五手 一死必殺 六の弐


「可兒!

 小宮山の探索は如何になった」





小原の怒声が響いた。




 「小宮山殿は只今連れ戻しました」




黒い短筒、茶色の袴は血によりその色は漆黒へと変わっていた。



「よくぞ連れて戻った。


 小宮山には詮議したきことがある。中へ通せ」



 「されどもこのままでは」



従者は利之助の姿をみて口をきいた。



「貴様は藩のために命を懸けた者の血が、身分の差によって、汚いとでも申すのか?」 



「いえそのようなつもりは」



 「目を見開き見よ!


  己らが安穏と士分のまま過ごせたのは、斯様な男たちが陰で血を流してきたからだ。


  血の重みも知らぬ輩はこの血の一滴たりとも漏らすな。


  血を漏らせば貴様の首を撥ねる」




小原は従者の顔を血で染まる戸板に押さえつけ怒鳴った。


この声は藩邸の身分の差に関係なくすべての 大垣藩士が耳にした。



利之助と利之助を抱え走ってきた有士隊は畳敷きの間に通され、


それらを囲むように在京の大垣藩士は座した。



久米部は利之助の窮地を救った功労者でもあり


藩邸の部外者でありながらも同席を許された。




 「目を開けよ。

  役目を果たせ饅頭同心・・・」





口にした小原は声にならぬほど震えていた。




「目を開けよ。

        利之助。


 儂を隠居、隠居と小馬鹿にした貴様はどこにいった」



小原は家格で七百五十石、利之助は十石と明確な身分差はあったが


二人の間に奇妙な友誼があった。



利之助は藩老である自分をどうみていたかはわからぬ。






小原は十歳程度しか歳の違わぬ利之助との城下で 過ごす時間が好きであった。







         「ご隠居・・・」




唇が僅かに震えた。




「利之助!!」



「利之助さん」



「隊長!」





複数の声が一堂に一人の男の声に反応した。




 「そうじゃ。


       儂じゃ。ご隠居じゃ」





          「ご隠居、相変わらず勝手が過ぎますぞ」





京へ来たことを利之助はさした。



 「饅頭ばかり食って役目も致さぬ身勝手なお前にいわれたくないな。



   よくぞよくぞ・・・」






皆、利之助が命を取り留めたと思った。




「利之助さん、貴方に会うために幸様が来ておる」



幸は血に染まった利之助を見てから脇から離れることひと時もなかった。


だが一言も声をかけることも出来ずにいた。


父にかける言葉がみつからなかった。




        「幸・・・様か。


         そうであった、仇を討たねばならなかったな。


         斯様な姿であるが勝負は出来る。


         誰ぞ 俺の刀を・・・」



動くことのなかった利之助は身を起こそうとした。



    「父上様!


       違います。」






幸がはじめて声を発した。




     「鉄心様より叔父上のこと伺いました。



      父上様にお詫びを申し上げなければならないのに・・・」




         「父などと


             何を申しておるのか幸様。


                     さあ仇を・・・」




幸は血に染まった利之助を抱きしめた。



      「父上様、私は、私は、」




幸は言葉にならなかった。



小原が利之助に首を縦に振り真相を告げたことを無言のまま利之助へ伝えた。


利之助は父として幸を包んだ。



          「幸。


           おまえから幸せを奪った父を許すことは頼まぬ。」




       「はい」




幸は利之助の手を握った。 



幸の小さな手を握りながら、藩老小原に向け語った。




          「この手が刀を握らなくて良い世。


         新しき国造りの約束守っていただけますか」




小原は利之助に「国を守る刃となってくれ」と有士隊の役目を伝えた時に、



利之助と交わした約束があった。




「武士が面子のために刀など振るわなくて良い太平の世」であった。



利之助が赤松の「殺活応機」を聞き届け暗殺を阻もうと闘った真意は、



小原、山本、利之助の三名が若 き日に黒船に揺れる日本国にあって


大垣の平和を願い立てた誓「鞘の理」であった。



幸を見つめ利之助は擦れた声を振り絞った。




           「お前は決して刃を手にしてはならぬ。


                 最期の父の頼みだ。



                     きいてもらえぬか?」



       「父上・・・二階堂の流派は?」




           「流派の理が残る。


              ただお前が笑って生きてくれれば・・・」




            「鞘の真の理・・・」





利之助はゆっくり頷いた。





            「久米部お前の答えは?」




間に控えていた久米部に声をかけた。



「生涯己の私怨で刀は扱わぬ。治世を守るためにのみ用いる。」




久米部が誓った。



涙を堪え身体を震わせいた可兒に声をかけた。




            「可兒力及ばずかたじけない。


なまくらだ。


赤松が築くこの国の行く末を見届けてくれ」



利之助の声に堪えきれず涙がこぼれた。




    「生涯を賭して戦場で国の盾となり闘います。」




可兒は誓いをたてた。



小原は利之助がそれぞれに遺していく言葉のひとつひとつを受け止めた。




               「ご隠居、私の刃はやっと納まりました」





利之助は幸や小原、周りの者皆に見えるように白い歯を見せた。




次の瞬間、


その手は静かに幸の手から





離れ静かに床に落ちた。




            「お父様!!」





幸の声だけが響いた。





小原、可兒、久米部、有士隊の皆々は

             血が滲みでるほど強く己の拳を握りしめた。





ひとりの烈士がこの世を去ったのである。



その顔は烈士として戦う前の顔、


    大垣で見せていた優しい饅頭同心の顔であり安らかであった。







「隊長の仇討。薩摩と一戦じゃ!」




有士隊が涙を振り払い叫び立ち上がった。




      「なりません!」



幸がまだ温かい父の亡骸を見つめながら叫んだ。







  「なれど・・・」




可兒は苦悩した。



利之助が命を懸けてまで救おうとした赤松小三郎を


救わねば利之助の戦いが犬死のように思えてしまう。



      「父は何故大垣の士分をお返ししてまで闘ったのか。


       父の覚悟を無駄にしないでください。」



  「ならばこそ。


   赤松先生の命をお救い申し上げるのが・・」 

 

 

幸の言葉の意味も利之助の想いもわかっている。

 

 

有士隊は事の顛末の始終を知っているわけではない。

 

 

薩摩藩士と命を懸けて闘ったことのみ。

 

 

 

 

 

利之助の想いも覚悟もしらず、なまくらと蔑んだ自身の心が許 せなかった。

 

 

自身の怒りのやり場が薩摩との戦いへと心を向かわせていた。

 

 

 

 

可兒や有士隊を制するように

 

         幸は踵を返し両手を畳につき頭を擦り付けた。

 

 

 

 

 

     「脱藩した父が起こした所業の叱責は

 

             すべて娘の私がお受けいたします。

 

 

 

      浪人の身故、

 

      大垣は父を討つ理由はあっても責を負う理由は一切なきと存じます」

 

 

幸の凛とした態度に皆が心をうたれた。

 

 

 

父を失いながらも気丈に振る舞う姿、

 

何よりも父が授けた鞘の理を果たそうとしたその姿にである。

 

 

 

幸の想いを受け止めた小原が口を開いた。

 

 

  「可兒、

 

   貴様は私心に捉われ他藩の士を警護すべく有士隊の者を騙し

 

   

     煽動した不届き者である。

 

 

 

   今より 赦しあるまで謹慎と処す。

 

   

 

   裁きは大垣で致す。

 

 

 

 

   大垣までは他藩のもとと脱走を企むことなきよう

 

            有士隊 十二名の見張りの警護をつける。」

 

 

 

 

 

大垣城下で謹慎。

 

 

実質、薩摩に可兒の首を渡さぬという小原の意思の表れであり。

 

可兒と共に薩摩とことを構えた有士隊十二名は

 

可兒の警護を担わせる役目を与え大垣へ帰郷させる。

 

処分はなしと同じである。

 

 

一件に関わった者への小原鉄心のあまりに寛大な処分であった。

 

 

 

 

可兒は赤松小三郎と二度と逢えぬことを悟り心の中で師の冥福と、

 

 

師が目指した世の中を造るために生き抜くことを自身に誓った。

 

 


  「相わかりました」

 

 

 

可兒は平伏した。

 

 

 

可兒の処分を言い渡した小原は両手を握りしめ声を振り絞った。

 

 

 

  「なまくらは、こともあろうに藩主様のご大恩を仇で返し脱藩した男。

 

 

   なまくらがどこの誰と揉めようと大垣とは一切かかわりなきこと。

 

   剣術指南山本の姪が一件に関し口を出したようであるが

 

 

   斯様な事実 は大垣にはない。

 

   

   金輪際、

 

       なまくらのこと語ることのこれ一切を許さぬ。」

 

 

 

幸が薩摩と関わることも、

 

薩摩から詮議を受けようとも大薩摩に応じることはないと

 

 

小原は己の決心を 語った。

 

 

 

 「だが!

 

     己の命と引き換えにでも大切なモノのため闘った

 

 

 

      大垣の鑑

 

 

     と謳うべき侍がいたことは決して 忘れてはならん!

 

 

                         よいな」

 

 

 

 

藩老小原が友とも呼んだ利之助を失った哀しみと怒りを堪え、

 

 

 

娘が父の責を一身に受けると平伏したままである。

 

 

 

 

 

二人の悲痛な想いが居合わせた男たちに伝わった。

 

 

 

 

 

 

「大垣の武の誉れ小宮山様への今日までの非礼の数々お許しください。」

 

 

 

 

 

 

居合わせたものすべてが利之助に平伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ひとつの時代の終わりを戦い続けた烈士の最期を

 

 

                 みおくった者たちが

 

 

 

 

               新しい時代の到来を迎える渦中、

 

 

 

 

 

 

 

                   誓いを果たす為

 

 

 

 

                それぞれの路を歩んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五手 一死必殺終幕