四手 殺活応機 三の壱


3 饅頭同心




小原は利之助との思い出を語り始めた。






異国船が次々に現れ藩政の改革、


軍制の改革を推し進めるため寝食惜しみ身を削っていた頃。





大垣城下は東西の往来が激しくなったにも関わらず平穏であった。


小原自ら城下を見廻った際に出会ったのが利之助である。




大垣藩士としてはおよそ相応しくないものと小原は不快に思い


供回りに上役は何をしているのか問い質そうと話をきいた。



「名を小宮山利之助と申して、上役の覚えは悪くありません。


 あの男があそこにいる限り、城下の宿場は平穏の証だと申しているぐらいで」。




       城下の藩士がたるんでいる




小原はそう思い、単身身分を隠し、利之助の座り続ける茶店に顔を出した。





  小原の藩士を引き締めようとしたその思い付きが、


               小原と利之助の奇縁となり、


                  利之助を闘いの路へ送りこむ結果になってしまった。




利之助の町民の評判は悪くない。



悪くないどころか親しみを持たれている。



町民が皆々気さくに声をか けていく。


                 ひとりの町民に声をかけ問うてみた



「小宮山様がああしていてくださるから我らは安心して商いができるのです」





  ただ座って茶を飲んでいる男に何ができるのだ




調べさせると小宮山利之助は、算術方の次男坊で、


父、兄は藩主に付き従い江戸詰として算術方の役を 果たしている家である。



利之助はお家芸である算術が苦手で、算盤を剣の代りに遊んでいたことを父に 

咎められた後に養子に出され養父の家「小宮山」を継いだ。



養父の家は十石三人扶持の小身であり城下の見廻り、下級役人。



養父が急逝し下級役人の家督を継いだ。





家督を継いだころが浦賀警備に大垣が出陣した頃であり、


風体に似合わぬ剣才を持ったことを見抜いた剣術指南役山本が己の道場へ誘い、



独学 で学んだ利之助の剣に、流派の剣術を教えた。




利之助は黒船をみても怯えることもなかった。



師山本が理由を問うた。



 「あれは黒船と呼ばれているのであれば怖いものではありません」




「何故そう思う」





 「異国の船であり力は確かめようがありませぬが。


  船は船でしかありません。船である限り人があれを 操ります。



  丘にあがるのは船ではなく人ならば。


  異国のものと言えど人である限り恐れることはないで しょう」




剣才よりも大胆ともいえる器量が山本の眼にとまった。



  この器量があれば禁忌奥伝を操れるかもしれぬ と。



剣才と剣腕は上役が認めるところとなった。


「小宮山が剣を抜けば確実に命を落とします」



と笑った。



下級役人同士の仕合で小宮山が負けたことをみたことは一度もないと云う。



剛腕で腕に覚えのあるものでさえ、


打ち合いにさえならず静かに木刀が急所に添えられるのだそうだ。



仕合で決着がつかないのは剣術の師山本を除き同僚でただ 1 名であったと、


この二人が剣を合わせたのはただの一度で、互いに微動だりできなかった。



大垣の両川と謳われた二名の剣士となった。



両川と謳われるその腕を見てみたい と思った。


小原が描く軍制改革の中に必要な人材たるかどうかも見極めたかった。




藩士の中で剣腕の高いと云われる士分は道場での打ち合いで一進一退程度、


戦で戦える強さはない。


誰しも戦うために剣腕を磨いているわけではない。



小原の直臣として扱われている剣術指南山本の流派は山本曰く


「殺すための技術を鍛えぬいたもの」


故に、我が流派は鞘から刃を抜いてはいけないと言っていた。



「山本から殺すために磨き抜かれた剣腕を小宮山は操れる」



小原にはその期待が軍制を改革するためには必須であった。


時間をつくり城下へ身分を偽り足を運んだ小原。



目的を見失いはじめてもいた。


町民がこの男が好きな理由を感じていた。



 くだらないと思う事を真剣に悩んでいたり、お節介すぎるほどの世話焼いたりと、


 傍目に小賢しく煩いのだが、春に桜を、秋には紅葉をと養老の滝へ誘われ、


 利之助の妻と子、町民たち に交ざり酒を飲むことまで。




小原の名を訪ねることもなく「ご隠居様は」と



小原の年齢が隠居の年齢ではないにもかかわらず


呼び続けたが憎めない笑顔を持った男であった。



実のところ小原と利之助の歳の差は 10 歳程度であった。





利之助と過ごす時間は藩政の改革を急く小原の心の休養になっていた。




町民たちと設けた宴席で小原が



「饅頭ばかり食べて仕事もせぬ。饅頭同心が」



と笑いを誘ってから城下では小宮山に親愛の意をこめ饅頭同心と呼ぶようになった。



優男の剣腕よりも自身の話し相手として小姓にとりたてようかと思うぐらいだ。








だが小原の眼を覚ましたのは小宮山が放った一閃であった。







利之助が宿場を隠れ蓑にした賭場での事。




町人の娘が博徒に襲われ連れ去られた



小原は他の役人の到着を待てと言ったにもかかわらず




「捕われた者に待つ時間はない」 と



利之助は単身賭場を急襲した。





小原が身分を隠し城下を歩くために身を潜め警護にあたっていた山本 は


小原が応援を呼ぶことをとめた。




「我が弟子がご藩老様の期待に応え得る者か試されよ」。



獅子を谷に落とすとは言うが、


賭場には浪士たちが用心棒として雇われている



             そこへひとり乗り込むなど尋常ではない。



下級役人といえ見殺しになどできないと小原は後を追い驚愕した。




四名からの用心棒らしき者と、ヤクザ者が切傷を追い数名倒れている。





奥から、女人を盾にして利之助を狙った博徒の男は突然倒れ込んだ。


利之助の右手に剣はない。



左から抜き放たたれた脇差が博徒の喉元へ突き立てられていた。



「疾い」



小原は唸った。





山本は「あれ が奥伝です」と静かに小原に告げた。



この時に出た死傷者は死者一名、重症六名、討ち入った利之助に 傷は一切なかった。




奥伝を領民を守るために己の心を鬼にして振るった。



あの日利之助は人を殺めたこ とに涙を流した。



それにも関わらずはその腕を欲し、


新設した剣術指南山本を隊長とした有士隊副長兼 三番隊組頭へ抜擢させた。



利之助の生活は一変していった。




仕合の剣から戦うための剣、生き延びるための剣を


山本共に有士隊に参集した農民たちに教えて行った。



農兵たちと嘲笑う藩士をよそに日々剣を鍛え、


 士分たちが色めき立つ実戦でその強さをみせつけた。




ここからの有士隊の活躍は可兒も知っている。




饅頭同心が座して茶を飲んでいた場所には今では井伊家より戻った女将が饅頭屋を出している。



この店は小原のお気に入りであった。


「ご隠居。


    私が饅頭を食べてる間は世は太平ですよ」と




笑っていた利之助との時間を思い出すからだ。


ひとしきり利之助との思い出を語った。