二手 なまくら 二


2「壬生浪士」




可兒の苦しみとは異なるが、


己の生き方に苦しみを感じていた男が誠の一文字を背負い禁門の変を戦った


新撰組隊士久米部正親である。




久米部は、瀕死の重体であった小宮山を救い出した。




新撰組に身を置くだけあって剣の腕前も可兒とは 雲泥の差があった。



久米部は新撰組のお役と私塾への講義へ通うことともうひとつを日課として


この 2 年を過ごしてきた。




夜回り番以外の日は、夕暮れ時に三条河原に足を運んでいた。




京の都の東川をゆっくりと流れる鴨川にかかる三条橋を渡ればそこが


中山道の出発点であり終着地である。




三条大橋から半里下ったあたりの三条河原に夕暮れになると現れる男に会うために


足を運んでいた。




久米部が禁門の変で長州兵から救出した二刀で闘っていた男。




久米部自身、己の剣を世のために使いたいとの思いから、


政情不安に陥った京の治安維持を主任務に結成された


会津公お預かりの新撰組の隊士 募集の報せを摂津の国で知り志願した。



隊士募集にあたっては剣術や槍術など腕前が試された。




禄欲しさに隊士に志願した者の中には流派や腕 前を示す免状を偽るもいた。




偽った者は壬生の狼の手にかかり腕を喰いちぎられるだけではなく、



時には命を落とすほどの厳しさがあった。





結成当時から禁門の変に至る時期までの新撰組の戦闘力が


他藩や京に燻る浪士と比較し高かったのは、


入隊する際に揮いにかけられ新撰組で育て強くするのではなく、


もともと強いものだけが集まっていたからであった。




久米部の腕は三番組隊長の斉藤一から評価を受け、


三番隊隊士と共に監察として隊内の隊規粛清に剣を 振るうことを課せられた。




入隊したその頃、池田屋事件が起こり京における新撰組の名は高まったが、


池田屋事件をきっかけに京の都を焼いた幕府と長州藩の武力衝突、



 禁門の変のきっかけとなったことは 否定できない。




長州藩の勤皇を掲げる武士たちによる京都大火計画は池田屋で阻止された。



御所様も無事であった。




されど、禁門の変は起こり洛内に進撃した長州藩士により火の手があげられ


三日間京の都を焼くことにな った。



新撰組を率いる局長以下幹部隊士は、業火に包まれた都よりも、


己らの強さと武士としての士道の正当 さを周囲に認めさせるため



京の治安維持の名を名目に取り締まりを厳しく行った。





新撰組隊士は入隊時に誓詞を差し出した局中法度によってより厳しい姿勢を


幹部隊士より求められ、 



士道不覚悟となれば


         切腹


            を云い渡されるほか粛清と称して惨殺された。




久米部は心の中に、京の治安を回復し秩序ある国を守っていきたいという純朴な想いが、


血に染まっていく澱みを感じていた。



澱みに堕ちていく己の心に飛び込んできた光景が禁門の変で二刀を振り続けた男であった。




   武士という者は大義があれば、


  

           ひとを殺めることに迷いがないのか。



        苦痛を感じないのか。


      死を恐れないのか。




己の心の叫びを

   ぶつけ答えが欲しかった。





 そう思った瞬間、


久米部は伏見街道で戦う新撰組から突出しこの男を救った。



救ったといっても久米部 がこの男の下にたどり着いたときには、


全身に無数の傷を帯び鮮血で染まり息も細く、


己の疑問をぶつ けることはもはや叶わぬと愕然とした。




そこへ九曜紋を掲げた可兒が駆けより、


久米部が長州に与した浪士と勘違いし惨殺したと思い込んだ有士隊と一触即発となった。




新撰組は会津公より報奨金を授かった。





幹部隊士は祝宴をあげたが


 


 この夜から久米部は眠れぬ夜を過ごすことになった。




     「あの男は闘うことになんら迷いがなかったのか。


               

                  死ぬことが怖くないのか」




その答えを


 求める心の声が反芻し続けた。






京の火もおさまった頃から、




「大垣を讃える狂歌」



が流行した。



戦頼むは大垣と、新撰組の活躍ではなく、大垣藩士の果敢な戦いを



「舞うが如く二刀使いの剣士」



と講談師たちは盛んに京の町で語ったからだ。




久米部だけではなく、在京の諸藩藩士も大垣藩の雄と謳われている剣豪が、


藩老の命による命を拾い生きていることを聴きつけ、


大垣藩邸に集まり、面会を求めた。




諸藩藩士や新撰組隊士は腕試しや武勇伝 を聴きたいという気持ちに対し、


久米部は己の疑問を剣豪が払拭してくれると願い通い続けた。



大垣藩より誰一人面会を許されたものはおらず、


存命説さえも疑わしいものとなった。



禁門の変の後、幕府が出征した長州征伐には、傷が癒えぬという理由で参陣はしていなかった。




直接深手をみた久米部は息をしていることだけでも奇跡だと思っていたが、




 周りは違った。



大垣藩が藩の武勇を轟かせるために流布し、存在もしない偽の剣豪をでっちあげた。




いざその存在を問われたときに他藩の剣の腕前に自信のある者と立ち会えるほどの者が


いないことが暴かれぬよう療養 と語り存在を信じさせようとしていると疑い始めた。




だが久米部には剣豪を超える鬼神とも感じた二刀の男が己の眼に焼き付き脳裏を支配している。




通い続けたある日、どこの藩士かはわからないが、


大垣藩の一隊であり久米部と一触即発となった有士隊と揉めているところに出くわした。



 「もう一度言ってみろ」



「何度でも言ってやろう、

 お主ら卑しき農兵どもが金欲しさに偽りを語っただけであろう」



 「俺は農民だから文句はいえねえ。しかし隊長の戦いは嘘じゃねえ」



「嘘でないなら何故出てこぬ?

           既に戦からひと月以上が経ったにも関わらず」



 「くっ・・・それは」



「そらみたことか。云えぬところをみればやはり虚栄ではないか」




有士隊の男が刀に手をかけようとしたのを久米部は察した。


武士と言えど、道中で刀に手をかけるだけでも法度で処罰される。




農民が武士に向かって刀を向けたとあればただで済むはずはない。






 久米部は考えるよりも先に動いた。 





有士隊の男は身体が宙を舞う感覚を覚えた次の瞬間


                雷に打たれたような衝撃が襲われ抵抗力を失った。





久米部に地面に叩きつけられたのだ。




笑い者にしていた武士は、


羽織の誠の文字をみて静かになりを潜め去っていった。



抵抗力を奪いながらもその姿勢を崩すことなく、



久米部はそのままの姿勢で問うた。




  「名はなんと申す」




     「喜平太じゃ」




  「違う!!


    あの二刀をもって闘った大垣藩士、

    

    お前の隊長の名はなんと申すか訊いておる」




      「二刀・・・小宮山様のことをおめえ様は知っているだか?」



  


   「小宮山という名であったか」





       「なっ!知らなかったのかおめえ俺をだましたのか?」





   「騙してなどおらぬ!


     貴様が大垣の有士隊の隊士であればその二刀の男を助け出したのは、


     誠の文字で あったことを忘れておらぬか」



        「いや・・・誠・・おめえ新撰組か?」





「新撰組隊士久米部正親と申す。



   あの日、二刀の男を追いかけ長州兵目がけ走った」




      「んじゃ他の新撰組の連中とは違って、小宮山様の命の恩人?」




「命の恩人などと云うつもりはない。

  だが助け出したことは誠の文字に誓い嘘偽りはない」




「小宮山・・


 小宮山殿はその後どうされたのだ?


       大垣藩邸に運びこまれたことは知っている。」



     「・・・・」



「傷も深かった、やはり落命されたか」



再び失意に陥った久米部に予想外の答えが返された。



     「隊長は生きておる。


       生きておるが・・・生きているようにみえんのです・・・」




久米部は理解に苦しんだ。



「生きているのに、生きていないとはどうい了見だ」





  「魂がこの世に既にないように空蝉のようだ」






「浮世に魂がない・・・か」





鬼神と再会を期待した久米部であったが、






あの鬼神が何故、




 浮世から魂を失くしてしまったのか、




新しい疑問が湧き起っていった。



興味本位ではない。





このまま隊士粛清に剣を振るいつづければ己の心の終 着点が鬼神と同じく、


浮世から魂を失くしてしまうのではないかその不安からであった。




小宮山の名を胸に刻み、地面に叩きつけたことを喜平太と名乗った者に詫びその日は去った。





翌日


「小宮山様にお目通り願いたい」


              と大垣藩邸に出向いた。



大垣藩邸は揺れた、存命の小宮山の名を何故新撰組隊士が知っているのか。



藩老小原は国許へ戻っており、京屋敷留守居役は島原へ出かけたまま戻らず、



藩老付となり在京していた可兒が矢面にたつことに なったのだ。





ここで久米部と可兒は再会を果たした。






「貴殿はあの時の若造ではないか・・・」



久米部は可兒を見てつい口走ってしまった。




「無礼であろう!」



大垣藩の門番が叱咤した。


「某を知っているのか?」



可兒は目を細め、記憶の中を探った。


「戦場の中のこと記憶にないのも仕方ない。お主は我を忘れ奔走しておったからな」 



可兒にとって戦場と言える戦場はいまだひとつ禁門の変のみである。



禁門の変と誠の文字をつなぐことはひとつだけであることを思い出した。



 「貴殿は、あのときの新撰組隊士?」




「そうじゃ。そうじゃ。思い出してくれたか。


  名を名乗っていなかったな。新撰組隊士久米部正親と申す」



 「大垣藩京屋敷警護役可兒幾太郎。

                その節の非礼の段、ご容赦願いたい」




久米部は感嘆した。




 自身より身分の上の士分が率直に頭を下げ非礼を詫びたのだ。




「戦でのこと、非礼とは思っておらん。


       だが某が助けた男のことは気になる。」




可兒の目が伏せった瞬間を見逃さず久米部は続けた。


「可兒殿の目が伏せるという事は、惜しくも命を落とされたか・・・」





 「命の恩人である貴殿に嘘は申せぬ。小宮山殿は存命である。」





「生きておるのか!


      生きておるのであれば挨拶ぐらいさせてもらってもよかろうに」





 「存命ではある・・・なれど・・・」




「なれどなんじゃ?

 お主も浮世に魂がないとでも言いたいのか?」





 「・・・・」





可兒は黙して語るのをやめた。



「可兒殿。小宮山殿はどうされたのじゃ?あの剣腕は並外れたもの。


 某は小宮山殿に教えを請いたいのだ。」




久米部を押し返しても、

面会が叶うまでこの男は大垣藩邸へ通ってくることを感じた可兒は


一存で面会をさせた。




薄暗い部屋の奥に障子にもたれかかっている男が見えた。




近づくにつれ酒の匂いが鼻を刺激した。




「利之助様、新撰組隊士久米部正親殿にございます」






 久米部が驚愕した。





 昼間から薄暗い部屋で酒を煽っている男が


                大垣の雄「二刀使いの剣士」だと。



 あの日感じた殺気どころか、



 この場に存在しているかどうかさえわからない生気を感じない。





 隊士粛清に刃を手にするときとはまったく違う恐怖、


違和感を抑えられず、一言の言葉を発することも 叶わず慌てて久米部は退室した。






 「久米部殿・・これでよいかな」




「可兒殿。二刀使いは・・・。



 小宮山殿は物の怪の類にでも憑りつかれておるのか?」





 「わからぬ。だが傷も癒えぬのにああして酒を煽り続けている」



「解せぬ。二刀使いの眼に迷いはなかった。迷いのない男が何を・・・」




 「久米部殿。気はすんだかな?」



言葉にならずに久米部は大垣藩邸を退いた。







大垣藩邸での出来事から既に2年の歳月が過ぎていた。