二手 なまくら 一


1「助命嘆願」



大きくあくびをかいて背伸びをしてみせた無作法な長身の男の隣には、


対照的に小柄の男がひとり。



いまだ昼寝から目を覚ますことなく汗ばむ夏であるためか首筋に大玉の汗を流し、


顔をうつ伏せたまま である。



周囲からは談笑や、国の行く末を交わす真剣な声が溢れ、それぞれが帰り支度をはじめていた。




長身の男は支度を整え終わると「誠」の一文字が刻まれた羽織を背負い、


小柄の男の背を小突きながら、 短く「起きろ」と声をかけた。




小柄の男は顔をあげた。




あわてた様子もなく夏の昼寝を妨げられたことを不愉快に思ったのか無粋な顔 で頭を垂れた。




長身の男が「また・・・夢かね」と、



短いが気遣うように声をかけた。



小柄の男は小さく頷く。




無粋な顔をしたのは昼寝を邪魔されたからではない。


みていた夢がこの男の中 で何度も繰り返されているからだ。




長身の男と小柄の男、この二人の出会いはこの場所ではない。



この場所で二人は再会し、往時の記憶を 共有でき、親交が深まっていった。


ここは 1 年ほど前に開かれた西洋兵学を教える私塾であり、


西洋兵 学を求める各藩から京へ赴き学びに来ていた。 



この小柄の男は名を可兒幾太郎と云い美濃大垣藩士である。



大垣藩は石高一〇万の藩ではあるが、


藩内を流れる両川がもたらす水運による物流と中山道から美濃路 宿場が重なり


この利点を活かした藩政により藩の懐はこの時代にしては窮状とまではいかなかった。





大垣を治める戸田氏は一六〇〇年の関ヶ原の戦いにおいて神君家康公より、




直に「武の誉れ高きモノ」 と評された。




初代戸田勝成公以来、武を重んじ士分にあるものは皆剣術を尊び、


十万石という中藩であ りながら剣術指南役も三名から五名と剣術を高めることを誇りにしていた。



大垣が雄藩として京の都に名を馳せたのは、


京を焼いた二年前の禁門の変における大垣藩の戦いを都の 民たちが讃えた唄をうたった。




「戦頼むなら大垣さん頼め。焼かず死なずの勝ち戦」



大垣藩の軍制改革に伴い結成された三十足らずの一隊で先陣を駆け、


八百の長州兵に突撃を仕掛け一歩 も譲ることなく闘い、


日和見をしていた幕府諸藩は慌てて我こそはと兵を推し進め長州兵へ殺到した。



闘うことを恐れていた武士たちを動かした大垣の雄。


その武功があって京の都で狂歌として流行した。





長州兵に突撃を仕掛けた大垣藩先方隊の名は



「有士隊」



可兒が夢の中で見ていたのはこの有士隊として戦った禁門の変の日の出来事であった。




 「有士隊」



名こそは士分に思えるが、日本国内が政情不安になる中、


大垣領内でも農村を襲う野党が現れ役人だけの手では追い付かなくなった背景のなか、


剣術を学んだ下級武士の次男や三男坊、食べるために農作を捨て、


剣を選んだ大垣領民による自警団程度のものが始まりであった。




大垣藩の武名のためではなく、大垣で暮らす家族の生活を支えるためだ。




物流で藩財政と商家にはゆとりがあったが石高の少ない山間部の農民の生活は苦しかった。



生活を支えるため農民出身の次男、三男が家の食い扶持を減らすため隊に集まった者が多かった。




結成された当初は士分から


「たかだか鍬しか持てぬ農兵」


と甚だ小ばかにされていた。




武門を誉れとした大垣剣術指南役も、


唯のひとりを除いてこの集団への剣術の指導を拒んだぐらいだ。




拒むことなく剣術から武術、


学問に至るまで惜しげなく享受したひとりの剣術指南役の訓えのなか、


日増しにたくましくなっていった。




道場での仕合の強さではなく、教え込まれていたのは闘いにおいて生き残る術であった。




訓えの中にあった鞘の理を有士隊たちは興味深く聴き入り、


この師の門下であることに誇りを持ち、



「生 きるために剣をとり戦う」



故郷で暮らす者たちに再び会うために戦うのだと士気も高かった。



有士隊を率いた組頭は誉れ高い剣豪であり、


有士隊の者から篤い信頼のあった剣術指南役が藩老から指名された。



他の指南役からは「貧乏くじ」とまで陰口さえ叩かれたが、


その口は次第に開くことが叶わなくなった。



苦しい生活が続いた身分制度はあったが二六〇年に及ぶ戦乱の無い世を経験した人々にとって、


命を削 り合う戦の感覚は失われており、


人を殺めることへの恐怖が、理性という形で人々の心の刃を鞘におさめていた。




しかし刃のない刃は斬ることは出来ず戦では役に立たないなまくら刀であり、


安政の大獄か ら始まった幕府重役の暗殺への対抗手段を幕府でさえ持たずにいた始末である。




結果、水戸浪士により結成された天狗党は拡大し千を数える軍へと変わった。




天狗党と呼ばれこの軍と の戦を経験することを恐れた中山道の諸藩は空砲を放つなどし、


あからさまに戦闘を避けた。



戦の回避が叶わなくなったのは天領を通過させることはお家取り潰しにつながる。



戦っても戦わなくても被害が 及ぶことが必至となった下諏訪宿での戦である。





天狗党千に対し、松本藩と諏訪高島藩連合部隊八百の戦は僅か一日足らずで決着が着いた。


両藩の連合軍に快勝した天狗党は悠々と中山道を上洛へと歩を進めた。


歩を止める決戦とも云える戦で有士隊の真価が大垣藩に示されることになった。



美濃路で天狗党を壊滅させるため集結した数で勝る大垣藩はじめ幕府諸藩であったが


天狗党の勢いに 押されていた。



尊王攘夷の志と狂の正義を掲げ、死を恐れない千の軍勢と、


万の数であっても死を恐れた群れでは、戦 う前から結果は見えていた。



万の群れから万の軍勢へ変化させた。





それが有士隊の真価であり、結成の中に藩の軍制改革を主導していた藩老小原鉄心と


有士隊を率いた剣術指南役の国を守るための狙いであった。

   

天狗党勢いを受け止め流れを大垣にもたらした功労者は三隊編成。




 一隊二十名、合計六十名足らず大垣 藩有士隊。





戦における討死や人を斬ることを恐れる武士よりも、


生きるために剣をとった寄せ集め集団が意思の強さが勝敗を決することを周囲に示したのである。



国をひとつにまとめるための策として幕臣が謀った公武合体。


和宮様が中山道を江戸に下る際にも美濃路警護を大垣藩は担った。




幕府も大垣藩も記録としては残せな かったが、


大乱を巻き起こすため公武合体を阻もうとした暗雲を斬り払うため


有士隊は中山道を駆け続 けたのである。



有士隊は結成以来、禁門の変での武勲をあげるまでに、


天狗党、和宮様警護、士分として記録されることのない戦を常に最前線で闘いつづけてきたのだ。




有士隊が大垣の先方に命じられたのは、長州藩が要した奇兵隊とはまったくの別である。




奇兵隊は最新鋭の西洋軍装とその用兵を用いた部隊であったのに対し、


有士隊の軍装は統一されたもの がないだけではなく、身を守る甲冑もなかった。




身分は農民のままであるため藩から武具の支給はほとんどなかった。




藩財政は逼迫はしなくとも新しい軍装を用意するゆとりなどなく、


苦肉の策に、古い刀 剣や槍を磨き直し剣の使い方から学んだ隊であった。



端から使い捨ての斬り込み部隊としてしかその存在を認めていなかった大垣藩の上級武士たち。




上級武士の彼らと有士隊の圧倒的な差は剣術の強さではなく




  「生きるために戦う」



という強い意志であ った。





可兒は大垣で剣術を学び、禁門の変で初陣を飾った。




有士隊の噂は聴いていたが実際に戦いに参じたことはなく、


この日まで可兒には農兵の集まりでしかな かったのだ。



目付役として初陣の身を農兵の中に置かれたのだ。




禁門の変を迎えた時には、三番隊まであった有士隊の一番二番隊の隊長の席は不在のままで、


三番隊隊 長が三十名足らずに減った隊を率いて戦った。




藩は長州の北上への一手を打てば、数に勝る彦根、桑名、会津といった幕府軍により


圧倒的に有利となり大垣の犠牲を最小限に抑えることができるという謀もあった。 



大垣藩の指揮を担った大垣藩老小原鉄心より




「先手遊撃」と「勝手に戦え」




とも捉えられる命を受けた。





可兒は


 「藩老様から農兵と共に大垣の武を世に示すために死ね」


                        と云われた気がしていた。




若き武士が禁裏の為に戦い名誉の討死を遂げることが、


初代藩主より変わらぬ大垣の武を世に示す。




 そのための人柱に運悪く選ばれたのか?



それとも自分の才能を妬む同輩や上役の謀かさえ疑えずにはいられずに過ごし、


恨みと失意の中、決戦の日を迎えたのだ。




しかし、禁門の変で可兒も有士隊からも一人の死者は出なかった。




戦うことのできないほど深手を負った者もいたが可兒を含め隊士の皆が傷を負ったが


誰一人死者は出 なかった。




あの日の凄まじき光景は可兒の脳裏から離れない。





 火縄の怒号と硝煙の臭いのなか斬り込んでいく農兵たち。



 ひとりが倒れればひとりを庇い、傷を負いながらも立ち上がり刀を振り回し続けていた。





「皆で生きて帰る」





と先陣にて二刀を振り続けた男を信じ農兵たちは闘ったのだ。





可兒が傷を負い長州兵により首を獲られそうになったときに雷神の如く閃光と共に



   「生きるために剣を とれ!」



と細い声でありながらも凛とした声が心に響いた。


そのあとのことは覚えていない。





ただ必死であった。






可兒も生きるために九曜紋を掲げ戦った。



趨勢が喫し幕府方の勝利を告げる鬨の声があがったとき、


可兒は戦の凄惨さを身に沁み血に染まった己 自身の身体に恐怖を覚えその場に膝を落とした。




闘い生き残ったにも関わらず周囲の農兵は一人として 喜んではいなかった。





二刀の男が深手の傷を複数負っており瀕死の状態で発見されたからだ。




可兒に目付として有士隊の戦いを藩老様や上役に報せて頂き、


隊士全員の褒賞に変え二刀の隊長の命を 救って欲しいとの嘆願をされたのである。



農兵は報奨金目当てに戦っているのだと思っていた可兒には瞠目すべき出来事であった。




可兒も二刀の隊長に命を救われたことに恩義もあり、負傷した身体を押して藩老へ報せに走った。


藩老の下にいる上級武士たちは負傷をしながらも報せに走ってきた若き勇士可兒を見つけ



 「大垣の武の 誉れなり」


と賞賛を受け、藩老小原からもからも直々に労いの声を賜った。



労い詞をかけられたあと目付とし役を果たすべく報せを伝え始めた。




有士隊の一歩も譲らぬ勇猛果敢な突撃


「被害はいかほどか?」



小原の脇にいた見事な甲冑を纏った者が可兒に問うた。



安易に死者はどの程度 かと訊いたのだ。



可兒の中に突然怒りが湧き上がり叫ぶように声を発した。




「有士隊士、皆々傷を負っておりますが討死した者はおりませぬ」




討死とは士分にあるべきものに使われる言葉であるが、


可兒は有士隊に所属した農兵も含めたすべてを 含めた。



 「おおお」


    という歓声と驚きの声があがる。




驚きの声を遮るように可兒は声を張り上げ続けた。




「されど隊を率いた小宮山利之助様の傷深く、今にも息切れるやもしれませぬ」





先ほどの甲冑を纏った者が大したことではないとばかりに言葉にて返した。




「小宮山ひとりか?隊士を守り戦うとは武士として立派な働きであったな」



小原を囲む皆々が同じ意であったようで



「師弟ともに大垣のために働いた小宮山は大垣の誉れよ」 



口々に武士としての死に様を褒めていた。




 報せを聴く藩老小原のみが眼が赤らみうっすらと涙がにじむ ように可兒には見えた。




一藩士の死に心痛めてくださる信義に篤いと名高い藩老様の噂は真であったと可兒は思い、


今ならば有 士隊の嘆願が聞き容れられるやもしれぬと意を決し上申することにした。





先ほどとは声を変え可兒は小原のみへ語りかけるように報せを続けた。




「某のお役でご褒賞の話などすべきではなきことと重々承知しておりまする。


 されど大垣の武を示した 有士隊の一縷の願い


           小宮山様の命を助けて頂けませぬでしょうか」



慶びの言葉をかけていた武士の顔色が真っ赤に紅潮していく。



「戯け!!若造の分際で一戦交えた程度で褒賞の話などするとは、


                     武士として恥とは思わぬか」



先ほどとは豹変し口々に可兒を浅ましい男として蔑みだした。


蔑みをすべて無視し、可兒は小原の答えを待った。




小原は小姓に預けていた己の刀を手に取った。



重臣たちは可兒が手打ちに合うものと思い、


斯様な些細 な手柄に天狗になった報いだと止めることもなかった。





小原は鞘から刃を抜き一歩、一歩と可兒へ近づ いてくる。






数刻前までは野鼠の如く小さな穴の中で震えていた可兒ではなかった。




 怯えることなく小原の眼を見つめた。




小原は可兒の首元に刃を突きつけたまま静かに問うた。




「幾太郎よ。己の命に引き換えても、小宮山の命を救うことを褒賞として願うか」





静かな声を発した小原の眼が先ほどの薄らとした赤みでではなく真っ赤に充血し、


突きつけられた刃よりも小原の眼の中にある強さに畏怖を覚えた。




「幾太郎。如何なのだ。己の命を懸けるのか?三度は聞かぬ」




可兒は唾を大きく呑込み、



最期の言葉になったとしても己のすべきことが今ここにあることを察し、


 所作美しく


  「武士に二言はございませぬ」



ときっぱり答えた。




重臣たちは可兒の返答にざわめく、


己の未熟さを恥じ自身の助命嘆願を願い泣き叫ぶことしか絵になか ったからだ。




「幾太郎。二言はないな」




小原の声がざわめく重臣たちの声を静めた。




可兒の首が撥ねられることに場は凍りつき戦勝に沸いていた時がとまった。



「長門。急ぎ手元の手勢を連れ小宮山を藩邸へ運び最善を尽くせ。


           小宮山の命が落ちた時は、己の叱責 として罰を受けると心得よ」




見事な甲冑に身を纏った者に命令が下った。



「小原様。もはや小宮山の命こと切れておるやもしれませぬ」



 下級武士ひとりと農兵の集まりに面倒なことを申されるなという態度を露わにした。





「長門。武士に二言はない。」



小原は一喝した。



一喝された長門と呼ばれた上級武士は、


小宮山という下級武士ひとりの命を助けること叶わなければ、可兒ではなく、


己が叱責を受ける身に転じた。



その叱責の罰とは振り上げられた刃と同じ、己自身で腹に刃を突き立てることになる。



小原自ら二言なしと公言したかぎり、筋は通されることになる。


ここで逆らえば、それこそ打ち首にこの場で逢うは必然。



「はっ急ぎ向かいます」



重い腰があがり、手勢を率いて駆け出して行った。



 「ご藩老様・・・お聞き届け頂きありがとうございます。


     幾太郎、このご恩は身命を賭してお返しいた します」



頭を地に擦り付けた。



「幾太郎。主の役を今限りで解く」



可兒はお役御免の蟄居で済むのであればそれでも寛容すぎる処置である。



短く

 

 「ハツ」と応えた。




「明日より、儂の小姓として出仕致せ。」



可兒に告げられたのはお役御免の処罰ではなく、藩老付の上級武士になるという出世であった。






この出世により、なまくらと呼ばれることになった


 小宮山利之助と藩老小原鉄心の中にだけ隠された秘密を


              「身命を賭して」


                   という可兒の誓いの中、知ることになった。





可兒が誓を立ててから既に 2 年半が過ぎていた。