四手 殺活応機 二


2「小原鉄心」






一睡もすることなく馬を飛ばし続けた可兒は


京を出立して僅か二日足らずで大垣城下へはいった。





大垣城下の門が閉ざされている中、急使であることを伝え大垣藩老小原鉄心の屋敷へと向かった。



灯が既に落ちている屋敷が多いなか、


明朝まで待つことを躊躇わず可兒は門をたたいた。



「大垣藩士可兒幾太郎にございます。


   京より藩老小原様にも急使として駆けて参った。どうか御目通りを」





門番が「可兒様、明日になされよ」と制止されながらも叫び続けた。





半刻が過ぎた頃、屋敷の門が開き可兒は屋敷の中に通された。



可兒は、無礼討ちも覚悟していた。



己の偽りでひとり死地へ送ることなどできぬ。


偽りを真実にかえる ため可兒も命を賭していた。




通された間に足音が近づいてくる。



可兒は深く頭を垂れ平伏し部屋に入ってくる者を待った。



  「可兒。急使とのことであるが。京で何があった?」 


藩老小原鉄心そのひとである。



傍には二人の侍従が控えている。


「ご藩老様に文を渡すようにと」



  「文か。適からか?」



京屋敷を任せている息子適からの急使であるのか尋ねた。



京屋敷には京で動きある際には早馬を出すように命じてあったためだ。



京の政情不安から侍従も息を呑んだ。



「いえ。有士隊隊長小宮山利之助様にございます」



その名に声を荒げたのは侍従たちである。




  「小宮山・・なまくら如きの使いが急使であるだと?血迷ったか」


夜分に起こされた怒りを可兒にぶつける侍従とは別に小原は訪ねた。




  「可兒。確かに小宮山がお主に託したのか?」



「はっ。」




  「文の内容は存じて居るのか」



「いえ。あずかり知らぬことと、ご藩老様に直にお渡しするように頼まれてございます」





  「なまくらの文など明日でもよいではないか、


    わざわざこのような時刻に分も弁えず無礼であろうが」




「時がなく急ぎ故。無礼討ちも覚悟の上にございます」





   「可兒。相分かった。文を出せ。お主ら、声かかるまで席を外せ」


 「ご藩老様なんと席を外せと?」




   「二度は云わぬ」


藩老小原の声が響いた。


  侍従二人は渋々さがった。





小原は可兒より手渡され文を開いた。







  「相変わらずの癖字じゃ。饅頭同心の文に偽りない。」







小原は懐かしさを感じるように文字をなぞった。


小原の表情から利之助との交友が伺えた。





利之助が可兒が書いた偽りの文がわかったのも二人の間の交友があったからに違いなかった。


懐かしさを感じていた小原の顔は曇り、


怒りなのか哀しみなのかわからぬが読み進める手が震えはじめていた。




  「饅頭同心風情が気取りおって」



読み終えた小原は落胆したように吐いた。



  「可兒よ。主が届けた文は脱藩状じゃ」


可兒は驚きを隠せなかった。



「だ、脱藩!」




  「知らずに預かったか。あの阿呆は脱藩する故、追手を差し向け討ち取るがよし」


とな。


可兒の驚きに小原は何も知らされていなかったことを知った。



  「だがな。ただの脱藩状ではない。


    お主が助命を嘆願した小宮山利之助の命を賭けた懇願状だ」



「懇願にございますが」



可兒は理解に苦しんだ。 


  「読むがいい」



小原は文を可兒へ手渡した。


一礼の元、文をうけとり可兒は懇願状とは何かを確かめるため目を走らせた。



利之助が預かり知らぬと一言残したものは、


なまくらの心に秘められていた真意が描かれていた。




ご藩老様のご大恩に報いんがため、某の命が尽きた後、元治惨殺事件の事。


 首謀者が某であったことが暴かれ脱藩した所、


 追討藩士にて討ち取った旨の触れを城下に出して頂きたい。


 某が惨殺した師山本 の姪幸様が、名だたる武家に嫁ぐ世話をして頂きたい



との内容が癖字で書かれていた。





「元治元年は禁門の変が起きた歳・・。


 惨殺事件。元治元年冬と言えば・・野党どもが城下を荒らしまわったはず。



 野党の首謀者が小宮山殿・・まさか」





   「たわけ!!首謀者が利之助などはあやつの偽りじゃ」





「では何故己の事を首謀者などと書き記す必要があるのですか?」


可兒は文を鷲掴みに鉄心にむけ叫んだ。





「利之助が惨殺事件の下手人を斬った。」



   「ならば誇ることではありませんか。」



「下手人は、利之助の師、山本じゃ!」


鉄心は暴露した。




可兒は絶句した。



剣術指南役山本浩綱様が惨殺事件の首謀者であったなど信じられな い。





山本を斬ったのが利之助であったとは、


          師を殺めた良心の呵責に押しつぶされていたのか。





  「師を殺めた罪を償い愛する者を守るため戦場で斬り死にを求めた。



    それを可兒お前がとめた。」




「そのような過去があったなどとはまったく知らず・・・」




   「誰も知らぬ。今はじめて話したことじゃ。」



   「だが何故利之助の脱藩状を今更持ってまいった」




「申し上げます。可兒が小手先の策を弄した結果にございます」



    


   「なんじゃ小手先の策とは」






可兒は薩摩藩の動向と赤松小三郎暗殺を食い止めるがために


利之助と共に刺客をするための依頼をしたことを打ち明けた。





  「可兒。いかん。


   お主は共に行くと申したが・・・利之助は独りで闘うつもりじゃ」



「ま、まさか?いやお話を聞き私もそのように思えます。



 ご藩老様急ぎ京へ戻ります」



   「逸るな!!幸に伝えねばならぬことがある」



「そのような時はございませぬ」



可兒は焦っていた。



幸が利之助の剣術の師山本の姪であることは可兒も存じているが


今はひと時でも早く京へ戻り利之助 を止めることが先であった。



   「命を張って愛した娘を守ろうとしているのだ」




「それは思い人への気持ちを大切にしたことはわかりますが・・」







   「可兒違うのだ。

            違うのだ。




                幸は、幸は利之助の実の子」





「小宮山殿の子・・・



          幸様はそれをご存知ないと」 




「うむ。知らぬ。父を憎んだままではいかぬ」



小宮山利之助の底の見えぬ悲しみを可兒は知ることになった。



小原は控えていた侍従を呼びつけ、


山本の姪幸を至急小原の屋敷まで連れてくるよう使者を出すように命じた。





 一刻ほど経ち幸が小原邸へ出向いてきた。



襖が静かに開かれ入室した幸を横目に可兒はみた、


線は細く肌は透き通るほど白い美しいおなごに成長していた。



可兒は小原の持つ威容とは別に背筋に凍るような異様な緊張感を覚えていた。



「小原様、斯様な時刻に何用にございましょうか」



真冬の凍てつく寒風の様な声であった。



   「幸よ。いまだに利之助を斬るつもりでおるか」



幸の眼の奥が細くなる。



「そのために生き延びております」


  



  「左様か」




  「お主から利之助が叔父山本を奪ったことは紛れもないこと。



   それを隠したのは利之助ではない、



         儂じゃ」




「小原様が・・」




部屋の中の緊張感は急激に高まった。




可兒は禁門の変に駆けだす前と変わらぬ恐ろしさを感じた。



   「幸・・・



    利之助は一切語らぬであろうが、お主に話しておかねばならぬことがある」






「今更言い訳など聞いても利之助を斬る覚悟に変わりはありません」



一礼し、退室しようとした幸に向け小原は一喝するように発した。





   「山本の妹と利之助が恋仲となり婚姻を結ぶ前に生まれた子が幸、




    おまえじゃ。


    されどお主の母は、利之助と共に和宮様警護のため戦い果てた」



幸の動きが止まった。



「幸様、覚えておらぬのですか」



可兒は恐る恐る口を開いた。



  「利之助は今年いくつになった。三十七じゃ。


   三十七の男が十八の娘、二年前ならば十六の娘と恋仲などにはならぬ。噂が噂を読んだ」



  

  「利之助はお前を愛しみ育てた。


              だが母の姿を見たお前は混乱し卒倒した。





 目が覚めた時、己が何者か さえわからず利之助が父であることも覚えだせなかった。




  利之助は幸から母を奪ったのは戦に巻き込み守れなかった己の責であると


  父であることを名乗らず、師である山本へ叔父としての養育を願った。



  山本はそれを受け入れなんだが、



  利之助は・・


  利之助は幸が嫁ぐとき十石三人扶持の人斬りの娘より、



  百二十石の山本の養女として名立たる武家への輿入れをし、


                      剣など握らずに済むような暮らしを懇願した」




幸は何も答えない。



 「利之助は幸が笑顔で暮らせる世を願い。



  その世を実現するための先兵になるため、腹を括ったのだ。


  そのような男が最期に娘に憎まれて世を去ることを見過ごすことなど出来ぬ。




   いつか和解が叶うと願い、

               禁門の変で可兒の助命嘆願に一縷の望みを繋いだ。




  ひとりに汚れ仕事を押し付け成す国づくりなどあってはならん」





可兒は押しつぶされそうになっていた。




命を賭して闘うと利之助に口にした己の覚悟の浅さを恥じた。 



可兒に言っているのではない、遠い地にいる利之助に向けられた言葉である。



黙したまま動かぬ幸にも言い聞かせるように小原は語り始めた。



  「幾太郎。


   主は利之助の助命嘆願で生涯を賭しての誓いを立てたな」





「はっ武士に二言なし。生涯を賭してと立てた誓は忘れておりませぬ」




   「ならば利之助がなぜ禁門の変で斬り死にを望んだのか、わかったであろう」



「斬り死に?有士隊には、必ず生き延びよと、


 戦に出立する前に鼓舞したのですぞ。


 絶望的な戦を仕掛 けながら有士隊から死者が出なかったのは小宮山殿の働きあってのこと」



   「違いない。だが、あやつだけは斬り死にを求めた。


     見たであろう禁忌とされた奥伝を用いた利之助を」



「禁忌ですか?」



    「あやつが操る剣の中にある禁忌は、確実に敵を殺める一死必殺の技。


     鞘の理を修得したものだけが奮 える非情の剣だ」




「鞘の理と一死必殺・・表の裏のように真逆ではございませぬか?」



   「左様。


    真逆故に、鞘の理を修めたものにしか扱えぬ禁忌。


    禁忌である奥伝が二刀を操る一死必殺じゃ」




「では、二刀で小宮山殿が戦われた真意は」


   「ひとを殺めるに、己の死をもって償う。非情の剣じゃ」





「戦場ではどのものも非情になることは致し方ありませぬ。」



可兒は口を挟んだ。



   「大垣城下で利之助が饅頭同心と呼ばれたことは聞き及んでおるな」





「はっ。お役を放り出し饅頭を食べていたとか」




   「英才と思った主もその程度か知らぬか」






   「あやつが



       城下の見廻り役をしている頃に、


            わしはあやつに初めて行き会った。」





遠い眼であった。