三日後の夕刻であった。




夕餉の支度を整えていた寄宿する小者が応対し、


半次郎らは赤松の書斎に通された。





「中村君。待たせて申し訳ない。


       中村君の熱心な研鑽は他に類をみないほどだ。


                                                       今宵も議会政治に関する個別講義をお望みか?」







赤松は屈託な笑みで半次郎を迎え入れた。



半次郎の後ろから有馬が一礼し入室した。



赤松が二人を迎え入れるときの言葉に有馬は正直驚きを覚えた。


半次郎は軍学ではなく議会政治の個別講義を望み受けていたのか。



心の中で囁き、半次郎という男を今更ながらに見誤っていたことに気が付いた。



剣腕であれば互角、


もしくは有馬に分はあっても、

男としての器量は半次郎が遙かに凌いでいたことを認めざるを得なかった。

 

 

半次郎は剣腕だけでこの世を変えようとしていた文盲の男ではなく、

 

 

盲目なほど純真なまでに国造りへの想いで溢れていた。

 

 

  「赤松先生。ご多忙の折申し訳ない。

 

     こちらは薩摩藩士有馬藤太と申すもの同席をお許しいただきたい」

 

 

「中村君。私は来る者は誰も拒まぬよ。さあさあ座りなさい」

 

 

 


半次郎と有馬は静かに腰を下した。

 

 

有馬は薩摩藩邸で行われた講義と教練の際に赤松を見ていたので初見ではない。

 

 

 

今ここで斬ることは簡単であるがあまりにも目立ち、

 

密命である「暗殺」ではなくなってしまう。

 

 

有馬は先ほどの驚きと殺気を沈めながら赤松の動きを観察し始めた。

 

 

 

半次郎が如何に赤松の説得を試みるのか興味を抱いていた。

 

 

  「赤松先生にお願いの儀があって参りました」

 

 

有馬の知る半次郎はここまで丁寧な男ではない。

 


「中村君。言ってみなさい。」


諭すような声で応えた。

 


   「赤松先生に帰郷を諦めて頂きたい」

 

 

「何故かな」
 

 

   「薩摩に降っていただきたいとお願いしておるのです」

 

 

「また突然何を申すかと思えば、何故薩摩に降る理由があるのかな?」

 

赤松は笑って見せた。

 

 

 

    「薩摩藩にて先生を暗殺する密議に加わり、使命をうけました」

 

 

 

 

        「半次郎!!」

 


有馬が一喝した。

 

 

        「貴様。やはり情けをかけ赤松を逃亡させる気であったか?」

 

 

 

有馬の声を無視し半次郎は続けた。

 

 

 

    「薩摩は武力討幕に意を決しています。

 

       事を運ぶに先生が佐幕派の上田へ帰郷し、

 

       万が一開成所のお取調役にでも就任されれば薩摩の計画は大きく後退致します。」

 

 

 

 

 

        「半次郎!!」

 


有馬は右においた刀を左に持ち替えた瞬間

 

 

 


「やめなさい」

 

 

 

と赤松が声を発した。

 

 

有馬が半次郎と赤松を斬ることを悟り、

 

己はここで割腹し果てる覚悟まで見透かすような声であった。

 

 

「中村君。先日教練で薩摩藩邸へ伺った折に西郷さんと話をする機会を頂いた」

 

 

 

半次郎、有馬の緊張はさらに高まり、

 

心臓の音が部屋の中に鳴り響いているのではないかとか疑うほど であった。

 

 

「西郷さんに正面からお話をした。

 

   今こそ幕薩一和に向け行動を起こす時ではないか?

 

   幕府と薩摩が一 体となり国力を身につけ新しき国を目指すべきではないか。


   そう問うてみた」

 

 

 

 


      「幕薩一和・・・」

 

 

 

 

「幕薩一和に西郷さんは応じてくれた。

   異国に負けぬ国をつくる為には結び合うことに異議はない。と な」 

 

 


薩摩の実質的指導者西郷が幕薩一和を望むのであれば


我らは薩摩藩の誰の命で赤松を斬ることになるのだ。