五手 一死必殺 三


「明け六つ」



宮の口の小路に腰かけて半次郎を待つ利之助は浪人風体ではなかった。





禁門の変の際に身につけていた装束で腰に脇差をさし愛刀は右手に抱えている。



無銘であるが二十年共 に闘った愛刀である。





鞘は傷だらけであったが刀身は刃こぼれもなく手入れがされていた。



夜明けを迎える宮の口の小路には朝日を浴びながら


生命力にあふれる紫陽花の花が一面に咲き誇って いた。



紫陽花で両脇を飾られその支柱のように高く垂直に伸びる杉林の中である。



紫陽花の小路を抜け町へはいるためには橋を渡り主を失くした寺の山門を抜けねばならない。






薩摩藩士が秘密裏に京を離れる際に使用していた古道である。



この時期になると紫陽花が咲き誇ることから薩摩の者たちは紫陽花小路と名付けていた。






薩摩の刺客を利之助ひとりで迎え撃ち敵が応援を呼ぶことや逃げることを許さぬには、



出口と入口が山 門と橋に限られ横幅も狭きこの一本道。



紫陽花小路しかないとこの場を決戦地と定め利之助は夜明けを 待っていた。






半次郎が動くのは赤松との約束の日である九月三日と烈士の勘がそうさせていた。




禁門の変においても 利之助の勘は的を射ていた。





長州兵は宵の刻には動き明けと共に攻撃を仕掛けると。



その先手を取り長 州を壊乱させた。





あの時、利之助は一死必殺の禁忌奥伝を操った。








 それは何かを守るためでも誰かの為 でもない、


                      ただ死にたかった。





死ぬために命尽きるために闘った。




紫陽花の囲まれた利之助は死ぬために闘うことなどは考えていなかった。



労咳で残された時間など僅か。



僅かな時間の中、「新しい世を託したい」と思える人物に出会えた。




その者が斬り合いなどない字時代 をつくる歯車となりまわるのであれば、


己は剣を必要とした時代を終わらせる歯車としなる役目と思い定めた。






宮の口に腰を下ろしてから現代の時間にして四時間ほど経過したか。




月の綺麗な静かな夜であった。



月に満たされながら脳裏に笑顔でいたころの幸との思い出が過ぎる。






共に身分の差を超え苦楽を共にした藩老小原鉄心や師山本、


そして亡き妻のことを思い出していた。


「きみに似て幸は綺麗で凛とした強い子に育っている。俺と違ってしっかりもしているさ」 



「あの子には何もしてやれなかった悪い父親だ。


                      鉄心様が付いていてくださる。


 きみと先生を守れなかった俺だが、もう一働きしたら逢いに行くから」



病で死期が迫ってからもこのように懐かしく想い出に浸ることなどなかった。



病による死が己を裁くときを待ち続けてきた。




その自分が愛おしい人たちの想い出の中にあることが不思議であった。



これからここは死闘の修羅場と化す。



その修羅場にそぐわない、紫陽花の香に心の安息 とでもいうべき想いの中に包まれていた。






月明かりに照らされた利之助の安息の時間は終わった。






編み笠を重ねた者が数名と特徴ある顔の男が橋を渡り現れた。




中村半次郎ら薩摩藩士である。



利之助は冷静に数を数えた。




先頭を歩くのは中村半次郎、後に続く男は河原で見た覚えがある有馬という男。


残り四人は編み笠をかけていた。


編み笠から長髪が零れる者も見えた。



中には二〇歳程の面もちの者までがいた。



赤松暗殺に 向かう刺客の数は半次郎、有馬を入れ六名。



利之助は可兒より伝え聞いた数よりも四名も多い。




利之助の推測も外れていた。





刺客を送り込むには目立たぬように三名から四名ほどで動く。



利之助も有士隊を率いて強襲を仕掛けた時の隊編成は四人一組 としていた。





 病んだ身体、刀を二年振るっていない腕、遥かに多い数。



 ひとつも勝因は利之助にない。


 

   勝因はない。




勝因などは端からない。



闘う者の勝因は常に闘いの中でしか見いだせない。




敵が多くとも 刃を合わせる瞬間は一対一となる。



刃を合わす一瞬に気を集中するだけである。




余計なことを考えた時 に命を落とす。



気を抜くことが出来るのは戦場から刃が消えた時だけである。


それは亡き妻が命を以て 利之助に教えてくれた理であった。



病んでいる利之助であるが剣客としての眼は健在であった。



歩く歩幅と足の運び、その重心からそれぞれの間合いを図った。





剣術において間合いは、ひとつの領域を乗り超えた者たちが身に着ける距離感である。



この距離感を誤ることがなければ負けることはない。



負けるとすれば敵とした相手がより広い間合いの外から討ち込んだ技か己の慢心かである。




間合いを一瞬で詰め込む禁忌奥伝の突き。


長刀での突きが長さから有利である。



敵が有利と感じる敵の間合いを利用し一気に間合いを詰め懐に飛び込む。



零にまで詰めよることに より敵は懐に脇差を突きいれられる。



禁忌奥伝は複数を相手にしてもその殺傷能力を落とさない技である。



それは複数の敵を相手にしても己の長刀は斬撃を受け流し、


敵の脇差によって敵の命を奪うことに よって成し得るものであった。




一対六の闘いであるが利之助には禁忌奥伝の左が残っている。


奥伝の技を見て存命の者はいない。


利之助はそう思っていた。



またここにひとつ憶測が外れていた。



中村半次郎の存在である。



利之助は禁門の変での戦いの一部始終を見届けた男が


刺客として相対するとは思いもよらないことであった。



一死必殺の非情の剣と悪名を背負う覚悟を誓った剣が刃が抜き放たれようとしていた。



半次郎ら一行が利之助の存在に気づくことなく宮の口を過ぎ、


山門の入口に向かう際に退路の橋を塞ぐように利之助は立ち上がり、後ろから近付いた。




利之助は人数で圧倒的に不利な状況であるにも関わらず後方から奇襲を仕掛けず、



両手を広げて一行の 棟梁であろう半次郎に向け叫んだ。 




   「薩摩藩士中村半次郎殿一行とお見受けいたす。



    某一介の浪人であるが赤松小三郎殿の命を守るためそ の命貰い受ける。



           ・・・命が惜しくば我の横を抜け、来た道を引き返せ」




紫陽花小路に人が潜んでいることに気付かなかったことに一行は先ず驚いた。




驚きも束の間、潜んでいた者の目的が、刺客が狙う人物を守るために現れた刺客であったことだ。





内通者でもいなければここを通ることなどわかるはずもない、



有馬は半次郎の顔に一瞬目をやった。



半次郎が赤松を逃すために売った芝居であるならば六名に対して一名では説明がつかない。



ならば一人 で潜んでいた者の正体は。




その疑問は同行した一名の根古屋が払った。



「何が一介の浪人だ。大垣のお荷物のなまくら様じゃねえか。」




大垣の名を耳にして有馬に戦慄が奔った。



「お荷物過ぎて大垣藩を追い出されて浪人になったんだろ。



  金に困って人斬り稼業ってわけかい」




「どこまでも見下げた男だな」




赤井は一言で吐き捨ててた。




他の藩士のなまくらを蔑む声は有馬には届かない。




三条河原の大垣藩士をなまくらと呼んだのは半次郎が初めてのはず。



あの時半次郎は禁門の変の雄二刀 使いに拘っていた。



だがなまくらと吐き捨ててから二刀使いの事は口にしなくなった。





半次郎が拘った二刀使いが大垣の刺客として立ち塞がるとしたら、



半次郎が赤松を逃すために可兒と計 ったことか。




有馬の中を考えが過ぎり、


半次郎より半身前になまくらに近い有馬は半次郎の出方を伺うために


前のなまくらだけに集中できなくなっていたが


嘲笑う藩士の気を引き締めるために有馬は声を発した。




「なまくらとなめてかかるな。念流の使い手だ」




半次郎は前の前にいるなまくらの正体をしっている。



二刀使いと謳われた大垣きっての剣士であり念流 の流れをくむ流派で


二階堂平法の奥伝まで用いる剣腕を持っていることも。




有馬は半次郎の声を待った。



「使い手?なまくらが?」



根古屋が改めて笑って見せた。



笑いにつられ半次郎と有馬以外は皆なまくらが使い手などと笑った。



先程まで晴れていた空に霧のような雲がかかりはじめていた。





薩摩藩士の嘲笑を無視し利之助は半次郎に向け叫んだ。




    「薩摩は民も加わり話し合いで国の礎を築こうとする赤松を討たねばならぬ!!」




嘲笑を吹き飛ばす一喝であった。


場は怒りに変わっていた。




    「赤松は薩摩の内情など話さぬ。


     ただひたすらに幕府と己らの懸け橋となり、


     話し合いで国をつくろうとしているのではないか!」




重い空気の中、半次郎が両手の拳を強く握りしめたまま叫び返した。



 「なまくら!


  知ったふうな口をきくな。


  お主はその剣で何をしてきた?薩摩には薩摩の目指す世がある!


  人が私を悪鬼と蔑もうとも、私心も情も捨て、ただひたすらに宿命を貫く」




    「半次郎!

         赤松は師であろう。




      赤松の佩刀に込められた志に何を学んだ。


      半次郎!答えよ!!」



 「なまくら!!

        問答など無用じゃ。」





     「半次郎!!  赤松を斬るな!!


                  半次郎、お主も凶刃に彷徨。」




  「おまえも儂も野心無き者。


   鬼と化して剣を取れ!!

               わしが歩む路を阻むこと、もはやできぬ」 






半次郎の声が師山本の闘いを思い出させた。




心の中に「生きるために剣をとれ利之助!!」山本の声が 響き渡った。






    「生きるために・・・悪名を背負う・・師に授かった答えは」





幸の顔が脳裏に浮かび目を閉じなまくらは呟いた。




    「鞘の理。



         殺活応機。



     新しき世のため悪鬼となり、生きるために剣をとる」



眼を見開いた利之助は


 一直線に半次郎を見据え刀を両手で正面に構え、


                   ゆっくり抜いていった。






抜き切り左手に持っていた鞘を一度強く握るが、





左手から鞘が離れていく。






鞘が古道の石畳みに堕ち乾いた音が一面に響いた。









響き渡る音を合図に利之助は六名が密集する古道の中央に、



長刀を突出しながら斬り込んだ。




      「おおおおおおおおおおおおおおおおおお」





心を収めていた鞘を放り投げ、




刃は雄叫びとなり紫陽花の古道に響きわたった。






「なまくら風情が!!」






と赤井が叫んだ。



示現流の一刀で勝負をつけようと迎え撃つために前に一歩でたのが洗馬であった。




なまくら、利之助は右足で石畳を蹴り前に跳躍した。