二手 なまくら 三


3「二刀使い」



もうひとり禁門の変で二刀の使いを見つめていた男がいた。



薩摩藩士中村半次郎である。



中村半次郎は長州の暴発を抑え、


撤兵を求めるために密使として伏見へ向かう竹田街道を蛤御門に


終結した薩摩兵から離れ小数を率いて駆けていた。


半次郎は、剣術道場にさえ通えぬ禄などないに等しいほど貧しい薩摩の下級武士の出自であるが


士分で あることにかわりない。



士分としての誇りが、独学で示現流を会得し、独学であったが為、


示現流の使 い手の中でも異端の扱いを受けたが、


寺田屋事件を境に隆盛を取り戻した薩摩藩の指導者のひとり西郷 隆盛の覚えも高く


受けた密命は必ず成し遂げてきた。



密命を成し遂げることができたのは


会得した示現流と自身で学んだ兵法書に書かれている用兵術であった。



半次郎は文盲の人ではない。



卓越した知識人であったがその剣腕が時代に必要とされ、


知識人としての生き方ではなく、西郷隆盛に 刀を預け、忠義を貫く道を選んだ。




人を斬ったこともある。


だが実際に殺めたことはない。




寺田屋事件で藩主斉彬様が薩摩のために決起しようとした藩士を


上意として暗殺する際に半次郎の剣腕を求め上 役より声がかかったが、



半次郎は暗殺を拒絶した。





上意討ちである主命に背いた罪で投獄された。



半次郎は仲間を斬り捨てるぐらいならば投獄されていたほうがいいと感じた。



半次郎は身分こそ低くとも西郷が語った国への理想を実現するために、


盲目なまでに剣術の修行に励み、 戦うための知識を重ねた。





それが味方同士の醜い闘争に使われることを拒んだ。





半次郎の心は純朴であり過ぎたのだ。


純朴であるがゆえに、決めたことを曲げない。




曲げれない男へと 成長し、西郷隆盛に最期まで殉じていく生き方を選んでいくのだった。




復権した西郷の手によって牢から出ることが叶ったが、


いまだに寺田屋事件について半次郎の心の中に



「下級武士は使い捨て」



という上級藩士への憤りと怒りが燻っていた。




だからこそ長州兵と蛤御門で戦う事よりも


西郷の密使として長州兵とつなぎをつけること役を選んだ。



同行した藩士は半次郎のほかに有馬藤太と洗馬と呼ばれた三名。




洗馬の剣腕を半次郎は知らないが、有馬の剣腕は評判が高いことをしっている。




一九歳で一流派の免許 皆伝となり、


得意とした居合術では薩摩に並ぶものなしとまで云われる腕である。




西郷も高くその腕を評価していることを半次郎は知っており、


いざ斬りあいになっても有馬と自身がいれば斬りぬけることは可能であり、


洗馬は脚が速いこともあり、西郷とのつなぎをつけるために伴って いた。



半次郎らは、戦端が開かれる前に福原越後のもとにたどりつけるはずであった。





「敵襲!!」




の怒号が先の長州兵の陣営より飛び交っている音が響いてきた。



「敵襲だと?


   まさか。幕府方に伏兵を差し向け奇襲を狙えるような度胸のある家などあるか?」



まさか幕府方より仕掛けるとは半次郎は思っていなかった。



雄に逸った行動ならば短慮すぎる。


「半次郎・・・わからぬが奇襲を仕掛けたのは間違いないだろう。


    間に合わなかったのだ。引き返すべきだ」




戦端が開かれたならば半次郎の帯びた役は既にないに等しい。



有馬の冷静な言に従うことが正しいであろう。




半次郎はどこの手の者が仕掛けたかを確かめ、薩摩の指導者へ知らせることに重きを変え、


洗馬に短く命じた。




「洗馬!走り探れ」




響く怒号からすぐ間近で起こっていることを悟り駆けた。


乱れる長州兵が見えた。




薩摩藩は長州と構えている敵方である。


長州兵にみつからぬように藪の中を進んでいく。




不思議なことに、長州兵がどの兵を相手に戦っているのかがわからない。 



自軍を示すための旗印があがっていないのだ。


はた目には長州 兵同士の同士討ちのようにみてとれた。





 何が起こっているのだ。




半次郎は真相を確かめるため、


付き従った藩士の制止をとめ藪の中をさらに進み続けた。




 目にしたのは


 「農兵・・・」




半次郎は思わず呟いた。



長州兵を相手に戦っているのは半次郎の直観通り 「農兵」だったのだ。



 「戦乱に巻き込まれた農民が狂って仕掛けたか?」



 半次郎は自問自答のようにつぶやいた。





洗馬が偵察から駆け戻り半次郎に知らせた。




「三十足らずの集団が長州兵に突如襲い掛かった様子。


    長州兵は第二陣以降の奇襲を警戒し方陣へと陣 を移している。」




長州兵に奇襲を仕掛けた集団が農兵。



農兵にしては一糸乱れぬ集団戦になれている。



圧倒的数に優る長州兵に囲まれながらもひとつの集団として戦っている。



そのため、散漫に攻撃を仕掛 ける長州兵はひとりまたひとりと傷を負っていく。




 この集団は農兵などではない。




長州兵を足止めにするためだけに送り込まれた刺客集団である死兵たちであると半次郎は感じた。




三十足らずの僅かな兵で留まって戦っていること自体が異常なのだ。




異常さは理不尽にも身分が低いために死ぬことを上意の名で課せられ、


自暴自棄に陥ったとしか考えられなかったが、半次郎の考えとは異なり、


目の前で戦う集団は圧倒的数の多い長州兵に取り囲まれても恐れず統制されている。




自暴自棄に陥った集団ではなく太平の世に甘えきった士分にない


生死の狭間の中に生を求める戦士。




二六〇年前に消え去った戦う武士の姿に映った。




半次郎は、この戦に憧れさえ抱いた。




 理不尽な斬り死にを命じられた斬り込み隊であろうとも、一歩も 譲らぬ戦い、




これぞ半次郎が求めた武士の姿であった。




長州兵が次々と傷つく中、



福原越後率いる本隊へ一歩一歩、川の流れの水のように、


静かに激しく二刀 の刃を振るう男を見つけた。





半次郎は直感した。


 この男がこの隊を率いる男だ。



 「あの眼・・・」




半次郎は身震いを覚えた。


 二刀の使いの眼には怒りもない、



 ひとを殺めることへの恐れも憎しみもまない。




 目の前に立ちはだかるものを刃の餌食に進むだけ。





甲冑に身を固めた長州兵の槍や刀を右手の長刀で捌いた次の瞬間にはその者は絶命している。




左に構えていた脇差が急所の喉元を確実にとらえ串刺しにしていた。



二刀であるが これだけ戦えば刃こぼれも激しく日本刀の戦闘力はないに等しいはず。




二刀の男の突き出す左には絶命していく者から脇差を抜き取り、


その脇差を次の者へ突き立てていく。


長刀は回転する遠心力で長州兵の首の頸動脈をとらえていた。



                                 

二刀の男は鮮血で朱に染まりもはや何者かさえもわからぬほど。




一手で 仕留められる。


         二刀へ近づけば屍の山を築く。



長州兵は数で優るが、真理において圧倒され弱兵へと追 い込まれていた。




強いだけの剣豪ではない、


用兵をも心得ていることを半次郎は見抜いた。




長州兵の合間に割って斬り込んだ意図を理解した。




 長州兵の火縄や弓を封じるためだと。




長州兵の中央で戦っているため、飛び物を使えば、味方同士の同士討ちを招く。




二刀の使いの用兵により長州兵は近 接戦闘を強いられたのだ。


それも長槍も使えぬ程の間合いに入られたため、長州兵の武器の殆どを使用不能に陥れていた。

  

装備も数でも劣る農兵の集団が対等に戦える条件を用兵で整えた。



死兵ではない。


男たちは活路を見出すために、散漫な攻撃や防御ではなく集団戦闘で斬り込んでいる。



 道場で身に着くような技ではない。


 この時代にこんな戦をする男がいたとは。



半次郎は自身が歩んできた道が開けたように思えた。



長州兵の中から名のある士分が登場し

 名乗りをあげようと


    足軽の前に出た瞬間、



 二刀の男の流れは急激に加速し、


 槍を構えた足軽の脇をすり抜け右手の長刀で首を切裂き、


 長刀の遠心力を用いて身を屈ませながら脇にいた足軽の脚を切裂き、


 倒れ込む足軽から脇差を抜き取り、


 抜き取った脇差は名乗りを上げようとした男の喉へ突き刺されていた。




見たことのない速さと確実に命を奪っていく瞬殺の殺人術であった。




 「鬼か物の怪か・・・」




半次郎の背中に冷たいものを感じた。






藪の後方から鬨の声をあげ殺到してくる足音を感じた。



幕府方の兵が長州兵に向け突撃してきたのだ。


前衛にいた長州兵は急ぎ鉄砲隊を配し轟音と共に銃撃戦 が始まった。



轟音の中でありながら、


半次郎の眼の中では、無音の世界にいるかのように静かなときが 流れていた。



ひとり、またひとり、突き刺され切り倒されていく。




援兵が駆けつけた今、この男たちの役は終わり、


用兵を心得ているのであれば兵を退くことが常道であるはず。




十分すぎる成果をあげていた



「何故だ!何故退かぬ?」



半次郎は自身が独学で学んだ兵法者のどこにもこの男の戦い方は描かれていない。



 この男には援兵が駆けつけた音さえきづいておらぬのか。


  ただ人を殺めることに快楽を求める者か。



唾を大きく呑み込んだ。




そのときに突然二刀の使いの後方で九曜紋一本のみが掲げられた。



「九曜・・・大垣の手の者か・・」



目の前で死闘を繰り広げているものが、


幕府方において天狗党と実戦を経験した数少ない大垣の手の者 ならば、戦を知っている。




「なぜ今更・・九曜を掲げた・・・」


前衛での鉄砲の轟音は続いているが、長州兵は壊走を始めた。



たぶん、後方に控えた会津や彦根も兵を 繰り出し、


数を以て一気に殲滅戦へと戦は一変したのであろう。



「一本の九曜で、長州の手は狂ったか・・・」



たった二刀の刀で戦局を一変させた男が大垣の男であることはわかった。



半次郎の間近を幕府方の兵が 駆けて行く。




その中には「誠」の旗を掲げた一団もあった。





 「あの男は・・・」



気を抜いたわけではない。




にもかかわらず二刀の使いを見失った。



撤兵したわけではないはずだ。



 九曜の旗を追いかければあの男にたどり着くはず。



藪の中を駆け続け、二刀の使いを見つけた。





見つけはしたが、



既にこと切れていた。




左にあった刀は既になく、右には握り続けた刀だけが残っていた。


男の周りでは戦が続いている。




周りを制したのは、誠の集団であった。




禁門の変と呼ばれた戦の発端となった池田屋襲撃を行った集団だ。




会津公お預かりの身であり、京の治安維持を目的としていたが、


戦闘を好んでいるように半次郎の眼には映っていた。




誠を背負った男が、二刀の使いを抱え上げた。



それから九曜を掲げた小柄の男と誠の旗が小競り合いをしたが、


二刀の使いは、戦場から九曜を掲げた藩兵に運ばれていった。 





洗馬は西郷のもとから再び駆け戻り、蛤御門で長州兵が発砲し、


長州と薩摩も刃を交えたことを知った。





長州兵の決死隊が禁裏近くまで斬り込んだが幕兵に押し返され、自刃したと。



自刃する直前に長州兵が 京の洛内に火をかけた。



火の手は、目の前で終結していく戦とは別に、


半次郎の脳裏に恐怖を植え付け焦がしていったのだ。





禁門の変で戦頼むなら大垣の歌に歌われた



「二刀使い」



の男に命を救われた者、


      命を救い答えを求めた 者、

                     奪われていく命に恐怖した者。




その三者が揃った。







この三者は一年と半年の歳月を重ね、


中山道を駆け抜け闘いつづけた武士を輪の中心に


中山道の終着地京三条で再会を果たすことになる。





禁門の変で京の都を焼いた業火の因縁は、



二刀使いが貫いた鞘の理と、維新という新時代への信念の激闘の始まりにすぎなかった。







まさに一つの時代の末期、動乱の時代を迎えていったのである。






~二手なまくら終幕~