初手 禁門之変 一    


「元治元年」

 

 

真夏を迎えた京の盆地は肌を直接突き刺すような日が朝日共に差し込んでくる。

 

昨夜丑の刻からこの茂みの中に身を潜め続けている。

 

 

 

明 4 つの鐘の音が遠くより響いているので既に4 時間以上の時間が流れている。

 

 

 

時間がこんなに長く感じたことはない。

 

 

 

身体を潜めたまま刻は過ぎ、何もなかったように引き上げの命が下る。


端から戦陣に巻き込まれることなどないと思っていた。

 

 

如何に尊王攘夷の旗を最先方で掲げる長州藩であっても、

 

禁裏の京へ向け進 軍など叶うはずがない。

 

戦支度を整え布陣をしたと云うが実際には外交効果を狙った喧伝でしかない。

 

 

 

禁裏警護に駆り出され た幕府諸藩の兵の数は長州藩の 10 倍を超え、

 

戦などせずとも論理的に考えれば童にも趨勢はわかる。

 

兵学を得意としたこの小柄な男には、理を越えた闘い。

 

烈士を理解できていなかった。

 

 

ここ数年たび たび小競り合いのような戦いは各所で起こっている。

 

 

 

 

今ここで戦端が開かれるようなことあれば畿内においては

 

難波戦記にて読み聞きした大阪の役以来二六〇年ふりのこととなる。

 

 

 

 

太平の世に生きてきた武士は、嗜みとして剣術は学ぶことはあっても

 

その多くは道場での剣技に留まり実戦において刃を振るうことなど稀であった。

 

 

小柄の男も人を相手に実際に刀を抜いたことはない。

 

まして人を斬ったことなどもない。

 

 

 

元治元年(1864 年)七月一八日、この日までは他人事でしかなかった。 









小柄の男の周囲には三十名足らずの者が同じように身を潜めていた。

 

 

何故共に身を潜めなければなら ぬのかさえ腑に落ちない。

 

 

武門の誉れを謳う藩にとってこのような布陣にもならぬ体制で朝を迎えたことは、

 

戦働きはなくとも初陣を飾る自分には相応しくない。

 

 

初陣を飾るのであれば初代藩主の如く堂々と主の旗の下でと願っていたものである。

 

 

 

先陣を任されたのは自分より身分の低い士分のものであったが、

 

その者が挙げた武勲の数々は郷里の 城下において知らぬものは居らず、

 

万が一の戦端が開かれても初手が整うようにと指揮を執っている藩老様の

 

ご判断であろうと推測していた。

 

 

武名で鳴らす男がまさか丑の刻に本陣を離れ茂みに身を潜めるなどするとは思ってもみない。

 

 

鷹に襲われることを恐れた野鼠の如く身を隠す自身が恥ずかしく思い始め、

 

命令とはいえふつふつと 怒りがこみあげ三十足らずの兵を率いる男の用兵に口を出した。

 

 


     「先陣にて国下の旗を掲げ初代から受け継ぐ武威と名をもって迫る敵方を

 

        押し返せばいいのではないか?」

 


提案に対し隊を率いる男は何も応えることもない。

無礼極まりないが、先陣において先手遊撃の任を任されたのは

 

目の前の細身の男であり自身ではない。

 

 

態度が無礼であったとしても咎めることはできない。

 

咎めるとしたら陣払いの後に目付の任として、

 

この場の出来事を報告しまくし立てればそれですむ。

 

 

 

暖簾に腕押しとも言わんばかりに小柄の男を意にも 介さず淡々とした態度が鼻に突く。

 

意にも介さぬ姿よりこの男の風貌が以前とは変わり果てていたことのほうが恐ろしく感じた。


 

戦とは かように人を変えてしまうものか、

 

 

城下でこの男に剣の稽古をつけてもらったことがある。

 

 

 

城下で見かけた頃は優男の如きか細い声に似あわぬ剣腕と

 

生来の明るさをもった男であり宿場を取り締まる下級 役人でありながらも

 

町民から慕われていたほどだ。

 

 

 

 

小柄の男は、学問には秀で兵学を学び藩老の覚えも高いことを自負している。

 

茂みに身を潜める野鼠 の群れの中では歳は一番に若い。

 

 

経験も浅いため察することも、知る由も出来ない、命の真理を学ぶことはできていない。

 

 

 

小柄の男は苛立ち傍にいた誰とも指名せず複数の男に投げかけるように声をかけた。

 

 

 

 

     「おい。小宮山殿はいつもこのようなのか」

 

 

 


遊撃の任を帯びた下級士分の名は小宮山と呼ばれた。

 

 

「へい。小宮山様はいざ命のやり取りとなれば沈着冷静にて笑みひとつ見せませぬ」

 

 

小宮山という男に「様」という言葉をつけたことにより

 

この男の身分はさらに低いことがわかる。

 

 

    「そもそもなぜ大垣の先陣をお主ら有士隊に仰せ付けになったのかわからぬ」

 

 

あからさまに不満を口にした、

 

この者が逆らえない立場であることを知ってのことである。

 

 

「へい。あっしらが先陣などとは滅相もございませぬ。小宮山様よりは・・・。

 

可兒様がご存じなので はないのですか?」

 

 

小柄の男は可兒と呼ばれた。

 

 

有士隊と呼ばれた遊撃隊の目付として藩老から配置されたのだ。

 

     「ふん。私はお主ら農兵が逃げ出さぬか見張るために来ておるだけじゃ」

 

 

農兵と言われた男は顔色変えず浅葱色の布を取り出し

 

抜かれた刀を右手に持ちその右手と刀の柄をぐ るぐると巻きながら答えた。

 

 

「可兒様。あっしらは農民であってお侍さまではありませぬ。

 

 ただ里で暮らすカカアに楽な暮らしをさせてやりたいだけのこと」

 

 

 

 

     


「あさましい。飯のために戦うというのか。名もなく、金を得るがために?」

 

 


「へい。あっしらは明日食う飯もままなりませぬ故」

 


農兵を率いて何を致すというのか。

 

 

遊撃任務と云いながら、竹田街道を伏見へ半里下り村里が途切れた辺りの

 

茂みを見つけ身を潜めてから 何もしようとしない。

 

長州の動きを探る斥候すら出そうともしない。

 

僅か一里半もすすめば敵方の本陣である長州藩邸へたどり着くにも関わらず、

 

この場から動くこともせぬ。

 

 

この男の武勲は身を潜め形勢有利と見て動く漁夫の利を狙う卑しき兵法によるものか。

 

普段の温厚さからは豺狼のような戦をするようにも思えぬ。

 

何を考えておるのか計り知れぬ。

 

 

可兒は兵学の理にこの男がなにをしようとしているのか

 

見出そうとしていたが皆目見当もついていなかった。

 

 

 

首を傾げていると手に巻物をはじめたのは傍らの一人ではなく

 

隊に所属しているものすべてが同じように手に巻き始めた。

 

 


「お主ら。なぜ刀を布で巻きはじめたのだ。村々のまじないか?」

 

 

見たこともない光景に可児は戸惑い、農兵の信仰の類かと思った。

 

 

 

「いえ。小宮山様が・・。」

             「おまえ!もっときちっと巻け。生き残れぬぞ」

 

 

可兒の質問に応答しながら巻き方が甘いと周囲の者に厳しく叱りつけた。


可兒の目の前にいる小宮山も何時の間にか刀を抜きその手に布を巻き始めていた。

 

 

小宮山の流派二階堂平法者の剣技にあるものなのだろうか。

 

 

 

農兵たちは小宮山が師範代を勤める町道場で剣術を学んでいたというから流派の教えかと思うが、

 

鞘を腰帯から外している。

 

 

 

 

  戦で鞘を外す。

 

 

 

可兒は見たことのない光景であった。

 

 

 「何故鞘まで外すのだ」

 

 

 

可兒は理解できぬことを口にしてしまう。

 

「可兒様、もうすぐここで戦が始まるのです」

 

農兵は静かに答えた。

 

 

 「戦。しからばその手は・・・」

 

 

「へい。戦で生き残るためには剣を手から決して放してはならん。先生の言葉です」

 

 

 「生き残るためだと」

 

 

「小宮山様は先生が亡くなられた後から人が変わられた。

 

毎晩あっしたちと酒を酌み交わしてくださっ ていたのに。今では一酌もされませぬ」

 

 


質問の意に反する回答に可兒の眉間が厳しくなる

 

 

 

「大垣でのお役目を解かれ京屋敷のご警護のため上られてしまいお会いできずにおりました」

 

「だども、さすが小宮山様は先生の一番弟子でございます。

 

この都でも辣腕の剣を振るっておられたのでしょうかな」

  

「昨夜の出陣間際、杯片手に力強く仰った。


          お前らは名誉などの為に戦うな。

                   

                      生きるために剣を取れ」 と。



「まるで先生が生きておられるようであったな。」





農兵の小宮山への信頼が篤いことが可兒も会話から察することが出来た



「大垣の頃と変わらぬ優しき方じゃ。」


「あっしらが覚えられたのは可兒様のように剣術と云えるものではありません」


「ただ生き残る術を先生から教えてくださった、剣を手放せば命を落とすのです」


「だから皆、命を守るため決して刀を落とさぬように手に縛り付けているのです」



  「命が惜しくて槍働きなどできるのか?」



可兒は命を惜しむ農民など兵に加えるのは反対だと態度を露わにした。



「可兒様。有士隊は命が惜しいのです。命がなければ働けませぬ。

働かなければ飯を食わせてやれんのです」




  「では小宮山殿も命を惜しみあのようにしておるのか?」


生活の糧になど武士の名誉に汚名しか残らぬと皮肉を込め目で小宮山の手先をついた。



「小宮山様が巻物をするのは初めてかと・・・」


  「初めて?」


可兒は問い直した。


「へい。小宮山様の刀は、静かであり激しくもあり、水の流れのようで」


 

  「然らば・・・」



可兒の背中に冷たい一筋の汗が流れる。



「お侍様方の立派な甲冑を刀では斬れぬようです。」




  「お前らは、たかだかこれだけの数で戦いをするなどと申すか」



可兒は農兵たちの淡々と語る言葉の中に自身が置かれている立場を徐々に呑込み始めた。



身震いし汗が噴出した。


暑さの汗ではない、ここが戦場になることなどないとつい先ほどまで思い込ん でいた。




まさかこのような数で戦うことなどあり得ない。




端から小宮山はここを戦場と決めていた。


村々のないこの場を選び、

わずか三十に届かぬ手勢で長州兵を迎え撃つ心づもりであったことを察した。


  「雄に流行るか小宮山殿・・・」



数への恐れが怒りに変わっていた。



京に布陣した幕兵に対し進軍してくる長州兵の数は知れている。


とは言えこの伏見街道に布陣をしているのは


長州屋敷に居を構える家老福原越後率いる 800 程だと軍議の席で耳にした。



洛内を囲むように散開した長州兵の本隊とも云うべく精鋭だ。




800 の精鋭を農兵三十足らずで迎え撃つ ことなどあり得ぬ。




隊士に生き残ることを伝えた言葉が如何に軽々しいものであるか、


兵学の理を知らぬ小宮山を許すこと ができなかった。 




 「可兒殿。問答が些か遅かったな」



小宮山はやっと口を利いた。




遅かったのだ。



朝靄に包まれながら真っ直ぐに突き上げられた


「一文字三つ星」が掲げられ北上してくるのが肉眼で捉えることが出来る。




  「如何様に致す気じゃ」



可兒は慌て急かした。


  「先陣が一戦も交えず引くとはありえませぬ」



有士隊における副隊長は士分であるためかきっぱり言い切った。


  「敵方の数もわからぬのか!」



副隊長を一喝する可兒の耳元に冷淡な声が響いた。




 「若造!!声を潜めよ」




身分の低い小宮山に若造呼ばわりされた怒りより、窮地を如何に脱するのか。


初陣で槍働きもなく死ぬ などただの犬死でしかない。




先ほどまでの威勢の良い余裕ぶりは消え失せ、名も帯も忘れ生き残るため の算段をし始めた。




 「よいか。二百程度は黙って通せ。」




小宮山は静かに指示を出す



  「な!通す?」



より混乱する可兒をよそに農兵たちは小宮山の声を聴いていた。


「前衛二百の中に火縄や弓が多いはず。これらを先に通し乱戦に持ち込めば飛び物は使えぬ」


戦の理は得ている。


火縄と弓による攻撃を封じるには得策。


されど八百の長州兵に突入する。 背水の陣などと呼べるものではない。



者揃いであろうとも 10 倍の数を近接戦闘で討ち果たすなど困難 などではなく不可能なのだ。


  「小宮山・・・何を狙っておる」

禁門の変 二へ          Coming Soon!!