決手 明治維新    


慶応三年九月三日




赤松小三郎は約束を違えることなく東洞院通を薩摩藩邸へ向かい歩いていた。




赤松小三郎の正面に立った半次郎は、


赤松と一切の言葉を交わすことなく、ただ刃を振り下ろした。





振り落された一刀は薩摩が武力討幕に腹を括った覚悟を世に示す一閃となり、


徳川幕府の時代の終焉の 証であった大政奉還を経ても納まらず



国内を二分する内戦を経て明治を迎えた。








半次郎は師赤松が目指した世の礎になるため、



明治に刀を手放すことのできなかった武士たちを率い


                  最期まで悪名を背負い西南戦争で散った。






  可兒は戊辰戦争で大垣藩抜刀隊である兼用隊を率いて先陣を駆けた。


  明治を迎えた後も国を守る盾として陸軍省に仕官し生涯を戦場に置き眠りに着いた。







 久米部は戊辰戦争の会津戦争まで新撰組隊士として戦った。


 時代が変わっても国の治世を願い陸軍省 に仕官し仙台で没した。




小原鉄心は鳥羽伏見の戦いで大垣藩士が戦場で戦うなか、



単身禁裏へ参内し朝廷への絶対恭順を誓った。


小原の決断が大垣を戦火から救い、

参議に命じられたが維新後には職を辞し大垣に小さな屋敷を構 え隠棲し、


書と酒を愛し晩年を過ごした。




幸は烈士たちの刃が鞘の中に納められる最期を見送った。



西南戦争開戦前夜に半次郎から託された日記を有馬に手渡したその後の消息は不明である。




赤松小三郎に半次郎が振り下ろした刃を知る者は、


密命を降した者と半次郎と行動を共にした僅かな者だけであり



「幕府の密偵である赤松を斬った」


とだけ半次郎は書き記していた。








明治を越え大正の時代に入り



有馬藤太が


烈士の生き様を明治維新史編纂の渦中に語り残した





追憶の物語である。 

納刀 ~あとがき~