五手 一死必殺 五


5「日本(二本)の刃」

 

 

 

 

 

日本刀は真正面から刃を受け止めれば刃こぼれし殺傷能力は失われ鈍器になっていく。

 

 

 

もしくは刃ごとへし折られてしまう。

 

達人たちは刃を合わせることなく相手を仕留めるのはそのためであった。

 

 

道場剣法は互いに打ち合い受ける基礎である。

 

刃を受ける鍛錬を積む。

 

これは身を守るためであり殺めるためではない。

 

端から目的が異なるのである。

 

 

身を守るために身に着ける受けと、殺めるために研ぎ澄ました攻め。

 

 

半次郎も利之助も道場で剣技を学んだのは元服してからである。

 

 

利之助は元々算用方の家柄であり剣腕を求められず道場に通うことを許されなかった。

 

 

独り棒切れを振り回していた姿を見かけた養父が引き取り始めて刃を握らせた。

 

 

その養父は急逝し利之助は独流のまま浦賀警護などの任に就いた。

 

 




剣腕を見出したのは師である山本であり、


利之助が道場で剣を学んだのは十八歳を過ぎてからのことであった。




山本の眼は確かであり独流でありながらも


鍛錬を続けた力量も重なり一年足らずで免許 皆伝となった腕前。










対する半次郎はこの対決に至るまで道場で師と呼べる者から学ぶ機会を得ていなかった。


示現流も独流で会得した。



利之助は十石の同心であったが、半次郎が生まれた家は三石取、


半次郎の働きもあり五石まで家禄となったが道場に通うゆとりなどはなかった。




故に半次郎は道場での打ち合いは観たことはあってもしたことはない。



道場で打ち合っている間、木刀が体にあたってもそのまま仕合は続く。


真剣であれば斯様なことはない。


真剣が体にあたれば斯様にはいかぬ。



半次郎が目指した力は時代を変えるための剣であり、身を守るための術ではなかった。



二刀使いに拘ったひとつの理由が、


二刀使いの剣技は他流試合はじめ道場で見たことのない、


                  血と命だけを欲する刃であった。




半次郎が禁門の変で恐怖したのはそのためである。



利之助は道場では禁忌とされた奥伝を会得したのは道場ではなく戦場であった。




山本門弟で禁忌奥伝を会得出来た者は、


利之助の妻であり山本の妹、大垣藩士同心で有士隊二番隊組頭となった善次郎、


そして利之助。



慶応三年のいまこの世に禁忌奥伝を操れる者は利之助ただ独りとなっていた。



利之助は山本道場で学び得たことは「鞘の理」であった。




  鞘は刃を封じ身を守るもの。




   刃は鞘から抜けば斬る。





     斬れば死ぬ。







故に刃を抜けば悪鬼への路を進むことを告げられていた。



饅頭同心と呼ばれた利之助は鞘の理を尊んだ。




城下を荒らす賭場で無法者から領民を守るために鞘から放った刃が


血を吸い命を奪い取ったことに変わらなかった。



賭場での一件を境に師山本は利之助に道場での剣技から実戦の剣、


奥伝の伝授を始めた。


奥伝の伝授は人を殺めた者しかされることのない非情な業。



禁忌奥伝を操れる心を持たねばならなかった。



山本であっても禁忌奥伝の血に惑わされ凶行に奔った結末があった。




「血には狂わぬ」


半次郎は人を殺めてでも武士が支配する国を造り還る覚悟であった。


武士の世に終わりを迎えさせることを目指した指導者に従ってきた。



指導者が反故にすれば斬る覚悟さえ腹に括ってきた。


その覚悟が口先のものではなく悪名を背負う覚悟あるか指導者に問われたのが、


半次郎が師として尊敬 する赤松暗殺であった。





半次郎が時代の悪鬼と化すために倒すべきは己の心を支配する悪鬼二刀使い。



血を吸う二刀を斬り伏せてこそ成せる世、悪鬼の名を以てして時代を築きのだ。



二人の業は互いに私心なくぶつかりあった。





奥伝の左を失っても利之助の攻めは続いた。



叩き落された左を無視するかのように右の長刀を身体ごとぶつけた。


長刀と長刀では半次郎に分がある。


間合いも既にない。


身体ごとぶつけ加重で刃ごと押し斬る。



押し斬られる力を半次郎は刃を滑らせ後方へ流した。


前傾で荷重のかかっていた利之助は半次郎の後方へ転がるように流され態勢を崩した。



半次郎は反撃の機と定め脳天を目がけ刃を打ち下ろした。



 一撃目は身を捻り交わされた、二撃目はもう 一歩踏み込み同じく刃を打ち下ろした。



利之助が刃を受け止めれば示現流の力で叩き割る勢いである。



利之助は己の体制を立て直すため勢いを利用した刃が


衝突する刹那の瞬間に右側に己の身体に刃を密 着させるようにし受け流した。



柳と呼ばれる技である。



示現流相手に柳を用いるなど大抵の者は出来ない。



柳で受ける前に叩きおられだけだからだ。





しかし利之助の柳は半次郎の刃が、




雨が柳の木から滑り 堕ちていくかのように流され、


その勢いを借り半次郎の後方へ回り込んだ。





半次郎は呼吸を止め利之助の動きを追い、闇雲に突きを連続で放った。


利之助に反撃の機会は与えない。



利之助は突きを長刀で受 けながしながら交わし続けたが、



半次郎の畳み掛ける攻勢の前に利之助は息を切らし


古道の脇の杉の木 まで追い込まれ斬撃を刃で受け止めた。



半次郎は刃を押し立てそのまま力で利之助の肩口へ刃を下ろしていく。




抵抗する力はもうないのか利之助は左手を長刀の柄から放し掌で


峰を支えたが利之助の身体は深く沈んでいく。





夜が明けたにも関わらず古道に降りしきる雨が闇の中へ吸い込まれていくようであった。







雨が激しさをました。






掌を枕にした利之助は気力を振り絞り、


屈みこんだ下半身の筋力もすべてをもちいて

半次郎の刃を跳ね上げ半次郎の脇腹を柄で打ち見せたことのない大振りの一撃を振り下ろした。




半次郎は脇の痛みを堪えた。



肋骨を傷めたことは間違いない。



だが利之助の大振りの一撃は利之助が剣 を操る限界がきていることを悟らせた。




互いに間合いをとった。






次の一撃が互いに最期の一撃である。








「何があっても退かぬか」



半次郎は間合いに入る手前でトンボの構えをとり、


血に染まった歯を食いしばり立ち上がる利之助に発した。



  「譲れぬ!

      来た道は戻れぬ」




気迫が利之助の肉体の限界を凌駕していた。


 大垣で聞いた一死必殺とはこの気迫であろう。


           己の命を失う結果となっても必ず殺める。





最期は技ではなく、人の気迫が勝負を決する。



命の奪い合いは法や理論「綺麗ごと」など一切を超えた非情なものである。



如何様に大義名分があろうが薄れた正義を口にしようが人の命を奪う結果は変わらない。






             「抜けば斬る。 斬れば死ぬ」




刃の真実を二人は共有していた。






  「二刀使い!」




     「半次郎!!」






二人の絶叫が古道に響いた。





半次郎は勝ったことを確信した。



利之助は己の愛刀を持ち上げることも叶わず


半次郎の一の太刀を左腕を枕にし受け止めていたからだ。



半次郎の刃が徐々に利之助の肩に喰い込み雨に濡れた肩口には雨に滲みどす黒く変化していく。



半次郎 の刃に雨と共に黒く赤い液体が流れ伝わってきた。





もはや反撃する力も残っていなかったのか。


勝負は決した。



心の中で半次郎はふと思った。


 しかし一死必殺を誓った利之助の真の狙いに誘い込まれたことに戦慄した。



左腕と命を犠牲にした利之助の「一死必殺」の真の狙いは


肩口に喰い込んだ半次郎の刃を利之助は筋肉の硬直と左手で刃を掴み捕えた。



利之助の愛刀が雨の流れに逆らうように天に向け高く掲げられていく。





勝敗は決した。


    半次郎は悟った。


利之助の勝ちである。





利之助の愛刀が半次郎の命を奪い去る。




半次郎は私闘に敗れた。



半次郎は眼をつむることなく利之助を睨み続け己の死に様に眼を背けなかった。





利之助の気迫が勝り、


刃が半次郎から命を奪おうと振り下ろされるその瞬間。





利之助に遺された時間は終わりを告げた。






利之助の喰いしばっていた口から大量の血が噴出し


身体から力が抜け崩れた。






それで も刃を下ろそうとしない利之助であった。




半次郎は己の刃に込めていた力を抜いた。



二人の闘いの行方を見守っていた有馬。



脇腹の傷口からは出血が続いていた。





有馬に背を向けていた利之助の身体が崩れかかった姿を見て取り、



痛みを堪え立ち上がり利之助の背から身体の体重を刀に乗せながら斬った。



有馬の斬撃は手に力が入らないため


刃に体重を乗せたが得意とした抜刀と比較し殺傷能力は極端に落ちていた。 



だがそれで充分であった。



利之助は有馬の一刀で古道に崩れ落ちた。



崩れ落ちた利之助は激しく口から血を吐き続けた。


噴出する血は半次郎が斬った肩口や有馬による背中の傷から流れ出る比ではなかった。




利之助はもがきながらも


愛刀を右手から放すことなく闘う意志は残っていた。





闘う意志を受け止めた有馬は、


傷口を抑えながらとどめを刺すため刃を突き立てようとした。




有馬は仲間を失った私怨ではなく、


真正面から闘いを挑んだ相手に敬意を以て


                苦しみをとってやるつもりであった。





有馬を半次郎は手で制した。




半次郎は表情を変えずに自身の刃の血を袖口で拭い納刀した。




有馬も半次郎に倣い納刀した。





半次郎は立ちながら古道に這う利之助を見下ろし


                 利之助が手放さない刃を見つめた。



三人の間に豪雨が降り続け古道に散った血を洗い流していた。






半次郎は勝敗が決しても尚

 愛刀を手放さぬ利之助の手から力づくで刀を奪った。




奪った刀を半次郎は下から舐めるように見つめた。



雨に濡れ妖しく鈍く光る幾多の命を奪ってきた刃であった。



妖しく鈍い光は利之助の頭上に振り上げられた。




有馬は、闘った相手の刃で命を奪ってきた利之助の最期を


己自身の刀で迎えさせようと半次郎はしていると思った。





決着の付いた相手に残虐な始末とも思ったが


五名からの同志の命を奪い去った男への復讐を遂げたい心は止めようがないと見守った。



有馬は闘いで命を落とした同志と利之助の冥福を祈り、




 眼を閉じた。





利之助と半次郎は互いの眼を見据えた、次の瞬間半次郎の一閃が振り下ろされた。





眼を見開いた有馬は驚くべき光景を目にした。



半次郎が振り下ろした一閃は刀の血を振り払っただけであり、


己の袖で利之助の刀の血を拭っていた。





有馬は半次郎の意図を汲み古道に利之助が投げ捨てた鞘を拾い上げ差し出した。



    「俺は二刀使いに負けた。



     二刀使いは人に等しく与えられたときの流れに敗れただけ。」




半次郎は有馬から鞘を受け取り利之助の刀を


ゆっくりと鞘に納め利之助の手に握らせた。



半次郎は利之助に呟いた。





     「俺の路も引き返すことは出来ん。


                悪名を帯び生きていかねばならん。


      許される日などこないことも承 知。


                       されど生きる限り剣を振るう。」




半次郎は鞘から手を放し古道を己の路を貫くために歩き出した。




有馬も後に続いた。




二人が紫陽花の中へ消えていく姿を追うように



利之助は鞘を握りしめたまま古道を這った。






闘いが終わり古道から血が洗い流された頃、



杉林の中に太陽の日が差し込み雨はあがっていた。