五手 一死必殺 一  


1「有馬藤太」

 


慶応三年八月三十日 夕刻

 

「半次郎、藩邸の周りを嗅ぎまわっていた者が西本願寺に入ったと洗馬が報せてきた。」

 

 

 

  「西本願寺・・・壬生の浪士どもか。」


藩邸の一室で禅を組んだまま微動だせずに半次郎が答えた。

 

 

 

「左様」

 

 

有馬は端的にも苛立ちを隠さなかった。

 

 

 

赤松私塾に可兒と交友の深い新撰組のものが出入りしていたことは掴んでいる、

 

薩摩への警戒を強める京守護職会津公の指揮下で京の治安警護にあたっているのが新撰組である。

 

 

 

 

赤松暗殺は藩命として半次郎や有馬には降されているとしても

 

表だって薩摩藩士を名乗っての行動は叶わない。

 

 

暗殺を遂行する際には藩士を秘して動かねばならない。

 

暗殺に動く自分らを不定浪士として 新撰組が阻む可能性を有馬は危惧していた。

 

 

 



  「壬生の浪士などはお主の好きに致せ。但し赤松、可兒には一切手出しをするな」

 

半次郎は応えた。

 





「機を逸するぞ」

 

有馬は更に苛立った。

 

 

赤松や可兒は半次郎が刺客として向かうことを知っている。

 

赤松は上田藩士であり、可兒は大垣藩士、共に佐幕派の藩主の旗下である。

 

 

一件が露見し、禁門の変と同様、

 

準備が整わぬなか動き敗れた長州のように敗れ去ることを恐れた。

 



第二次長州征伐以降、幕府の威信は失墜する一方であるが、

 

勢いを取り戻す好機にされてしまってはもともない。

 



 

半次郎が赤松と交わした約束よりも有馬は任務遂行を推し進めるべきだと主張しているのだ。

 

 

 「藩の中で赤松先生暗殺のことをしっているものは?」

 


有馬の眼を見つめた。

 

 



「我らと同じ下級藩士に赤松を慕う者が多くおる。非情の覚悟を決めた僅かな者だけだ」

 

半次郎の眼に真っ向から目を見開き応えた。

 

 




半次郎は刺客に藩士を抜擢することもなく日々を過ごしてきた。

 

この期間に有馬は腕の立つもので、信のおけるものを選んでいた。

 


 「誰じゃ?」

 


「洗馬、根古屋、赤井、尾引、横尾」

 




皆、半次郎と同じく身分が低いが薩摩の為に影働きをしてきた者たちだ。


 「周到だな」

 


赤松一人を討つのに、半次郎、有馬、そして五名からの薩摩隼人を揃えた。

 

 

有馬の半次郎の裏切りを警戒してのことであることも踏まえたことだった。

 



「他藩士には内密のまま動いた」



 「それでよい。あくまでも我らが独断で行うこと」


半次郎は続けた。

 




 「だがな有馬。これは暗殺ではない、戦になる。気を引き締めよ。」

 

 



「学者ひとりで戦えると?それともやはり大垣や上田が出てくると?」

  

 「必ず阻むものが来る。大局を狂わせる奴がな。」

 

 

半次郎は有馬の問いの答えにならぬ言葉で有馬の後方に目線を移して返した。

 

「ならば煩い壬生の浪士だけは片付けさせてもらう」

 

有馬は退室した。

 

 

 



久米部は新撰組の任に就いてから珍しく焦っていた。

 

 

 

可兒と別れてから薩摩藩邸に張り付いて数日。

 

 

暗殺の手となる半次郎が一向に動く気配がない。

 

藩邸に籠って出てくる気配がない。


 




久米部に屯所からの使いで「不定浪士探索」の引き揚げが命じられた。

 

 

路地を西本願寺へ向け二条通を西へ歩く久米部をつけるものがいた。

 

 

久米部は気のせいかと思ったが、間違いなくつけられていることを感じていた。

 

 



二条通から三条へ下る ように狭い路地を選び歩いた。

 




つけてきている足の数は多くて四つ。





狭い路地を選んだのはつけてきている数を知るためであった。

 

 

「薩摩が動いたか」

 



可兒と交友のある久米部を殺めるための刺客であることを悟り、

 

迎え撃つ算段を始めた。

 

 

走り逃げることも選択肢であったが、

 

焦る久米部には敵を知るために迎え撃つ選択肢を選んだ。

 

 

路地を曲がれば小さな宮がある。誘い込めば複数で囲むことは難しい。 

迎え撃つことを腹に括った久米部は突然駆けだした。

 


つけていた足音も一斉に駆けはじめた。

 

宮の中に飛び込み足音が追い付くのを待った久米部は

 



「新撰組隊士と知っての狼藉か」と一喝のもと、



 

駆け寄ったひとりの脚を斬りつけた。

 

 

 

さすがに新撰組と言えど後をつけてきただけを理由に斬り殺すことはできない。

 

 

傷を負ったひとりを庇うように三名は名乗ることもせず抜刀した。

 




抜刀した三名の中、二名の構えがあまりに特徴的であり、どこの手の者かは問うまでもなかった。

 

「示現流・・・やはり薩摩の手の者か」

 



敵が薩摩の者とわかれば久米部の目的は達したが示現流三人を相手に退くことは厳しかった。

 


一刀目で脚を斬った者もそうであろうが皆手練れであることが伺えた。

 




背を見せれば一の太刀が久米部を切裂くことは間違いない。

 



新撰組隊士は京の治安維持が任のため隊を組み行動する。

 

ひとりの浪士であろうとも集団で戦う。

 



正々 堂々の道場の試合ではない命のやりとりである以上、


新撰組に戦いは決して卑怯なものではない。



新撰組の特性上集団で斬り込むため個人的な剣腕は広く知られていない。



隊内粛清と監察という任務の性質上、ほかの隊士と異なり求められるのは個の強さであった。




久米部は剣豪としても十分に強い。



この強さには有馬の誤算が生まれた。



自分を含め刺客三名あれば壬生の浪士ひとりを討ち取ることなどわけのない算段であった。



久米部の隙のない構えを前に、トンボの構えを解かぬ二名に対し、


有馬はふたりを盾にするかのように 静かに納刀した。




有馬の納刀が休戦の証ではないことを久米部は察し、口火を切った。



「力任せの剛剣しか知らぬのが、薩摩隼人かと思ったがお主はひとり違うようだ」




有馬の狙いが前の二名を犠牲にしてでも抜刀による一撃であることを見切った。





 「徒党を組むことしか知らぬのが、壬生の浪士と思ったがお主は違うようだ」




有馬は久米部の剣腕を素直に認めこう着状態となった。



三名と数の多い薩摩藩士に優勢は保たれている薩摩藩士から斬りかかれば久米部の命は奪える。



だが必ず薩摩藩士にも死者が出ることを有馬は思案した。


いたずらに人を失うわけにはいかない。




陰働きの出来る人材は貴重であり使い捨てにできるような者ではない。




 「根古屋、赤井、横尾を連れて引け」



「有馬!」



「引け!長引けば人が来る。その前に横尾を抱えて引け」



 「すまぬ」




三名は有馬の剣腕を知っていた。


有馬は冷静ではあるが冷徹な男ではない。


非情な決断を降すときに躊 躇はないが悪戯な犠牲は嫌う。




そのため赤松暗殺にも人を選び割いた。



仲間の犠牲を最小に抑える為で ある。



ここでひとを逸するは有馬の考えるところの悪戯な犠牲と判断をした。






目の前の男の剣腕は己の腕と僅差であろう。



 ならば一瞬でことは決す。





有馬は構えを解かぬまま声をかけた。

 「壬生の者が何用であった?」

薩摩藩邸に張り付いていたことを問うた。




「薩摩藩邸の近くで不定浪士が潜んでおると情報があって内偵を進めておった」




討幕で動く薩摩を調べているなどと云えるわけはない。




「藩邸の周りに不定浪士が潜んでおるか、藩邸警護の者に伝えよう」




 「雄藩である薩摩が不定浪士取締りに力添えを頂けるとは心強い。


  兵学者暗殺の噂を耳にしたが貴殿は ご存知か?」




「ほう兵学者暗殺?尋常ではない話だ。


だがこの都に幾人の兵学者がいるかも剣しか知らぬ某には与り知らぬこと」




有馬は久米部が赤松暗殺を耳にしていることを理解した。





 「壬生の者はその兵学者とやらを護衛をしているのかね?」



新撰組が動いているのか有馬は確かめようとした。



新撰組が動いているのであればこの場で決着をつけなければならない。




「いや噂の真相を確かめねば動けぬ」



有馬の真意を察し、久米部の単独の探査であることを意図して伝えた。




 「そうであったか。くれぐれも身に気を付けられよ。京は揺れている故な」





「云われるまでもない」



互いに間合いの半歩外での舌戦であった。


どちらかが半歩踏み込めべ刃が抜かれる。





 「名を聞いておこうか」



有馬が問うた。




「新撰組隊士久米部正親。貴殿は?」




 「礼を欠いた。薩摩藩士有馬藤太」



「有馬殿・・・か」




「今宵のこと、薩摩を探る不定浪士と逸り誤り手を出したこと赦されよ」




有馬は柄から手を放し詫びた。



休戦の証である。




「こちらこそ咄嗟のことで誤解とはいえ一人傷つけてしまったこと赦されよ」




久米部も平突き構えを解いた。





有馬も久米部もひとりの兵学者を巡り戦うべき相手であることを感じたが、


闘うべき時が今ではないことを察した。




だが二人が刃を直接交えることはなかった。



二人の憶測を遥かに凌ぐ勢いを持った烈士の闘いが始まっていることを



                            予想だにしていなかった。