三手 幕薩一和  一の壱  


1 大垣城下



中村半次郎は西郷の腹心として薩摩と京だけではなく、



江戸へ使いに走ることも増えていた。


奔走することで脳裏に焼き付いた二刀使いの眼を振り切りたかった。





ただ床につき目を閉じ休もうとすると、



五感が狂ったかのように、


硝煙の臭い、飛び交う怒号、喉の渇き、切り裂かれた血飛沫、痛みに似た感覚に襲われる。





闘い抜き命を燃やした男が脳裏から離れない。



二刀使いの悪夢に魘されていた。





寡黙に振るい続けてきた己の剣が二刀使いにどこまで通用するのか?






半次郎は夢の中で二刀使いと決闘をする画を見ていた。




 凍えるように冷たい眼に睨まれ、


  とんぼの構えから必殺の一撃を打ち下ろしても、



  刃を交える前に清流の水のように流され、


    水が激流となって




          半次郎 を突き刺す。




半次郎は玉水のような汗をかき飛び起きていた。




  「二刀使い・・・」




半次郎は呟いた。




半次郎は夢に魘されるたび布団には戻らず薄暗い夜明け前であっても鍛錬を行った。




己が新しい時代を 築く刃になるために盲目なまでに剣を振り、



恐怖と共に脳裏に焼き付いた二刀使いを斬り払おうした。





夜明けを告げるように半次郎の気勢が放たれ、


気勢を合図に藩士たちは朝を迎えるようになっていった。



藩士たちは


「半次郎の一刀は夜明けを告げる一閃じゃ」


と、薩摩が迎える新時代の一閃を半次郎が担うことを知っていたかのように語り合っていた。




二刀使いの隊に揚がった九曜紋は間違いなく大垣藩。




京で二刀使いの噂は風聞とされ、


二刀使いの姿は 神隠しにあったように京からその姿は忽然と消えてしまった。


大垣藩邸ではこの男の情報を漏らさない。



大垣藩邸に張り付いて動向を探ったが出入りをしている様子もない。




毎日のように新撰組隊士がひとり訪れてくるだけだった。

  





 「禁門の変で負った傷で命を落としたか?」




半次郎はその疑問をすぐに自身で打ち消した。



 「あいつは生きている。どこに隠れている二刀使い!」




拳を握りしめ自身の中に沸いた恐怖に怒りを堪えることができなくなった。





江戸の薩摩藩邸への使いを勤め京屋敷へ戻る道中に、半次郎は意を決した。



「大垣の者ならば知らぬはずはない・・・」


あれだけの剣を操る者が城下で無名なはずはない。



せめて名だけも知りたいと大垣城下での滞在を決めたのだ。




大垣は東海道からも中山道からも美濃路へつながる交通の要衝であり


内陸でありながらも水運が盛んで城下の賑わいは10 万石の小藩とは思えぬほどである。



大垣は戦国時代東西決戦の関ヶ原で西軍を指揮した石田光成が西軍の拠点として構えたが、


野戦での決 戦で一夜にて壊滅した。



徳川幕府開府後、藩主が入れ替わり家康公の近習を勤めた戸田氏鉄が入城してから


現在にいたるまで戸田氏が治めてきた。




大垣城下では藩主は江戸詰めとなり、


禁門の変で指揮を執った藩老小原鉄心が治めていた。




城下での藩老の評判は領民から評判は悪くなかった。




この時代、領民からの評判は悪化する世でありながら珍しく、


大垣の抜刀隊で奇襲を仕掛けさせるなど治世だけではなく


用兵にも優れた傑物であるのであろうと半次郎は城下を歩いていた。





小原の名はすぐにわかる。


だが一番知りたい「二刀使い」の噂を耳にさえしなかった。




華やかさはないが剣術指南役が 4 名もおり、更には兵学を教えるものまで、


文武両道にて名よりも実を取る実戦向けの藩政を敷いているように思えた。




剣術指南役を直接訪ねることは何の紹介もない半次郎 には無謀であり、



大垣藩士に聞くことさえ怪しがられ調べがはいるかもしれない。



危険を冒すことは薩摩藩士である限り許されない。


半次郎に出来るのは城下で聞いて歩くことが関の山であった。



 「大垣城下で二刀の使い手を知らぬか?」



大黒屋と書かれた旅籠の丁稚に聞いてみたが



「二刀?お侍さんはみなさん二本の刀をさげてますから」



と、聞きたいこととまったく異なる答えが返ってくる始末。


半次郎はいてもたってもいられずに数日大垣へ滞在し、


「二刀を操る剣豪」


を訪ねて回った。



茶屋で出された男が


「二刀の剣豪?」



 「知っておるのか?」


半次郎は括目し男に近づいた。



「いえ知っていると言いますか、


 大垣には、二刀を用いる剣術指南役の先生がおりましたが、


 昨年、天狗党の残党に襲われ命を落としております」



  「では大垣には二刀をあつかえるものはおらぬのか?」



「門下生で師範代を勤めた小宮山様ならば・・・」




  「小宮山?」



「小宮山様のことでしたら、ほらあちらの饅頭屋の女将が一番にしっております。


 この宿場では饅頭同心と呼ばれた方ですから」




  「饅頭同心?」



半次郎は困惑した。



冷たき眼の男と饅頭など人のうわさなどあてにならぬと聞かぬことにした。



大垣城下に滞在して既に三日。




道中を旅する物が宿町に数日続けて滞在するのは、


宿での待ち合わせを 約束しているほかその先に支障がない限り珍しい。 




大黒屋の主には美濃路で人を待っていると話をしてあるため、滞在は怪しがられることはない。



人待ちの田舎者が物見遊山に城下をふらついているだけとしか思われていない。




余り時間をかけることは許されない。


路銀だけではなく、京では次の役目がまっているはずだからだ。




身勝手な振る舞いを好まない半次郎は己の矛盾を抱え


あと一日歩いて手がかりがなければ諦める心づもりで歩いた。



「いい城下でありましょう?」



大黒屋の丁稚が語りかけてきた。


 「そうだな」


端的に応えた。



「あっしがここで世話になれたのも饅頭同心と呼ばれたお侍さまのお蔭でしてね」




饅頭同心の名を聴くのは二度ではない。



宿場の中では知らぬ者がおらぬほどの優男でとても剣豪といえるものではないと口々に言う。


 「饅頭同心?」


またかと、半次郎は漏らした。




「へい。金蝶屋で饅頭ばかり食べている方でしてね」



「なんでもスゴ腕の剣を使うと聞きましたが、


 一度も刀を手にしている姿をみたこともなくてですね」




べらべらとしゃべる丁稚であったがしばし耳を傾けてみた。




「あっしが賭場に嵌ってカカアを借財の変わりにヤクザもんに持っていかれそうなときに


 金を工面しようとこの大黒屋さんにあっしが押し入りまして。」



 「おまえの不始末ではないか」




半次郎の言うとおりである。



「へい。その通りなんですが話はあっしのことじゃなく

 饅頭同心と呼ばれたお侍さんがすべて丸く収めてくださって、

 更に働き口まで見つけて下さったんです」



  「事の顛末を知らんのか?」



「へい。カカアが奪われて錯乱していたんですが、

 一夜明けてみたらカカアを連れて饅頭同心が帰ってきたんです」



  「面妖な・・その饅頭同心とやらはどのような方であったのだ」




「それはもうただの優男にしかみえないぐらいでした」



  「でした?」



「はあ。お役を解かれたとか・・・」




半次郎は優男に興味はなかったが借財を踏み倒すことなど赦すことないヤクザもん相手に


優男風情の剣腕しかもたぬ饅頭同心がどう立ち回ったのかは不思議と興味がわいた。



どうせ京へ戻るならばひとつぐらいの土産話が合ってもいいと思ったのだ。



足は大垣城下の美濃路の中 心に位置する場所に立つ金蝶屋と書かれた饅頭屋に足が向いていた。




町の噂を聴けば井伊掃部に仕えていたが、



 井伊掃部が桜田門で殺害され彦根より大垣へ戻ったところを藩老の小原が手伝い暖簾を出した



という饅頭屋らしい。




饅頭同心の由来は日柄務めもせずに饅頭を食べながら茶を飲んでいたからだそうだ。




「この動乱の時代に呑気な奴だ」



半次郎は口にしながらも金蝶屋へ足を延ばしていた。





暖簾をくぐると甘い香が鼻を喜ばせた。 





「饅頭を頂けるか?」




半次郎は甘い香りに誘われ普段は口にしない饅頭を頼んだ。



女将ひとりで店を賄っているのか。


饅頭を用意する女将以外に姿はない。



「ようこそ。大垣名物と云われる饅頭です」





女将は自信ありげに茶と共に饅頭をだした。



半次郎は一口で頬張った。



「旨い」



女将は半次郎の率直な反応に思わず吹いて笑ってしまった。



半次郎の顔は一気に紅潮した。


紅潮ぶりをみて女将は美しき所作で半次郎に


「お武家様に対してご無礼 を致しました。お代はお返しいたしますのでご容赦ください」



  「旨いものは旨い。名物を味わい損ねたことを恥じただけじゃ。


    女将!もうひとつ饅頭を頼めるか」



半次郎の実直さに女将から笑みが零れた。



二つ目の饅頭が出てきたところで半次郎は切り出した。


  「この城下には饅頭同心と呼ばれた侍がいたとか?」



女将の顔が一瞬にして強張った。


半次郎は何か悪いことでも聞いたかわからなかった。わからないこと を口にしてしまう。



   「女将。なんぞ嫌な想いでもさせたか?」



「いえ。寂しいのです」



   「寂しい?」



「あの方がこの城下から戦場へ出て行くようになってから」




   「饅頭同心が戦?」



「饅頭同心と云われますが、あの方は見事なお侍です。


 大垣で 1.2 を競うほどの剣腕の方。


           鞘から刃を 抜けば確実に相手を殺めることになるからと。


 饅頭同心と呼ばせた優しき方です。大垣領民の為と戦へと出かけて行かれました」



饅頭屋の女将の声が乱れた。





   「旅の者故、斯様なことも存ぜず、女将の傷に障ったこと赦せ」



「戦が無ければ、あの方も命を落とさずに済んだ・・・」



半次郎は思い出した。



薩摩藩の実戦は禁門の変以降であるが、


大垣藩は和宮下嫁、天狗党と相次いで実戦を積んできた数少ない幕府方の藩であったことを。



実戦が重なれば落命をしたものもあっただろう。




女将の想い人も藩命に従い命を投げ打ったのだろう。


短慮を恥じた。



「いいえ。姿形も言葉も違うのに、懐かしい雰囲気をお武家様に感じてしまって」



  「武士として戦ったのだな」


女将は静かに頷いた。



 

  「大垣の士は皆、斯様な勇ましき男たちなのだな」


半次郎は二刀使いの男を思い描いた。



「藩老様が命じて作られた斬り込み隊の方々は特に・・・」





女将の言葉に半次郎は驚愕した。



  「斬り込み隊・・・」




「京で戦頼むは大垣とまで謳われたのもあの方たちの尽力あってのこと」 



  「女将、俺は京で斬り込み隊の戦をみたのだ。

 

       斬り込み隊を率いた者にあって話がしたいのだ」



「有士隊を率いた山本様は大垣城下で亡くなりました。」





斬り込み隊は有士隊というのかと半次郎は始めてしまった。



   「禁門の変・・・いや京で大垣の斬り込み隊は誰が率いたのだ?」





「多分・・・剣術指南役の高弟で町道場の師範代をお勤めになっていた小宮山様」



   「小宮山・・・その男は二刀を自在に操るか?」




「お武家様。私は饅頭屋の女将にすぎません。


  ただ貴方さまがお聴きになった饅頭同心が小宮山様でご ざいます。」





   「饅頭同心が・・・」




「お武家様は小宮山様のことをご存知なので?」




   「いや京で起きた戦場で戦う姿を見て、

     この時代にあのような武人がおることに驚き会って話してみた かったのだ」



「左様でしたか、小宮山様は大垣城下ではお侍さんなのに威張りもせずに

 

    気さくに町民の面倒を見てくださった方、

 

      戦働きなどよりも民の暮らしを守ることを願って・・・」



女将が苦しそうになってきている。




        「女将、最期にひとつ尋ねたい」




「なんでございましょう」



        「小宮山殿が剣術を教えていた町道場はどこにあるのか?」



「いまは・・・」




         「小宮山殿が不在で門を閉じたのか?」




「いえ。そうではないですが。お武家様は小宮山様の京での戦いを見届けたのですね?」



女将は小宮山と呼ばれた藩士が討死をしたと思い込んでいる、



半次郎は饅頭同心と呼ばれた小宮山と、


二刀使いの男の接点ははっきりとしていなかったが勘が騒いだ。



       「大垣の斬り込み隊が僅か三十ほどの数で長州と戦い幕兵を動かした。


                 大垣の者たちの活躍あっての勝利であろう」



素直な感想を述べた。



「そうですか」




女将はうっすらと浮かべた涙を拭い


「ここへ行って、彼らの戦いの話。道場を守っている者に報せてやってください」




道場の場所と饅頭を包み半次郎に手渡した。



半次郎はほのかに暖かい饅頭を抱え城下のはずれにある道場を目指した。