三手 幕薩一和  三の弐


半次郎と有馬の脳裏に浮かんだのは文久二年春に起きた事件。



前藩主久光が薩摩藩の尊王派藩士 八名を寺田屋にて殺害したことである。



上意であったか、誤解による物別れか、


下級藩士に事の真相はわからないが、


薩摩藩士同士が斬りあい命を奪い合ったことに変わりはない。




寺田屋と同じく薩摩藩の討幕派藩士をけしかけ、


薩摩藩がこれ等を討ち取ることにより幕府への忠誠を世にしらしめることで実現する


「幕薩一和」の策に乗せられているのであろうか。




有馬の中に疑念が芽生えた。



有馬の疑念を晴らすように赤松自身が語り始めた。





     「薩摩は英国との貿易で国元の力は確かに強大だと私は思う」




  「ならば・・・」



半次郎は身体を乗り出した。


「されど、薩摩一国と日ノ本を滑る徳川幕府では圧倒的な力の差があることは明白。


   武力と言っても、 最新鋭の武器を調達しているが扱う数は薩摩一国。


   薩摩が長州征伐に倣い、幕府軍を迎え撃つのであれ ば局地戦で勝利となろう。




   されど討幕ともなれば江戸まで攻め落とさねばならぬ。


   それまで指をくわえ ておるほど幕閣に人がいないわけではない。


   今のままで大局では幕府に勝てない」




有馬は薩摩では勝てぬと云われた怒りよりも赤松の論に理があることは理解していた。




赤松は、武力討幕は薩摩のみの事と思っておるようだが、


既に長州と武力討幕で盟約が結ばれ、安芸も動きを共にしようとしている。


ここに土佐がどうでるかで大局は変わる。



薩摩が表だって動けないのも諸藩と比較すれば優れた武力は有しているが、


幕府を倒すまでの武力はないことは事実。



幕府を倒すためには討幕連合をつくりあげる時間と大義名分を要する。



そのために藩主 久光自ら軍勢を率いて京に滞在し禁裏へ働きかけている。



名目は京の政情安定の為、京守護職の会津公 に助力すると言っているが。


決行へ移す時が定まり次第動かせる兵が京に必要であった。



薩摩から討幕 の旗を掲げ兵を率いて上洛など悠長なことをしていれば、


佐幕派諸藩の根強い抗戦に遭うことは必至であり、


幕府はその間に禁裏より天子の詔「勅命」を以て薩摩藩を掃討することに間違いはない。


幕府も薩摩も暴発を抑え水面下で禁裏との交渉を続けている。


その世情を理解した赤松の言葉である。




  「だからこそ今先生の力を幕府へ渡すわけにはまいりませぬ」



半次郎は応えた。


「私の力が何するものぞ。たかが一〇石三人扶持の小身だ」


     「薩摩へ参られれば、兵学の師として十倍以上の禄を約束されることは間違いない」



有馬は横から口を挟み、理には利で押してみた。



「有馬君と申したな。


   君は幕府が君に今の禄の十倍を出すから薩摩の指導者を斬れと誘われたら応じるのかな?」


有馬はつまらぬ自身の言葉を恥じた。



赤松は学者である前に武士として忠義心と志をもって生きてきたことを蔑ろにしたからだ。



      「かたじけない。つまらぬことを申した。」


有馬はこれから斬らねばならぬ相手に素直に詫びた。



「大局を見るのだ。中村君。」


    「大局・・・。先生、大局は数で決まるものではありません」 



「確かに。数だけではない。


   君の様な熱き志や信念が根底には必要だ。


   だがあまりに差のある数では始 まる前から勝負にさえならぬのだ」




    「禁門の変。先生は禁門の変はご存知でしょうか?」



「知っている。そのあとの長州征伐において江戸詰となった」




     「先生は戦は経験されていないと?」




「うむ。戦の経験どころか、人を斬ったこともない。」



     「先生は、僅か三十足らずの兵で、八百の敵兵を破る術をご存知ですか?」



半次郎の突拍子のない言葉に有馬は言葉を失った。



「指揮官の暗殺かな?」



赤松は顎を手で撫でながらこたえた。





    「暗殺により指揮系統は混乱させることはできても、


       時と共に体制を立て直し結果、数で押し込まれるのでは?」



「左様」



師弟により問答が始まっていた。



    「僅か三十の兵が、戦を見て知らぬふりをしている者たちを巻き込む嵐となれば


       如何様になりますでしょうか?」




「巻き込む嵐?」




    「禁門の変で長州は散漫な奇襲を仕掛け幕府諸藩に各個に撃破された。

   

       局地戦で負け、大局でも負けた」



「左様に思う」




    「されど、長州の狙いは、兵を分け諸所で戦火を開き局地戦での負けを演じ、


       大局において勝利を掴む ための策があったとすれば如何でしょうか。」



「大局の勝利?」





半次郎は用兵の才知にも富んでおり赤松は半次郎の才を認めていた。



己の暗殺の話から半次郎の語る用兵に興味を持ち始めていた。



顎にあてた手は赤松の興味深さを示す癖である。



    「長州は兵を分けました。禁裏を守る我らも、薩摩、会津と雄藩を分け布陣しました」



「長州は退くべきであった。だが彼らは攻め寄せた」


赤松は常道通りの回答をした。




「長州が描いていた大局の勝利は天子様を萩へお連れするというもの」




「・・・・」



赤松は口を閉ざした。



     「流れは長州の策の通りに動いておりました。


                        数で優る諸藩は動くことなく様子見し、


                                       長州は時を稼ぐ策が順調に進んでいるかと・・・されど」




「されど?」



物語を聴くように赤松は半次郎の話に耳を傾けた。





    「策を、敵陣の中央から食い破った三十足らずの男たちがいたのです」



半次郎の眼が大きく見開かれた。



眼の奥に禁門の変の二刀使いが映り出されていた。




「可兒君。大垣の者たちかな?」



赤松は可兒の武勇伝の噂を耳にはしていたが、


まさか長州兵八百を僅か三十の兵で壊乱させたなどという話は、


戦記で儲ける講談師の悪乗りとしか思っていなかった。

 

何よりも赤松の一番弟子とも呼べる当 の可兒は禁門の変に関して何も語らず

 

1 年を傍ですごしてきたからだ。

 

 

半次郎は話を誇張することや噂で語ることをしない実直な男であることを評価していた赤松は、

 

大垣の 武勇が真相であったことを素直に受け入れた。

 

 

  「禁門の変の戦いに例えます。

 

     我が薩摩は僅か三十の武力。日ノ本を総べる幕府は八百の武力。

 

     三十の武力であっても、勝利する局地の場を見定め戦えば、

 

     三十の力に加担する者が現れ千に変えることもできると思っております。

 

 

     薩摩にはそれを成す力があります。

 

     新しき国を築くために先生に薩摩へ降って いただきたいのです」

 

 

半次郎は両手をつき頭を畳に擦り付けた。

 

 

 

 

「斯様な烈士の戦いは計りようもしれない。ただ私にも守るべき誓がある」

 

 

赤松は腰をあげ、書斎にかけられていた刀を手にし、

 

 

 

鞘から刀をゆっくり抜き始めた。

 

 

 

 

 

動きに殺気は感じないが有馬はいつでも動ける体勢をとるため片足立ちとなっていた。

 

 

抜き放たれた刀の切先が障子の隙間に刺し込む夕陽を浴び光を放った。

 


      「両刀・・・」

 


有馬が発した。

 

 

有馬の言葉に赤松の顔は微笑んだように見えた。

 

赤松の手にした刀は日本刀でありながら、西洋刀「サーベル」と呼ばれるものと同じ切先である。

 

 

西洋刀は合理的なつくりであるが強度は日本刀と比較し脆弱であり

 

近接戦闘を行う戦闘力は日本刀が圧倒的な殺傷力を有していた。

 

 

赤松の両刃の刀は初手が突きから派生する二手目の横凪ぎを与えるには有効かもしれないが、

 

そのよう な剣術での戦い方は例がなく、

 

日本刀の強度を落とし殺傷力を失った代物であり飾り刀の類としてしか見てとれなかった。

 

 



西洋軍学を身につけ西洋のピストルという武器を持った男が、

 

剣のみしか知らぬ古い我らへのあて付けに打たせたと思い込んでしまうようなものであった。




「この刀こそ私の誓『殺活応機』を示す」



両刃の刀を見せながら赤松は語った。





「殺活応機」




半次郎は初めて耳にする言葉である。



「ひとを殺すのではなく活かし機に応じて用いる。


 命の奪い合いではなく、命を活かすことでこの国に 新しき機を創る。


 私は人を殺めるどころか斬ったこともない。


 武士として情けないと笑われてもよい。


 武士が斯様な人を傷つける道具を持ち続けているから争いは治まらぬ。


 世を治めるためには人を導く形は要する。


 それがこの飾り刀じゃ。



 人を導く形とは、私にとっては『議会政治』は出自に捉われず日本 各地から


 人を募り国を話し合いで治めていくためのもの。



 断じて人を傷つけるものではない」



己が目指す理想の国造を言葉で語れる師赤松の存在に半次郎の心は熱くなっていた。


赤松小三郎は兵学者として京にいるのではない。




覚悟を秘めた刀を帯びた武士として、理想の国を築く ため京で学問を以て闘ってきた。


刃に頼ることなく己の信念を貫く強さを赤松が持っていたことに心を 熱くしたのである。





「殺活応機の誓を薩摩に伝えた。


             生涯私はこの刀を鞘から抜く事はない。


 薩摩が武力しか道がないと云うのであれば、私は話し合いで国を造る」

  



暗殺されることを伝えたにも関わらず、


殺活応機の己の誓に反することはしないと赤松は言い切った。



両刃の刀を鞘に収め腰をおろし二人に向け宣誓を読み上げるように語った。



「片付けにまだ
7 日ほどかかる故、


 9 月 3 日に上田に帰郷する前に薩摩藩に世話になった挨拶に伺うと、


 西郷さんに宜しく伝えてください」



図らずも暗殺遂行の密命をうけた期限である。




 「赤松先生。本日もご多忙の中、国造の講義を頂き感謝の言葉もございません。


  半次郎は一命を賭して 先生の目指された国造に向かい進みます」



半次郎は眼を真っ赤に腫らしながら、再度深々と頭を下げ赤松の書斎を退室した。




有馬も赤松という男が弱々しい青瓢箪のような学者ではなく、


己の意地をもった武士であったことに心 打たれた。




「半次郎。惜しかったな」



心は打たれたが、有馬は薩摩のための陰働きを選んだことを伝えたのだ。



「それよりも半次郎。気付いていたか?」



 「ああ。」



「如何に?」



 「黙ってれば良い」




「暗殺の一件を聴かれたのだぞ」


 「いや。これでいい。


  二刀使いは騙まし討ちなどせぬ。

 

              戦うときは正面からだ・・・」




有馬は半次郎の声を僅かに聞き取ることしか出来なかった。



「二刀使い」の悪夢にいまでも憑りつかれているのか理解に苦しむ一面が多かった。




夕闇に京が包まれた書斎での三人のやり取りを聴いてしまった男がいた。


その存在に半次郎も有馬も気付いていたのだ。



偶然に話を耳にしてしまったのは、暗殺の言葉に怯えた野鼠。



大垣藩邸から寄宿へ戻 った可兒が挨拶へ戻った際に、


書斎より言い争う声が漏れていた。



軍学に関する熱弁かと思い聞き耳を立てた結果が、


赤松暗殺の密議を、暗殺者と暗殺されようとされている本人との直接の会話であった。





   「薩摩が。半次郎が赤松先生を暗殺だと」





可兒は世の流れが急激に廻りはじめたことを感じた。


可兒は慌てて寄宿していた赤松の塾を飛び出していた。




  どうすればいい?



     どうすれば。




叫びは反芻していた。




四条通りを駆ける可兒の姿を、市中見廻りをしていた久米部正親が見つけた。



可兒・・・何を慌てている。




遠目にも可兒の動揺は見て取れた。



「見回りを続けよ。俺はあの男を調べる」



見回りをおこなっていた数名の隊士に命じ久米部は可兒を追った。




可兒に追いついた久米部は肩をとめた。

可兒の顔が硬直し青ざめている。


「どうした可兒?

   可兒?」

可兒は膝を落とし、久米部にすがりつきながら



  「薩摩が。半次郎が赤松先生を暗殺する」




「半次郎?


    中村半次郎か?」




久米部は薩摩藩士の動きはとくに厳しく監視していた。



京における討幕の機運は高まり新撰組や京見廻り役による市中見廻りは


諸藩脱藩した不逞浪士の取り締まりは厳しさを増し、


なまくらに揶揄されたように、新撰組は血に飢えた獣のように浪士を狩る日々 であった。


それでも薩摩の動きは見えなかった。




「可兒、半次郎らにお主のいたことは気づかれていなかったか?」




  「おそろく。赤松先生も、半次郎も話に集中していた。」



新撰組幹部へ監察としての役を果たし事の次第を報せるか。



しかし新撰組と言えど薩摩藩藩士を直接改 めることなど許されず、


手法を誤れば、公武合体か討幕かで態度を表明していない薩摩の出方を左右し、


京に再び業火をもたらすことになる。



師である赤松暗殺が何を意図するものか、


屯所へ「赤松小三郎私塾周辺にて不逞浪士に不穏の動き有内 定を勧める、近隣の見廻りを」と、



薩摩の名を出さずに新撰組幹部報せ赤松私塾周辺の見廻りという手段での警備を


厚くさせ暗殺を容易にはさせぬ手を打ち。



半次郎らの動きを追うことにした。




赤松、半次郎、可兒、久米部、


        そして、なまくらの、点と点が重なり、



語られることのなかった半赤松 小三郎暗殺を巡る死闘が幕をきったのである。




~三手 幕薩一和~ 終幕