四手 殺活応機 一の壱    


1「偽の密命」



翌朝半次郎、有馬に気付かれていることを知らぬ可兒は私塾へと戻った。


己の剣腕では半次郎に太刀打ちできないことは承知している。



赤松は何もなかったかのように


「可兒君。


  昨夜は戻らなかったようだね。藩邸で何かあったかな」


と声をかけられた。




  「赤松先生・・・」




「可兒君。


  顔が青白い。


  どこぞ具合でも悪いのでは?」





  「赤松先生は!


   先生は死ぬことが怖くはないのですか?」




可兒は耐えきれず声を荒げた。




「可兒君。


  ひとはいつしか誰もが死ぬのだ。

               突然どうしたのだ?」




  「私は半次郎が先生を斬ることを聞いてしまいました。


   先生急ぎお逃げください。」



「可兒君。聞いていたのか」



  「はい」



俯き答えた。



「ならば私が中村君にした約束を覚えているね?」



   「九月三日に薩摩藩邸へ帰郷前にあいさつに伺うと」



「武士たる者、偽りは申せぬ。偽りを申せば、己の覚悟などその程度のものと笑われるだけ」 



   「笑われても命を落とすよりもましです」



「可兒君!! 

      己の命を賭けずして理想を語ることなど詭弁でしかない。


 

 私が逃げ出せば、薩摩が思うように幕府へ臣従し国を割ろうとしていると思われる。


 私の願いは国がひとつになることだ」




    「されど・・・」




「可兒君。この話は一切口外をしないように」





赤松は書斎へと引き上げていった。





赤松の背中を見つめながら





「先生は死ぬ気だ」



可兒は呟いた。




先生は半次郎に誓ったように刀を手にすることはないであろう。



可兒ひとりで赤松の警護を買ってでたところで暗殺を食い止めることなどはできない。




久米部は薩摩の同行から周囲の諸藩の動きを探るため昨夜姿を消した。





己だけが何もできないまま、何も変えられないまま、


           七日後を迎えるのか思うと耐えきれなくなった。



  「死ぬ覚悟など・・・死ぬ覚悟。暗殺には暗殺しかない」



どこからか浮かんだかわからぬ声が口から湧き出した。



大垣藩士を警護へ動員すれば、大垣と薩摩が衝突することになる。




それは避けなければならない。




薩摩 も公然と討幕を打ち出していないため「暗殺」の手段を選んだ。



暗殺の刺客である半次郎を暗殺すれば、


薩摩の動向が漏れていると悟り赤松暗殺は一時の時間を稼げる その間に上田へ帰郷すればよい。



可兒は頭の中で策を描いていった。


暗殺に対して暗殺をするためには、半次郎以上に腕の立つものが必要である。


昨夜の会談の様子から半次郎以外にも暗殺に加担するものがいる。


となると到底可兒に担える役ではない。


交友のある士は多いが、剣腕に秀でる者は久米部ぐらいしか知らぬ。



藩邸へ戻り有士隊がいるが、 有士隊の隊士を刺客に送り込んでも結果は同じであろう。


「半次郎を凌ぐ腕をもったものなど・・・」


「なまくらなどと呼ばせているが、禁門の変の雄がいるではないか。


小宮山殿ならば敵が何者であろう と打ち破る」


禁門の変でみせた二刀は幾名の命を一瞬で奪い去ったか、


あの剣技があれば示現流を用いる薩摩藩士二 名が相手であっても負けることはない。



   「小宮山殿をどう動かすか。」



なまくらと呼ばれた利之助が説得に応じるようであれば、


既に大垣藩邸で剣術を教えている。


役目がありながら酒に溺れている男を動かす策を講じねばならない。




そもそも何故、なまくらなどと呼ばれる自堕落な生活になってしまったのか


そのことさえ可兒は理解できていなかった。



   「藩老様の命で有士隊を率いた小宮山殿だ・・・


                      藩老様の命であれば・・」



大垣藩老小原はこのとき大垣藩城下で執政にあたっており、京屋敷は子の小原適に任されていた。


適は小宮山が嫌いであった。



当然である父鉄心の許しをいいことに役目も務めず酒を煽る。




京で大垣藩 士とは斯様に無様なものかと蔑まれる原因でもあるからだ。



可兒はこのこともわかっており、適の命に利之助が従うことはないが、


藩老鉄心からの上意として伝えれば動く。 



   「藩老様はこの二年、小宮山殿を叱責することなどはなかった、ならば・・・」


可兒の巡らせた策は、藩老の密命と偽り利之助を動かすことである。



利之助の性格から密命を漏らすことは決してない、


暗殺の企てが表にでることはない。



小原の名を借りたことさえ利之助にわかることもない。



赤松の命を救うことができる最善の策であると内心光明をみた。


可兒は早速に筆を取り、小原の名で書を認めた。



十石取りの利之助は小原直筆の書などを目にすることは


まずないであろうとタカを括ってしまった。



藩老小原と利之助の関係を可兒はまだ知らなかった。



「上田藩士赤松小三郎を狙う者あり、これを尽く討ち取るべし」



端的な文言であるが十分である、



子細は可兒自身が口頭で授かったと伝えることですむ。




可兒の心は偽りで利之助を動かすことにためらいはあったが、


国を守るための大事の前の小事とした。




用意が整ったころには陽が傾き、赤いが大きく見えた。





陽を背中に利之助が酒を飲んでいる三条河原に可兒は脚を向けた。




いつもと変わらぬ場所で利之助は酒を飲んでいる。





ここでは誰も「小宮山」、「利之助」などとよぶことはない



「なまくら」と呼ばれているだけだ。





酒を煽るなまくらに可兒は近づき声をかけた。



   「小宮山殿。探しましたぞ」



探す必要もないのにわざわざ時を費やしたことをもったいぶった。



可兒の顔さえ見ぬなまくら。


全身が色白で頬が酒で赤らんでいる程度である。




酒に溺れたなまくらに果たして戦うことなど叶うか、



可兒に一抹の不安がよぎったが引き返すことはできない。



   「藩老小原鉄心様からの密命を預かって参りました」




「密命?」





可兒の呼んだ通りであった。藩老の名を出して反応があった。



これならば動かせる。




「そうです。こちらをご覧ください」





懐から上意と書かれた書を取りだし利之助に手渡した。



   「ご藩老様は禁門の変のような大火を緑華の都で起こすわけには参らぬ。


    戦を避けるために秘密裏にことを運ぶことを思案されたのです」





「ご藩老様が秘密裏に・・・か」




    「そうです。小宮山殿。今こそ貴殿が剣をとるとき」




「可兒」




    「はい」






「ご藩老様が確かに申したことか」



可兒の思惑のすべてが見透かされて凍てつくように冷たい目である。





   「も、勿論だ」





可兒は大きく唾を呑みこんだ。





「学者ひとりで世の中が変わる、と?」




   「はい。赤松先生はこの国の要となる方です。」



「左様か」 



可兒は如何になまくらと呼ばれるようになった利之助でも、藩老命に従う。



禁門の変で死兵と化して斬 り込んだのも藩老の命であった。




何よりも言葉を発することさえ極端に少ない利之助が声にだし応えている。


妙案は見事に成し得るそう可兒は踏んだ。



   「小宮山殿の剣腕を買われての抜擢である」





もうひと押しと決め台詞を可兒は発した。



                  利之助の態度が急変した。





飲んでいた徳利を可兒に投げつけた。



可兒は咄嗟によけ、徳利は河原の石に あたり割れ、周りには酒の香が漂った。




   「何をする?」



可兒が声を発すると同時に可兒は地に叩きつけられた。



可兒の口の中に血と砂利の味がしみわたる。



「うつけ!

     お主はそれでもご藩老様付小姓か、斯様な稚拙な嘘が通るか!」



利之助に吐き捨てられた。




   「嘘ではない。嘘ではないんだ。」



可兒は抵抗した。



利之助は一死必殺の腕をもつ男。



嘘がばれ怒りを買ったいま間違いなくこの場で斬り




殺される。





赤松の命を守るどころかここで斬り殺されてはもともこもない。




地に臥せたまま可兒は続けた。


  「薩摩の謀略を防ぎ、赤松先生を守ること。



   国を割る戦から大垣領民を守るためであり、末は日本のためです」





「可兒。

     藩老様の名を語り偽りを申して成すことか?」




  「なまくら!


     貴殿はこの二年ここで酒を飲み続け、世を捨てて生きてきた。


      二年の歳月を無為にすごし て貴殿にはわからん。この国を守りたいのだ」



可兒の言葉に偽りはない。


本音である。




「ならばお主自らやれ」




利之助は再びなまくらになっていた。



斬られることがないとわかった可兒は起き上がった。




   「偽りを申したことは言い訳できぬ。


                    されど・・・師を助けたいのだ。



        私の腕ではどうにもならん。


          表だって大垣藩士を動かせば薩摩とことを構え大乱の火をつける。」






「可兒。己が敬愛する師であるならば、己の命に代えてでも守ればいい」




    「それができんのだ。



       なまくら。いや小宮山殿ひとりで行かせるつもりなど毛頭ない。



     私も半次郎と刃 を合わせることは端から決めておる。


       だが私ひとりでは半次郎どころか共に動く薩摩藩士一人を斬ることもできぬ。


     貴殿に助力を願いたいのだ」





可兒は手を握りしめ、握りしめた拳の中から汗に交じり赤い液体が滲み出ていた。




可兒は己の剣才のなさは嫌というほどに理解していた。


可兒は脇差を腰から引き抜き、目の前に置いた。




    「事が成就したならば、この腹掻っ捌く。力添えを頂きたい」




利之助をひとり死地に送り込むつもりはなかった。



利之助の二刀の腕があれば半次郎と刺し違えることは叶う。



半次郎の凶行をとめた後、可兒が生き残れば責任をとり割腹して果てる覚悟であった。




「割腹して果てる覚悟であるなら、

                 端から偽りなど・・・くだらん。」





  「小宮山殿。ご助力を!!」