四手 殺活応機 三の弐


可兒は何も知らなかった。



七百五十石の藩老と十石の下級藩士の交友。


禁門の変で命を救いたかったのは可兒や有士隊だけではなく小原も一緒であったのだ。




「だが・・・」




小原は愉しげな思い出はすべてが幻想であったかのように哀しみに満ちた眼を臥せた。




「饅頭同心は饅頭を食わせておけばよかった。すべては儂の愚行」



藩老の愚行とは何か、問うことは可兒にはできない。




 だが小原が重い口をあけ語り出した。




元治元年の正月は三日、船着き場で藩士の惨殺死体が発見された。


何者による手かわからぬまま、第二、 第三と、藩士が惨殺された。



町民の犠牲が出ないことから藩士を狙った者の仕業であることは明白となった。



小原は非常招集を行い見廻り組に加え、


実戦の斬り合いに強い有士隊も見廻り組と首謀者の探索 を同時に行わせる命を下した。



 有士隊は三番隊まで一番隊は剣術指南役山本、


 二番隊は大垣の両川と謳われた大垣藩士、


 三番隊に利之助。



三名とも剣腕だけではなく、用兵にも長けていることを知る小原が参集させた。




各隊は任務に就いたが、惨殺される藩士は続き、


一晩で見廻りに出ていた有士隊一組四名が惨殺された。




剣戟を聞きつけた者もいない。



僅かな時で四名の有士隊を惨殺する複数による待ち伏せによるものと検視役はみた。




利之助の眼だけは違った。


有士隊は剣を抜いているが刃こぼれがない。


防戦すらしないことが理解できなかった。



賑わいを見せた城下は鎮まり還り出入りも厳しく管理をされた。



事件の始まりから既に二か月以上が経ち、焦りを見せていた。




寝食を惜しみ探索を続ける有士隊を衝撃 が襲った。



二番隊組頭が夜見廻り中に隊士三名と共に惨殺され発見された。



大垣の両川と謳われた剣豪 である。


その男が呆気もなく斬られるなどあり得ない。



利之助は失った仲間の遺体の傷跡が今までの惨殺とは違い


肺の急所を一撃で貫く突殺であることをみつけた。





ただの突きではない。




 切先を突き上げる技。


    一撃で死を与える奥伝の手に似ていた。




利之助は小原と山本に同門の所業の可能性を示唆し、


山本 に同門に奥伝を扱えるものがいるのかどうかを問うた。



山本は奥伝を授けたのは亡くなった二番隊組頭 善之助のほか利之助のみであると回答があった。



見立てが異なり左利きの邪剣ではないかと小原は問うてみたが、


利之助が首を振るうことがなかった。



「左利きの突きであっても斯様に突き上げ身体を貫くことは・・・」


正面から串刺しにされ肺から背中 まで貫通していた。



利之助は組の編成を変え四名一組から四名二組八名による見廻りを行わせることにした。



この二月で有 士隊含め十名以上が命を落としていた。


戦で命を落とすことのない者たちが闇夜に吸い込まれていく。



利之助の気は焦り曇りをみせていた。


利之助の裏をかくように一晩で四名が惨殺された。



有士隊も大垣藩も戦意を喪失し剣を握れるもので敵 うものはなしと。


見えぬ敵に恐怖し閉門する屋敷が相次ぎ大垣の政務も混乱に陥っていた。



利之助が具申した。


「間違いなく。流派を汲むもの。敵は誘っています。


今ここで待てば、燻りだすた めにご重臣のお屋敷や町民に害を為すものと」




小原は憤りながらも


「では如何にせよと」





  「私が囮になります。」


師山本が応えた



  「大垣の両川が囮、先手遊撃か利之助」



「山本なんじゃ先手遊撃とは?」



  「我が平法にある用兵で。伏せる敵を燻りだす先手を出すのです」



「友釣りの餌ということか?」



小原は釣りに例えた。



  「利之助。先手遊撃の用兵の末路はわかっての申し出か」



山本が問うた。




      「覚悟の上です。餌で構いませぬ。犠牲はだしたくありません。」


「娘はどうする?主が命を落とせば幸は・・・」




      「ご藩老様、幸は私が父であることを覚えておりませぬ。


       山本先生が存命であれば幸は、幸せになれる のです」




  「相分かった。小原様、利之助が先手を引き受け、二手である決め手を私が討ちます」



「山本・・・利之助は死ぬということか?」



  「ご藩老様、



   抜けば斬る。斬れば死ぬ。簡単なこと。ただでは死にません。


   必ずや仲間の仇を討ちます」



小原と山本に利之助は深々と頭を下げ退出した。




屋敷の外では桜の蕾が膨らみ始めていた。


利之助は戦に用いた短筒に袖を通し、額には鉢巻を巻きつけた。



一死必殺の覚悟を決めた者に、曖昧な 防具は不要であった。



守りになるものが僅かな感覚の甘えを生む。



裸に限りなく近い姿で振るう最速の動きは死地に入ってこそ可能となる。



隊が結集した場で山本から話を聴いた隊士は憤った。


「利之助様だけを犠牲になんてできない」



その声 が多数いやすべてであった。



  「非情な決断であるが利之助は大垣の民のために命を賭す覚悟、


   皆は各々 役目を果たせ」



山本が命じた。





利之助は無人とかした宿場を独り歩きだし、



はじめて惨殺事件が起きた船着き場へたどり着いた。


船着き場に掛かる朱塗りの橋の中央に立ち



           無人の空へ叫んだ。 

 

 

 

     「影に身を潜めるのは止めよ!討って来い!奪われた命の重みを味わせてやる」

 

 

 

 

利之助の叫びを宿場の家屋に潜んだ有士隊たちは耳にしていた。

 

 

利之助が切り結んだところを一斉に取り囲み殲滅する。

 

船着き場を円の中心に三方に隊は配置され、山本がひとり残りの隅を固めた。




「どうした!今さら臆したか!!」



利之助は叫び続けていた。




    その時である、


   静寂に支配された船着き場に絶叫が轟いた。



利之助ではない。



「しまった」


利之助は失態を悟った。




敵は用兵の裏を読み、潜んでいる者を奇襲したのだ。


先手が後手に回った。



声の方角から利之助は場を定め走った。



悲鳴の数はひとつ、その後の声があがらない。



  だが確実に闘いは始まっている。



     有士隊が潜んでいる寺へ駈け込んだ。



 


      利之助の眼は凍りついた。





有士隊を斬っている者を見つけたに関わらず、身体が動かなかった。


その場にいた一番隊十名の隊士の命が奪われた。


凄惨な地獄へ有士隊が駆け込んできた。


   十の躯と鮮血に染まった利之助の姿。


   茫然と立ち尽くす利之助。


検視役も駆けつけた。



検視役の見立てはあきらかであった。




十名の躯の腹に脇差が墓標の如く突き立てられていた。


奉行所の役人が利之助を詰問する事態となった。



「己の剣を汚すことなく、相手の脇差を奪い突き立てる。


  これを成し遂げる技はお主の平法のみが行う技。


  いくら下手人を探しても見つからぬわけだ。内に潜むとは。


  まして昨夜の策は、お主にとって邪魔 となる有士隊のすべてを一網打尽にする誘いであったか」




利之助は何があったのかの子細の口を閉ざした。



 利之助は合わせて二十四人を惨殺した下手人として扱われ厳しき責めにあっていた。




小原は信じること ができなかったが検視役の報から「利之助なのか」と諦めていた。




利之助が捕縛されて三日が経った晩、再び惨殺死体が船着き場よりあがった。


小原は自ら利之助のもとへ赴き牢の番もすべて席を外させた。


  「利之助。答えてくれ。



        お主でないなら誰じゃ。


          儂の考えを否定してくれ。頼む利之助」





          「ご藩老様。


                   一死必殺、鞘から刃を抜いた者の定めなのでしょうか・・・」




「利之助・・・」



小原の想像を否定しなかった。



「如何に致せば・・・藩兵を動員すれば諸国に知れ渡る」



  「ご藩老様。最期の賭けをお願いできますか」



「賭け?」




  「ご藩老様とはよく饅頭屋で賭けを致しました」



「何を悠長な」





  「利之助の最期に賭けて頂けませぬか?待っているのです私が来るのを」




「利之助・・・独りで太刀打ちできる相手ではないぞ」


   

   「はい。ですから最期の賭けです。


    賭けに敗れた際に備え十重二重に屋敷を囲み躊躇なく

 

    陽が登ると同時に火縄を放ってください」



「おまえごと撃てと申すか」



   「私の腕では時を稼ぐことが精一杯です。


    今宵行かねばまた人が斬られます。


    

    ご決断を」 




「利之助。

 

       すまぬ。

 

              すまぬ」

 

 


利之助は小原の名を以て縄を解かれた。

 

 

 

同日、大垣藩鉄砲組に出陣命が降り、大垣城二の丸に陣を張った。

 

 

小原は甲冑を纏い、戦支度を整えた。

 

手を下すのであれば自らの手でと。


 

全てを悟ったかのように利之助が現れ別れの挨拶を告げた。


 

   「ご隠居。幸のことお願いいたします」

 


「利之助!!」

 


利之助は振り向くことなく城門から送り出された。

 


「生きるために剣を取れ」小さく呟いた。

 

 

たどり着いた場所は仲間たちと共に過ごした大垣城下にある道場。

 

道場の門は開いており、一礼し利之助は門をくぐり声を張った。

 

 


  「大垣藩同心小宮山利之助、参じました」

 


はじめてこの門をくぐった時に発した言葉である。

 

「遅かったな。利之助」

 

 

穏やかな声が返ってきた。

 


 「愚弟であることをお詫びする言葉も浮かびません」

 

 

主は見えないままである。

 

 

 「先生!

 

  鞘の理は・・・鞘の理はなんのための教えか伺いたい!」

 

 

「ふっ甘い。相変わらず甘い。今更問答に何の意味がある。

 

 平法の奥伝は一死必殺。鞘から抜かれた刃 は二度と戻らぬ」

 

 

 「先生は血に狂われたか!」

 


「狂っておるのは俺ではない。剣の真理を忘れたこの時代よ」

 

 

 

暗闇の中に月が反射して光るものがあった。

 

 

 

「剣は人の道に非ず。

 

  剣は武士の飾りになるためにあるのではない、血を吸うために生まれたものよ」

 

 

 

 

   「私は鞘の理の中で大垣領民を守ってきた」

 

 

「利之助。

 

  守るために命を殺めたであろう。

 

  殺めることに守るも正義もない。

                   斬れば死ぬ。」

 

 

 

   「それでも私怨に捉われ振るった剣はありません」

 

 

「私怨?お主は俺を恨んでおるのであろう?お主から奪った俺を憎んでおるだろう」

 

 

   「妻を失った力不足は私の責、先生を責めることなどありませぬ。

 

    もし兇刃に落ちた原因が我妻にある のであれば、亡き妻のために剣をおいてください。

 

    妻・・・先生の妹は先生を恨むはずはない。

 

    皆戦い の中のこと。幸のことを考えてください」

 

 

「利之助黙れ!!問答など不要。悪鬼と化して剣を取れ!」

 

 

叫び声と共に暗闇から飛び出してきたのは剣術指南役の山本であった。

 

 

 

飛び出すと同時に利之助の額を狙った一閃が振り落される。

 

 

利之助は抜刀することなく右に飛んだ。

 

 

とんだ利之助を追いかけ切上る。

 

身をのけぞらし身体を回転させ山本の後方へ回った。

 

 

「二手まで避けられるまでになったか。

 

  どうした後ろをとったなら、なぜ斬らぬ」

 

 

 

    「先生を斬りたくありません。」

 

 

 

「まだ戯言をほざくか!」 



山本が身体を捻り遠心力で速さを増した横凪ぎが襲う、

 

利之助は後方にさけずに前に飛び込んだ。